心変わり 1

文字数 2,375文字




 営業終了後、千隼はレジカウンターでミーティングの内容を確認していた。ナンバー2である部長の志乃と話し合い、要点をメモ帳に書き込んでいく。

 二人のもとにほうきを持った新人ホストが近づき、おそるおそる声をかけた。

「あの、すいません、今いいですか?」

 千隼ではなく志乃が顔を向けた。ベイビーフェイスで、この店の中では身長が低い。女性にかわいがられるタイプだ。

「なに?」

「その、律さんが千隼さんを呼んでて……」

 千隼はメモ帳から顔を上げ、志乃を見る。志乃はかわいらしい顔をイラ立たしくゆがめ、低い声を出した。

「ああ? なんで?」

「すみません、そこまでは……。でもどうしても聞きたいことがあるからって」

 志乃はカウンターに片肘を乗せて寄りかかり、攻撃的な声を放つ。

「ってか本人がそれ言いに来いよ。今どこにいんの?」

「トイレで吐いてます」

 舌打ちが大きく響いた。

「ああ……そう」

「すぐに出るから、白湯を用意して待っててって言ってました」

 顔をゆがませたまま、志乃はため息をつく。カウンターを指でコツコツとたたき続けた。

「まあ、俺が行くなとは言えねえよな。あいつはこの店の特別だから」

 千隼に顔を向け、厨房(ちゅうぼう)に顎をしゃくった。

「どうぞ、行ってきてください。こっちは一人でやっておくんで」

「ごめんね……」

 千隼は苦笑しながら、新人ホストとともに離れていく。

 白湯を持った千隼が厨房(ちゅうぼう)を出たころ、律がフロアに戻ってきた。律は酔いのさめていない青白い顔で、ひと気のない卓席を選び、座る。

 律の前にコップを置いた千隼は、となりに腰を下ろした。

「あ、となりは嫌だった?」

「別にいいですよ。このほうが話しやすいですし。……変な勘違いされるかもしれませんけど」

 周囲はまだ掃除中で、役職たちはミーティングの打ち合わせ。店長はスタッフと一緒に、なにやら話しこんでいる。誰もかれもが、律と千隼の話に聞き耳を立てる余裕はない。

 それでも用心に越したことはなかった。

「……それで、俺に聞きたいことって、なに?」

 律は用意された白湯を手に取る。湯気の立つ表面を見つめ、尋ねた。

進捗(しんちょく)はどうですか? 彼女さんとのこと」

「あ、あ~、うん……」

 顔を引きつらせる千隼に、短く息をつく。

「まだ何も進んじゃいないんですね」

「……そうです」

 千隼は苦笑しつつ顔を伏せる。その姿を、律は白湯に息を吹きかけながら見すえた。

 彼女が大事なら仕事を辞める覚悟で結婚すればいいし、仕事が大事なら彼女と別れればいい。言葉にするのは簡単だが、どちらにしても千隼にとっては大きな決断だ。

 そのうえで、決断に至らない何かが、千隼の中で絡み合っている。

「彼女がどういう女性か、わかればいいんですね?」

「え?」

 きょとんとした顔を上げる千隼に、律は目を合わせる。

「容姿に関しては実際に会って見定めるとして、先にいくつか質問してもいいですか?」

 千隼は目を丸くしつつ、ぎこちなくうなずいた。

「まず、同棲はしてますか?」

「……ううん。一緒に住むのは結婚してからがいいと思って」

「今どき珍しい考え方ですね」

 律は足を組み、背もたれに背を付ける。

「彼女、モテます?」

「うん。たぶんね。かわいいしおしゃれだし、彼女のことを嫌いにならない男性はいないんじゃないかな。クラスにいたら人気になるタイプだと思うよ」

 彼女に関する質問に、千隼はほほ笑みながらきちんと答えていく。

「どういう服装を好みます? お客さんで言えば、スーツ姿が多いとか、フェミニンな感じ、とか」

「服装? う~ん……休みの日に会うときは流行のモノを着てることが多いかな。万人受けするような……女性らしい感じで」

「おしゃれが好きなタイプ?」

「そうだね。俺もしょっちゅうプレゼントしてるよ。ブランド物の靴とかバッグとか。……好きだって言うから」

 千隼は目を伏せて、どこか寂し気に笑う。

 一方、律は神妙な顔でふむふむとうなずいていた。事務的に質問を続けていく。

「彼女、仕事はできるタイプですか?」

「あー……どうだろう? 仕事の話、お互いにしたことないし」

 律の眉がぴくりと動く。対して千隼は、穏やかに笑っていた。

「まあ、でも、本人が望むなら専業主婦もアリだと思ってるんだ。俺が稼げばいいだけだし、無理してまで働いてほしくないしね」

「……そうですか」

 律の中で、少しずつひっかかっていく千隼の回答。あえて深追いはせず、淡々と情報を聞き取っていく。

「じゃあ、育ちの良さはどうですか?」

「育ちのよさ……? 別に、普通じゃない?」

「普通、ですか」

 白湯に息を丹念に吹きかけて、律はようやく口をつけた。まだ律にとっては熱く、飲みすすめることはできない。

「彼女の実家に行かれたことは?」

 千隼は首を振る。

「そうですか。それなら、わかりにくいかもしれないですね。まあ、でも、千隼さんが違和感を持たないレベルってことなんでしょう」

 白湯を少量すすり、さらに続ける。

「じゃあ、交友関係はどうですか? 友達は少ないほう? 多いほう? 千隼さんへの連絡が多すぎるとかはありません?」

「それはないかなぁ。普通に友達もいるんじゃない? たまに友達と飲みに行ってるみたいだし」

 律は白湯に視線を落とし、しばらく考え込む。彼女の情報はわかったものの、千隼の考えがはっきりと見えてこない。

 千隼が彼女のどこを惜しみ、悩むのか。仕事と、彼女のなにを(はかり)にかけているのか、まだ把握できていない。

 黙ったままの律を見る千隼の目が、不安に染まってきたことに気づく。律は気を取り直し、冷ややかな声で尋ねた。

「千隼さん、週末は絶対出勤してますよね。ってことは、彼女に会うのは日曜日だけってことですか?」

「そうだよ」

「千隼さん、同伴のときもあるでしょ? いくらアフターは断ってるとはいえ、彼女さんに見られたりしないんですか?」
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