第2話 第9章

文字数 2,566文字

 その後、やんわりと店主に店を追い出されるまで、これまでの僕との電話、メールの内容をあれこれ指導される。最初の頃のは緊張して何一つ覚えていないと素直に言うと、その手で何人引っかけたのと突っ込まれ、いや今もこうして手汗すごいでしょと掌を見せると、初夏の陽気だからじゃないと突き放され。
「もー、あの敬語の使い方は、この人本当に社会人なの、って思ったよ。何よあの『陸君が熱中症になられ』って。コーチが教え子を尊敬する姿が思い浮かんじゃったよ」
 体育会気質の僕は元々打たれ強い。辛いことに耐えるのはお手の物だ。しかし女性にこれほどけなされるのは初めてだ。編集者の貴和子でさえここまで僕を痛烈に言うことは無い。
 なのにこの不思議な高揚感。ある意味僕は、感じている。そう、快感だ。知らなかった。いや、知ろうともしなかったし。憧れの女性にこれ程までに痛めつけられるのが、こんなにも嬉しい事だなんて。

「ゃんと全部削除してる? 絶対消してよ。子供にも見られないでよ。」
「  うん」
「あーー、消して無いでしょ。ちょっと貸して、スマホ。もー。あーー、電話の履歴も残ったままだし。信じられない。すぐバレちゃうよ」
 僕は呆然としながらスマホを操作するまきちゃんを見つめる。僕の電話の履歴、メールの送信ボックス、写真のフォルダ、挙句の果てにはG P Sについて、
「これでみんなバレちゃうんだよ。これを切っておかないと、俺くんが何処にいるかすぐにわかっちゃうんだよ!」
 君は探偵ですか? 思わず口に出そうになる程なのだ。

 そして一つの疑問が頭を過ぎる。何故彼女はこんなに細かいのだろうか。はっきり言って病的という程に隅から隅までの確認をしているのだ。
 経験上、二つのことが考えられる。その一つが、過去にご主人が他の女性と過ちを犯した為。そしてもう一つが。まさか、彼女自身が…

「そろそろお会計よろしいでしょうかー?」
 その謎は持ち越しだ。財布からカードを取り出して払おうとすると…
「ちょっと! 現金無いの?」
 僕は小声で、
「このカードはね、仕事の取材とかで使う奴だから、明細は僕しか知らないから大丈夫だよ」
 まきちゃんは膨れっ面で、
「そんなの分からないじゃない、俺くんがいない間に奥さんが封を破って見ちゃうかもしれないでしょ?」
 いや、さすがにそこまではしないんじゃんないかと…
「分からないよー、弁護士さんの指示で平気でやっちゃうかもよー」

 怖っ でもまさか…
「夫婦なんて所詮他人なんだから。いざとなったらなんでもしちゃうんだよ!」
「じゃあさ、もしまきちゃんの旦那さんが怪しかったら、?」
 まきちゃんはニヤリと冷たい笑顔で、
「そうね。まずは書斎の机の引き出しをぜーんぶひっくり返して、パソコン、スマホ、会社のパソコン、ロッカー、全部調べるよ」
「マジで…?」
「うん。マジ。
 僕はゴクリと唾を飲み込んで、
「じゃ、じゃあさ、もし旦那さんがまきちゃんのことを疑って、…」
 再び彼女はニヤリと冷徹な笑顔で、
「そんな、バレるようなことする訳ないじゃん。私、俺くんとのメール毎回読んだら消してるし。それにこのスマホ、」
 僕の目の前でプラプラさせながら、
「私名義の、主人が存在を知らないスマホだし。」

 参りました。完敗です。ここまで徹底しているとは、何ともはや… もう間違いなく、この人は確信犯で僕と会っているのだ。そして恐らく僕以外の男性とも…
「言っておくけど。いるよ、男友達。でもそれはあくまで友達だから。彼氏とかじゃないから。主人が物凄く嫉妬深くて大変なの。だからこうしているだけ。」
 僕には、遠く手に届かない存在なのかも知れない…

「それじゃ。今日は楽しかったよ。また、ね。」
 彼女は笑うと目尻にかわいい皺ができる。
 あんなに混んでいた駐車場は僕と彼女の車だけとなっていたので、彼女は簡単に車を出し、静かに去っていく。
 僕は大きく息を吸い込み、ゆっくりと鼻から吐き出す。
 色々どころか、彼女の腹の中まで知ってしまった気分である、
 どれくらいその場で呆然としていたであろうか。これまでの僕だったなら、このような女性とは友人としても付き合い難いと思っていた。だが、今は…
 たとえ自分のスマホをどれだけ探られようが、たとえ自分の生活スタイルにダメ出しをされようが、そしてたとえどれ程一人の男として馬鹿にされようが、
 この清々しい気分はなんなのだろう。また明日にでも会いたくなっているのは何故だろう。すぐにでも声が聞きたくなっているのは、どうしてだろう。

 いつの間にか降っていた雨はすっかり止み、雲の切間からうっすらと春の淡い日差しが僕を照らしている。雨上がりの砂利の匂いが凝った体をほぐしてくれる気がする。
 そうだ、傘を店に忘れてきた。店に戻るとまきちゃんの傘と僕の傘が相合傘となっていた。

 帰りの車中で今日の会話を一語一句思い出してみる。そして彼女の言葉の裏側を探ってみるのだが、彼女の言葉には全て裏がなく、恋愛特有の駆け引き言葉がほとんど挟まれなかったことに気付く。それ程彼女は、裏表のないハッキリとした性格なのである。
 そして己の生き様、行動に関しても。なんの迷いもなく、思った通りに行動する。思わせぶりな仕草もなく、思ったまま感じたままに活動する。それが彼女なのだ。そう認識する。
 彼女の言動には従ってほとんどブレがない。若干、天然な振る舞いや考え方があるにせよ、それはそれで彼女の重要な魅力となっている。

 一体、彼女と知り合った男で、彼女に溺れない奴なんているのだろうか。少しでも彼女と触れ合ったならば、間違いなく彼女の虜となってしまうだろう。現に、この僕がそうであるように。
 なので、この傘もきっと天然に忘れて行ったのだろう。そう信じたい。
『店に傘を忘れて行ったよ。僕が引き取りました。これから家まで届けようか?』
 車をコンビニの駐車場に停めて、Gmailを送る。車を降りてコンビニに入り熱々のコーヒーを買って車に戻ると、画面にMがポッポアップしているー
『ちゃんとメール削除すること!』
 それは分かったよ、で、どうするのこの傘?

 この天然ぶりが堪らない。笑いながら思わずまきちゃんの傘をキツく抱きしめていた。それを部活帰りの女子高生がギョッとした目でガン見していた…
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