去るもの追わず 2

文字数 2,499文字




「ああ、旦那さんが」

 戸惑いつつもメイコは受け取る。

 紙袋は重い。中をのぞくと大きな四角形のものが入っており、きれいな包装紙に包まれている。

「ありがとうございます。こんなにいいものもらっちゃって」

「いいのよ、気にしないで。旦那が百貨店に用があって、みんなにもって買ったやつなんだから。ほんとうはここについてすぐに渡そうと思ったんだけど、今日は忙しくさせてもらったから」

「いえいえ、こちらこそわざわざすみません」

 メイコがぺこぺこと頭を下げていると、夏妃が本題を口にした。

「それで、ここに来たのはね。ちょっと相談したいことがあったからなの」

「相談、ですか? ええっと……」

 メイコは男性陣がたむろしている洋室に顔を向けた。

「あ、いいのよ! すぐに済むことだから!」

 夏妃は言いにくそうに、声量を下げる。

「ほら……来月の三連休、確かわたし全部入ってたわよね? あれ……前日からの四日間、休みにできないかしら?」

「ええ? なんでまた……」

 メイコの顔に困惑が浮かぶ。話を聞いていた洋室の部長と優希も、微妙な表情を浮かべていた。

 当然だ。連休の前日から、風俗業界はにぎわいを見せる。予約が埋まりやすく、電話が鳴りやまない状態になるため、人はいればいるほどいい。売れっ子や技術のある古株にはぜひいてほしいところだ。

 律はカップをテーブルに置き、ソファから立ち上がる。リビングに出て、夏妃に声をかけた。

「なにか外せない用でもあるんですか?」

 薄い笑みを浮かべながら、優希がいつも座るデスクに腰を下ろす。

「それがねえ、息子が、国家試験に合格したの」

「ああ、そうでしたか。おめでとうございます!」

 明るく笑う律に反し、夏妃の笑みは遠慮がちでぎこちない。

「息子が忙しくなったら、家族でなにかする機会もないでしょ? 今のうちにお祝いも兼ねて、家族旅行に行こうってことになったの」

 律はキーボードを操作しながら、夏妃の話に相づちを打つ。

「連休の前日から出発しようと思って。……やっぱり、難しいかしら」

「う~ん……」

 律は画面を見つめ、顎をなでる。そこにうつるのは出勤表だ。夏妃が在籍しているPlatinum latte(プラチナム・ラテ)は、半分以上の女性が出勤に丸をつけている。

「……うん。いいですよ、夏妃さんお休みで」

「ほんと?」

 喜ぶ夏妃のとなりで、メイコが文句ありげに目を見開く。律はメイコに視線を向けた。

「心配しないで。まだ確認とれてない子には俺から直接交渉するから」

 メイコはそれなら、とうなずいた。そもそも社長が決めたことに、だれも言い返せるわけがない。

 夏妃に視線を写した律は、キレイに笑う。

「働き手はたくさんいるけど、息子の母親ができるのは一人だけですからね。お金稼ぐよりも大事な時間でしょうから、精いっぱい楽しんできてくださいね」

「悪いわね。大変な時期にお休みをもらっちゃって」

「いいんですよ、夏妃さん。これまで連休は休まずに出勤してくれてたじゃないですか。こういうときくらい休まないと」

「……ありがとう、社長」

 夏妃はメイコに顔を向ける。

「わがまま言って悪かったわね」

 メイコは眉尻を下げつつも笑って、首を振った。

「いいえ。ぜひ、楽しんできてください」

「ありがとう。それ以外の日はたくさん出勤するから」

 夏妃は頭を下げ、背を向ける、玄関に向かう夏妃のあとを、ミズキが追った。

「じゃあ送ってきます」

「気を付けてね」

 メイコが手を振って見送る。

 二人が去ったあと、洋室にいる部長が不満げに声を放った。

「いいのか? あんなこと簡単に言っちゃってよ」

 表情をいつものように戻した律は、頬づえをついてマウスを動かす。

「いいんだよ。夏妃さん一人分の損失は、十分補える」

 出勤表を確認しながら続ける。

「マリカさんは俺が説得したら絶対来るだろうし、ハルカさんはしぶるだろうけどバック額少し上げたらすんなり来る。あとの子たちも……うん、大丈夫。十分金はとれるって」

 律は管理ソフトの他のファイルを開いていく。

「あ、ごめんメイコさん、面接予約のメールを先にひらいちゃった。いくつかきてるみたい。あとで確認しといて」

「はい、わかりました」

 紙袋を持ってダイニングキッチンに向かうメイコを、律は視線で追う。メイコが紙袋を台に置き、中身を取り出したところで、目が合った。

「……大丈夫だよ、メイコさん。あんまり重く考える必要はない」

「え?」

 突拍子もない言葉に、メイコはきょとんと首をかしげる。

「誰かが休んだら誰かが代わりに働くし、誰かが辞めても誰かが新しく入ってくる。メイコさんも休みたくなったら言って。そのぶんのフォローは俺ができるから」

 律が言いたいことをなんとなく察したメイコは、薄い笑みを浮かべた。

「……ありがとうございます。でも、私は大丈夫です。社長が思っているほど、落ち込んではいませんから」

「そう?」

「これ以上社長に迷惑をかけるほうが心苦しいってもんです」

 メイコの手元で、包装紙を外されたクッキー缶の姿があらわになる。フタを開け、個数を数え始めた。

「ああ、それとメイコさん」

 メイコは再び顔を上げ、律と目を合わせる。

「ドライバーたちが戻ってきたら順次手続きして帰るように伝えて。バイトも社員もわざわざ俺にあいさつする必要ないから」

「わかりました」

「いろいろ頼んじゃってすみませんね。終業までもうちょっとがんばって」

 律はデスクから立ち上がる。洋室に戻り、ソファに腰をおろした。読みかけの雑誌を再び手に取り、読み始める。

 開いているページには、千隼が写っていた。Aquarius(アクエリアス)千隼の特集ページだ。脱サラしてホストに転身した男の成功例としてインタビューを受けている。

 幻扱いされているナンバーワンホストの律についても語っていた。

「ホストとしても人としても認めてもらいたい存在、ねぇ……」

 正面で紅茶を飲み進めていた優希が、顔を向ける。

「なんか言いました?」

「いや別に」

 目的の個所を読み終えた律は雑誌を閉じ、となりに置いた。カップを手に持ち、背を持たれ、足を組む。

 天井を物思いに見つめながら、ちょうどよくぬるい紅茶に口をつけた。

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