第4話 第13章

文字数 2,077文字

 九月。
 僕の本の出版が正式に決定される。実に二十年ぶりである。貴和子の紹介で僕に編集者がつく。メガネをかけた真面目そうな若い女子だ。貴和子のことを崇拝していて、僕よりも貴和子のことに詳しいのが笑える。
 そのメガネ女子の優秀なこと。彼女の指示通りに加筆したり言い回しを変えたりし、完成稿を読み直して思わず僕は唸っていた、これは、いける。絶対、いける!

 それから途轍もなく忙しくなる。雑誌の記事は毎週相変わらず。それに加え、過去作品もリニューアルして再出版の話も持ち上がり、それに塁の塾の送迎、家事… 身体がいくつあっても足らない状態が続く。
 彼女と中々会えない日々が続き、精神的に不安になるのだがそれ以上に忙しく、なんとかメールのやり取りだけで秋は過ぎて行く。
 十月に入ると更に忙しさは増し、家族ラインもチェックする間もない程になって何度か塁にこっぴどく罵られたりもする。彼女からのメールが途絶えたのも今思うとこの頃だった。ああまた拗ねてるのかな、そう思って僕もあまり気にせずに日々を駆け抜けていた。

 人間忙しく過ごしているとあっという間に時は過ぎていく。気がつくと秋は深まり間も無く師走の足音が聞こえてくる頃、僕と直子と華は出版社主催の出版記念パーティーの会場に居る。
 来場客は八十人といったところだろうか。誰からも青木マサシ復活の祝辞を投げかけられ、僕もこれからはもっと頑張ります、と返している。
 僕が作家だったとは頭から信じていなかった華は、会場を満たすお偉いさん、有名人、芸能人が次々に僕に挨拶に来るのを目を丸くして眺めている。

「パパ… これからは少し尊敬するよ。本物の作家だったんだ… えっ あの人タレントのM I K Aじゃん、えっ こっちくるよ、ウソっ マジでっ? きゃあー」
 僕の知らない若手タレントとツーショットを撮ってやると、
「パ… お父さん、こういうパーティーってこれからも? マジで? 映画化もあり? あの、是非また連れてきてくださいっ お願いしますっ」
 生まれて初めて父親を尊敬する娘に、思わず吹き出してしまう。

 面倒臭い挨拶をなんとか切り抜ける。脇汗がやっと止まった。昔は人前で話すのなんてなんでもなかったのに、今は滅茶苦茶緊張してしまう。これからこのような機会が増えていけば、自然に慣れて行くのだろう。
 招待客を見回して、大きな溜息が出てしまう。僕が心からここにいて欲しい人がいないからである。
 先週から何度もメールを送っているのだが、彼女からの返信が全くない。このパーティーの会場が御茶ノ水なので、その夜二人で祝杯を挙げたかったのだが。
 何度連絡しても全くMがポップアップしてこないのだ。
 思い切って電話をかけてみたい衝動に駆られそうにもなったが、後でこっぴどく叱られそうなので、その一線は越えないように己を抑えるのに相当な苦労を要した。
 
会いたい。声が聞きたい。抱きしめたい。そして…

「先生、おめでとうございます」
 満面の笑みで貴和子が近づいてくる。
「貴和ちゃん、本当にありがとうね。マサくんが復活出来たのは、全部貴和ちゃんのお陰だよ」
「いやいや。ナオちゃんの支えがあったからこそ、だよ。ね、先生?」
 僕は曖昧な笑顔で頷く。
「そっか。マサくんが稼いでくれるなら、類の受験も近いし、私少し仕事減らそうかな…」
「いっそ病院辞めちゃいなよ。それで今までの分、先生に食べさせて貰いなよ」
「ねー、そうしたいけどさー、患者が私を待ってる、の」
「うわ、流石ナースの女神!」
「何よそれ」
「それで、この後二次会ナオちゃんも来てくれるでしょ?」
「無理無理。類のお迎えに行かなくちゃ。」
「旦那に行かせちゃいなよ」
「そこまで鬼じゃないです。マサくん、今夜は楽しんでおいでよ。貴和ちゃん、よろしくねー」

 パーティーは恙無くお開きになる。今日一番の収穫は、華が僕を尊敬し始めたこと。
 有名人たちと写メを撮りまくり、その幾人とは連絡先を交換したと言う。
「パ… 青木マサシの娘ですって言うと、みんな目の色変えるんだよ! 凄いよパ… お父さん!」
「あー、無理しなくていいぞ、今まで通りパパでいいから」
「いえいえ。あの青木マサシの娘なのですから。キチンとしなくちゃ、だよね」
 娘のウインクを初めて見た。ややキュンとしてしまった。うん、娘も悪くない。この歳にしてようやく娘の価値に目を向け始める僕であった。

 パーティーに来てくれた人々を見送り、直子と華を見送り(華は最後の最後まで僕と二次会に行きたい!とごねていた)、その二次会の会場へと貴和子と向かう。急に無口になり不機嫌そうな表情な貴和子に、
「もし『私も行く』って直子や華が言ったらどうするつもりだったの?」
 実際、華を振り切るのに一苦労したわけだったのだが。

 返事は無い。寒そうにコートの前をしっかりと締め、一足先に足早にホテルに入って行く。ロビーで待っていると部屋番号がラインに入る。エレベーターで七階に上がり部屋に入ると僕は貴和子にベッドに押し倒される。シャワーも浴びず狂ったように僕を求めてくる。
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