誉れ高きプレイヤー 

文字数 1,580文字




 拓海が盛大な掛けを飛ばれてから、しばらくの日数が過ぎた。

 夕方開店前のAquarius(アクエリアス)で、シャンデリア下のソファ席に座る拓海は、スマホを見つめている。女性とやり取りする顔は、前のようにがつがつとはしていない。疲れ切った表情で、大きくため息をついた。

「飛ばずに連日出勤なんて偉いじゃん」

 甘い声と同時に、何かがばさりとテーブルに落ちた。厚みのある、白い封筒だ。何事かと顔をゆがめると、正面の丸椅子に律が座った。

 拓海はとげとげしい声で返す。

「飛んだところで俺の借金なのは変わりませんから」

「だからって逃げない男気はよし。少し見直した」

「役職でもないくせになんなんすか」

 態度は相変わらずだが、以前より勢いも敵意もない。

「で、これなんすか?」

 拓海はテーブルの封筒へ顎をしゃくる。

「三百万。やるよ」

「はあ?」

 拓海の声がひときわ響いた。

 店内を掃除するホストたちが顔を向ける。ひと悶着(もんちゃく)あった二人が座る卓席から、緊張が走っていた。誰一人としてその卓席に近づこうとはせず、何が起こるか遠巻きに目を向けるだけだ。

「おちょくってんすか?」

「そう思う?」

 イラ立っている拓海に対し、律は平然と返す。

「先月の売り上げ、半分以上の額を飛ばれたわけだろ? さすがにかわいそうだと思って」

 反論はなかったが、拓海の顔に青筋が浮かぶ。律は封筒を手で指し示した。

「ほら、受け取れよ。デリヘルで働かせた女の子にもらえなかったぶんだぞ」

 拓海のこぶしが、テーブルを打ち付けた。再び周りのホストたちが顔を向ける。一触即発といった空気に、誰も物音を立てられなかった。

 拓海は歯ぎしりをしながら、打ち付けたこぶしを震わせる。その姿を、律はいつものように、冷ややかな目で見つめた。

「ほんとうは、喉から手が出るほど欲しいくせに」

「そんなはした金いらねえっす」

「ふうん? いらねえの? じゃあ、自腹切るんだ?」

「先月分がチャラになるくらい売り上げ出しますから。律さんのお情けはいりません」

 もはや意地だ。あんなにもおちょくった相手におこぼれをもらうなど、プライドが許さない。

 律はあきれつつ、息をついた。

「もう一度確認してやる。この金、いらないんだな?」

「ええ」

「これで自分の借金が楽になるのに?」

「しつこいっすよ、自分で払うっつってんでしょ」

「俺がわざわざ、渡してあげてるのに?」

 拓海は再び、テーブルを打ち叩く。

「いらねえって言ってるでしょ! 何度言わせればわかるんすか! いい加減にしてくださいよ。さんざん人のことコケにしやがって!」

「それをきみが言うんだ?」

 肩で息をする拓海に対し、律は終始落ち着いていた。

「ふうん。そう。わかった。いらないんだ? じゃあこれは俺の金ってことで」

 封筒を取り上げ、立ち上がる。封筒を口元にあてながら、ほほ笑んだ。

「助かったよ。こっちも借り逃げされた身だったから」

「……はあ?」

「ありがとね、拓海くん」

 多くを語らず、封筒をジャケットの内側に入れる。壁際で一連のやり取りを見ていた店長のもとへと向かった。今日は同伴することを告げ、店をあとにする。

 まるで嵐が立ち去ったかのようだ。律にもてあそばれた拓海は、背もたれにのしかかってため息をついていた。

 ホストもスタッフも、通常どおりに開店準備を進めていく。

 ミーティングの準備を終えた志乃が、店長のもとに近づいた。店長とともに、拓海がいるソファ席へ体を向ける。

「ほんと、ウチのナンバーワンってマジでいい性格してますよね」

「今に始まったことじゃないけどな」

 

          †



 風俗経営者でもあり、ナンバーワンホストの律。

 人が増え始めた繁華街の通りを、堂々と、機嫌よく歩いていく。

 今日も彼を求める客は、ひっきりなしにやって来ることだろう。 楽しくて輝かしい幸せなひと時を求めて。

 それは律も、望むところだ。

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