第6話 第9章

文字数 1,728文字

 そして今から二年前、僕の新作の映画化が決まりかけた頃に、山岸からの河高の指導要請の連絡を受けたのだ。
 真木子は宣言通り、平日の練習は放課後なので朝から僕と河奈カントリーでラウンドし、その後は野球部の練習をスマホ片手に眺め、時折僕には手の負えないやんちゃな生徒に『湯河原の魔女』ならではの絶対服従の呪文を唱え、実は僕は大助かりなのである。

 例の五人組を筆頭に、この学校の生徒は地元の漁師や飲食店の子供が多く、非常に気性が荒い、すなわち荒れている。喧嘩沙汰や暴力沙汰は日常茶飯事だ。
 だが、そんな彼らも真木子にかかると、本当に魔法をかけられたように大人しくなる。この二年間で彼女に食ってかかった部員を見たことがない。

 いや、例外が一人だけ… マネージャーの理央だ。
 ベンチでスマホをいじっている真木子に
「邪魔です。校外でどうぞ」
「服が派手すぎます。見学はジャージで」
「お暇なら、これ洗ってきてください」

 真木子は目を点にして呆然としていたとか。
 そんな真木子曰く、
「あの子は俺くんに惚れているのよ」
 いや、女子高生がこんなオッさんに惚れるはずないだろう、と言うと、
「あの子は読書家なの。元々俺くんのファンなんだって。」
 そんなことをよく知っている… ああ、そう言えば練習中、時々ベンチで二人が語り合っているシーンをよく見かける。結構仲良さげに見えたのだが。
「まあ娘みたいな感じよ。でもね、時々雌の匂いがするのよあの子。油断していると俺くんが危ないから。やられる前にやる、やられる前に倍返しだ、よ。」
 理央がマネージャー就任以来、それまで石一つ拾わなかった真木子が野球部の練習の手伝いをするようになっているー理由は、監視。だそうだ…
 真木子にロックオンされた理央に心から同情してやまないこの二年間である。

 僕らは滅多に喧嘩をしない。たまにする時は大抵ゴルフ中。僕が二連続OBを打つと、
「手術は失敗だったのね」
 久しぶりのバーディーパットを外すと、
「人の心は読めるのにライン(カップまでの道筋)は読めないのね」
 グリーン周りで行ったり来たり(グリーンに中々乗らない状況)していると、
「まるであなたの人生みたいね」

 帰りの車中でも夕飯時も就寝時も口を聞かず。それも翌朝には大抵仲直りしているが、稀に大喧嘩となると二、三日は口を聞かない事態も。そんな時には僕は無理矢理ドライブに誘い、熱海峠か葉山の丘の上の公園に連れていく。季節が冬から春ならば河津川の辺りを歩く。
 二人で景色を眺めていると、どちらともなくポツポツ話だし、日が暮れる頃には互いに謝りながら抱き合って終戦する。

 よく知人友人から、そんなに四六時中一緒にいて、お互い疲れませんか、と言われる。側から見ればそれ位僕らは常に一緒にいるように見えるのだろう。実際にあの日以来、丸一日一緒にいなかった日は、無い。隔月である取材旅行には常に同伴し、東京で打ち合わせがあれば喜んで付いてくる。
 あれ程束縛されるのが嫌いだった僕だが、この四年間そんなことを感じたことは一度たりてない。

 ふとある日、真木子にそのことを聞いてみる。すると、
「私は元々束縛オンナですから。この人と決めたら死ぬまで側にいるわ、毎日。」
 どうやら僕が死ぬまで側で罵詈雑言を放ち続けるらしい。

 僕が最も忌避していたタイプの女性なのだが、突き詰めて考えるに僕の深層心理ではこの『超束縛』を実はずっと探し求めていたのではないだろうか。これまでは少しでも所有欲を見せる女性からは確実に距離を置き近接してくれば全力で離脱していたのだが。
 更に突っ込んだ考えによると、僕はこうしたがんじがらめの生活を心から待ち望んでいたのではないだろうか。相手が真木子だからと言うのでなく、幼き頃に母に守られていた思いが根底にあり、それを相手の女性に求めていたのではないだろうか。

 真木子にその事を話すと、
「要は、重度のマザーコンプレックスでいいのかしら?」
 僕がずっこけていると、
「ホント、わかってないなあ俺くん。男性は少なからず皆そうなのよ。俺くんの場合はそんな簡単なありふれた話ではないでしょう?」
 僕が首を傾げると、

「相手は私。私だから、私とだから、じゃなくて?」
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