第5話 第7章
文字数 1,687文字
離婚の手続きは粛々と進む。直子の代理人の弁護士が訪れて、今後の養育費、接見、財産分割について取り決めていく。僕はほぼ全てを受け入れる。
そもそも結婚当初、僕には財産と呼べる資産は皆無。マンションも名義は直子であったし、直子の両親から華と塁の月々の学費、塾代などを出して貰っていたので、離婚後も大した変化はない。むしろ僕が家を去ることで余計な食費がかからず、家計は好転するのではないだろうか。
僕側からの要望はたった一つ。それは塁との今後の関係について。
『もし彼自身が望む場合、接見を可とする』
を希望する。塁は最後のラインで、直子と華がうるさいから連絡できないと言っていた。即ち、僕とのライン等の連絡を離婚協議で認めてもらえれば、僕と自由に連絡を取れるのだ。
正直、華と今後会えなくても僕は構わない。そんな関係で互いにやってきたし、これから関係を改善する意思もない。だが、塁は違う。僕の後輩になるかも知れないのだ。彼に教えたい、伝えたいことが山ほどある。それは野球の技術論、精神論もさることながら、人生の処世訓、女性との接し方などなど、父が息子に男として伝えたいこと、教えるべきことは数えきれないほどあるのだ。
弁護士は持ち帰り、直子と相談すると言う。恐らく大丈夫でしょう、子供の意思は案外尊重されるものですから、と彼女は言う。
それ以外に申し立てがなければ、年内には円満に解決出来そうですね、と彼女はそれまでの能面の様な表情を少し崩す。
前回もこんな感じでしたよ、と僕が言うと、ああどうりで慣れてらっしゃる、と済まなそうな笑顔を向ける。
弁護士が帰った後―僕は決心する。
彼女と連絡を取ろう。
僕は彼女に連絡できる立場ではないと思っていた。彼女を裏切り貴和子と関係を重ねていたからだ。だが、神山の話と証拠を見聞きし、考えが変わった。彼女も僕に嘘をついていた!
これなら僕らの関係はフィフティーフィフティーなのではないか。僕も裏切ったが、彼女も裏切った。その結果、僕は死線を彷徨い、彼女も後遺症が残るほどの傷を負った。
もう、それで良いのではないか?
お互い、マスコミに晒されネットで叩かれ、立派な『傷物同士』だ。
それでいいじゃないか。これから傷物同士で、互いの傷を舐め合い、社会の隅でひっそりと暮らしていければ良いのではないか。
彼女は拒否するかも知れない。いや恐らく、拒否するであろう。
それでも僕は、彼女に会いたい。会って話をしたい。貶され罵られ、罵倒されても構わない。
彼女に会いたい。
彼女を感じたい。
今すぐにでも……
スマホを持ち、連絡先アイコンをタップする。『田中陸』をいつもの場所に見つけ出す。僕は苦笑いしながら、『田中真木子』に上書きする。もう誰にも気兼ねすることはない。解放感が堪らない。
深く深呼吸をする。腹の傷がチクリと痛む。震える指で通信ボタンを押す。
『おかけになった電話番号は現在電源が入っていないかー』
よし。少なくとも電話番号は変わっていないようだ。そして新しいスマホを入手したようだ。ホッとしながら、電話を切る。
メッセージアプリを開き、思ったままに書く。
『ご無沙汰してます。元気ですか? 声が聞きたいです。連絡お待ちしています』
送信ボタンを押す。
Mのアイコンをタップする。全く同じ文章を入力する。
送信ボタンを押す。
スマホをベットの上に放り投げる。窓の外を眺めると、沈みかけた美しい夕焼けが師走の街を悲しいくらいに淡く切ない色に染めあげている。
翌日、弁護士から連絡があり、塁の件は奥様が承知した、とのこと。但し、少なくとも中学に入るまでは出来るだけ連絡を控えてほしい、と言われたのでそれを了解する。
これで全て整ったので、年末までに正式に離婚が成立します、よろしいですか? と聞かれたので、はい構いません、と答えて電話を切る。
そのままスマホの画面を凝視する。昨日の返事はまだ来ない。
僕は、家庭を失い、彼女を失くした、のだろうか。
翌週。僕と直子の離婚が成立した。
僕の退院の日が決まった。
彼女からの連絡は未だに来ない。
そもそも結婚当初、僕には財産と呼べる資産は皆無。マンションも名義は直子であったし、直子の両親から華と塁の月々の学費、塾代などを出して貰っていたので、離婚後も大した変化はない。むしろ僕が家を去ることで余計な食費がかからず、家計は好転するのではないだろうか。
僕側からの要望はたった一つ。それは塁との今後の関係について。
『もし彼自身が望む場合、接見を可とする』
を希望する。塁は最後のラインで、直子と華がうるさいから連絡できないと言っていた。即ち、僕とのライン等の連絡を離婚協議で認めてもらえれば、僕と自由に連絡を取れるのだ。
正直、華と今後会えなくても僕は構わない。そんな関係で互いにやってきたし、これから関係を改善する意思もない。だが、塁は違う。僕の後輩になるかも知れないのだ。彼に教えたい、伝えたいことが山ほどある。それは野球の技術論、精神論もさることながら、人生の処世訓、女性との接し方などなど、父が息子に男として伝えたいこと、教えるべきことは数えきれないほどあるのだ。
弁護士は持ち帰り、直子と相談すると言う。恐らく大丈夫でしょう、子供の意思は案外尊重されるものですから、と彼女は言う。
それ以外に申し立てがなければ、年内には円満に解決出来そうですね、と彼女はそれまでの能面の様な表情を少し崩す。
前回もこんな感じでしたよ、と僕が言うと、ああどうりで慣れてらっしゃる、と済まなそうな笑顔を向ける。
弁護士が帰った後―僕は決心する。
彼女と連絡を取ろう。
僕は彼女に連絡できる立場ではないと思っていた。彼女を裏切り貴和子と関係を重ねていたからだ。だが、神山の話と証拠を見聞きし、考えが変わった。彼女も僕に嘘をついていた!
これなら僕らの関係はフィフティーフィフティーなのではないか。僕も裏切ったが、彼女も裏切った。その結果、僕は死線を彷徨い、彼女も後遺症が残るほどの傷を負った。
もう、それで良いのではないか?
お互い、マスコミに晒されネットで叩かれ、立派な『傷物同士』だ。
それでいいじゃないか。これから傷物同士で、互いの傷を舐め合い、社会の隅でひっそりと暮らしていければ良いのではないか。
彼女は拒否するかも知れない。いや恐らく、拒否するであろう。
それでも僕は、彼女に会いたい。会って話をしたい。貶され罵られ、罵倒されても構わない。
彼女に会いたい。
彼女を感じたい。
今すぐにでも……
スマホを持ち、連絡先アイコンをタップする。『田中陸』をいつもの場所に見つけ出す。僕は苦笑いしながら、『田中真木子』に上書きする。もう誰にも気兼ねすることはない。解放感が堪らない。
深く深呼吸をする。腹の傷がチクリと痛む。震える指で通信ボタンを押す。
『おかけになった電話番号は現在電源が入っていないかー』
よし。少なくとも電話番号は変わっていないようだ。そして新しいスマホを入手したようだ。ホッとしながら、電話を切る。
メッセージアプリを開き、思ったままに書く。
『ご無沙汰してます。元気ですか? 声が聞きたいです。連絡お待ちしています』
送信ボタンを押す。
Mのアイコンをタップする。全く同じ文章を入力する。
送信ボタンを押す。
スマホをベットの上に放り投げる。窓の外を眺めると、沈みかけた美しい夕焼けが師走の街を悲しいくらいに淡く切ない色に染めあげている。
翌日、弁護士から連絡があり、塁の件は奥様が承知した、とのこと。但し、少なくとも中学に入るまでは出来るだけ連絡を控えてほしい、と言われたのでそれを了解する。
これで全て整ったので、年末までに正式に離婚が成立します、よろしいですか? と聞かれたので、はい構いません、と答えて電話を切る。
そのままスマホの画面を凝視する。昨日の返事はまだ来ない。
僕は、家庭を失い、彼女を失くした、のだろうか。
翌週。僕と直子の離婚が成立した。
僕の退院の日が決まった。
彼女からの連絡は未だに来ない。