たとえどんな女性でも 1

文字数 3,448文字




 ホストクラブAquarius(アクエリアス)では、シャンパンコールが響き渡る。女性のコメントが続き、再びコールが繰り返された。

「旅行楽しかったね~。今度は海外行こうね~よいちょ~」

「今日アフターでホテル行く約束したから入れましたっ。よいちょっ」

 女性のコメントラリーがしばらく続いている。指名のホストがかぶっている客の、札束で殴りあう戦争だ。激しいシャンパンコールと女性の興奮した声は、VIP席にまで聞こえていた。

「なに? 律もああいうことされたいわけ?」

 ドアに顔を向けていた律は、隣に座る女性に視線を戻す。紺色のパンツスーツで決めた、キャリアウーマンらしき女性だ。少し不機嫌に眉を寄せ、律を見つめている。

「まさか」

 律はふにゃりと笑った。

「あんなに目立ちたくないもん。あおいさんと一緒にいれるならそれでいい」

 語尾にハートがつくような甘い話し方に、女性は毅然(きぜん)とした態度で返す。

「はいはい、あたしにはそういうの通用しませんから」

「ほんとなんだけどな~」

 VIP席は個室となっており、スタッフもヘルプもいない二人だけの空間となっている。他の席に比べれば、静かでゆったりとした雰囲気を味わうことができた。

「まあ、VIPのうえにこんだけ頼んでたら出たくても出られないでしょうよ」

 テーブルには、シャンパン、ワイン、ブランデーの高級ボトルがひしめき合っている。

「残念だったわね。このあたしから逃げることができなくて」

「この時間がずっと続けばいいとは思っても、逃げたいなんて思ったことはないよ」

 頑張って飲んでいた律は笑いながらも、吐かないよう必死に肩で呼吸していた。VIP席の客に対して、席を抜けることは一切ない。つまり、休憩をはさむことはできないのだ。

「……強がりねぇ。無理しなくていいのに」

「ごめん、でも、せっかく頼んでくれたから。無駄にしたくないし」

 律は顔色を悪くさせながらも、けなげに笑う。

「あのね、律。あんたをつぶすために頼んでるんじゃないのよ」

「わかってるよ、ありがとう。でもごめんね。一緒に飲み進めることができなくて」

「なにいってんの。あんたが飲めなくても私が飲むんだからいいんだって。それに、店のあとも仕事が控えてるんでしょ? 無理しなくていいから」

 律は眉尻を下げながらほほ笑んだ。ノックの音が響き、スタッフが顔をのぞかせる。セット終了の時間が近づいていることを知らせに来た。

「うん、じゃあ、そろそろ帰るわ。律のためにじゅうぶんお金は落としたからね」

 スタッフは伝票を取りに行くため、一度離れていく。そのあいだ、女性はいそいそと身支度をしていた。その姿を見すえながら、律は口を開く。

「なんだか、あっという間だね。またしばらく会えないんだ。……寂しいな」

 律の甘い声を前にして、女性は一切なびかない。

「あんたの売り上げのために毎月来てあげてるでしょ」

「そうだね。でも寂しい。お互い忙しいのはわかってるけど、一か月に一時間だけっていうのはなんだか短いような気がする」

 ふと、何かを思いついたように、女性に向かって手を広げた。

「ねえねえ、あおいさん。ハグしよ~」

 とろけるような笑みを見せる律に、女性は顔をゆがませた。

「え? なに? 酔ってんの?」

「酔ってる酔ってる。まだ二人きりなんだし、ちょっとくらいいいじゃん。お互いにアフターも枕もできないしさ。……嫌?」

「あんたそれ、私以外にもそういうことしてるでしょ。金使ってる女全員に」

 しかし女性はまんざらでもないようすで、律の頭をぽんぽんとなでる。

「って、わかってても嬉しいんだよなぁ。あんたは罪作りなオトコだわ。でも、そんなことしなくても、また来てあげるよ」

 結局、律は女性と必要以上のスキンシップをしなかった。

 会計を済ませた女性を、店の外まで送る。お互いに笑顔で別れた。

 店に戻った律は、近づいてきたスタッフに素っ気なく伝える。

「ごめん、ちょっとトイレに行ってもいい? 少しはいておかないとつらい」

「大丈夫ですか? 結構飲んでましたもんね」

「吐き戻す時間くれるなら平気」

 その後トイレで軽く吐き、次の客がいる壁側のボックス席へと向かう。

「やっと来たのね、律~。ほんとはVIP頼もうとしたんだけど、予約取れなくってぇ~」

 そこには、落ち着いた色のワンピースを着た中年の美女が座っていた。

 Aquarius(アクエリアス)は老舗の高級店であることが売りになっており、ビジュアルも接客も質が高い。そのため、客層も若年層にとどまらなかった。特に、律指名の客層は幅広い。

 律が隣に座って早々、女性は抱きしめる。

「律~」

「うっぷ……」

「あ、ごめんなさい。別のところでたくさん飲まされたのね? だめねえ、律をこんなになるまで飲ませるなんて」

 その卓も、先ほどの卓に負けていなかった。デザイン性の高い飾りボトルでテーブルが埋め尽くされている。とにかく派手で見栄えが良く、飲むよりも置いて見せつけるためのものだ。

「大丈夫よ。ここはお酒一滴も飲まなくていいからね。お話しもしなくていいわよ、ここで休んでいって」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

「座るのもしんどいなら膝枕してあげようか?」

「ううん。大丈夫。そんなことさせたらさすがに怒られちゃうから、店長に」

「え~、残念」

 律は女性の肩に頭をのせ、目をつむる。疲れ切ったようにため息をついた。

「重いでしょ? ごめんね」

「ぜーんぜん大丈夫」

 女性は終始ニコニコしたままだ。金を使ったからこそ律を独り占めできる。その優越感に満ちていた。

「ほんとうにごめんね、せっかく来てくれたのに。俺、何もしてあげられなくて」

「律が気にすることじゃないよ。律にここまでさせる他の客が悪いの!」

「でも……あ、じゃあ今度、お店の前にご飯食べに行こうよ」

「同伴ってこと?」

「どうせならシラフのときにちゃんと会話したいからさ。俺がいないからってよく延長を繰り返してるでしょ? 店に来てもらってるのに毎回申し訳ないから……」

「ありがとう、律。そう言ってもらえてうれしい」

 しばらくして呼び出された律は、吐き気を引きずりながら別の卓席に向かう。

 店を象徴するシャンデリアの下。U字型に囲むよう配置されたカップル席のウチの一つ。

 そこには黒髪の若い女性が、暗い顔で待っていた。となりで接客していたヘルプが、気まずそうな顔をして抜けていく。

「遅い」

 不満げな女性に対し、律は硬い表情で隣に座った。

「はいはい、お待たせ。早く戻ってきたかったんだけど、酒飲んでふらふらでさ」

「ずっと待ってたんだからね。あと少しでシャンパン頼んでマイクやろうかと思ってた」

「あーだめだめ。これ以上のオーダーはNGね。俺のことつぶす気?」

 女性はムッとした表情で返す。

「いや、ホストなんだから、売り上げがあってなんぼでしょ? それに……他の客に律のこと見せつけられたみたいでいやなんだけど」

「しょうがないじゃん。これも仕事だし」

 キレイに整った顔で強気に笑い、女性の顔に寄せる。

「ていうか、俺酒苦手だし。俺の酒に使うより、一緒に買い物行ってかわいい服買ったほうがよくない?」

「それってデートってこと?」

「そう受け取ってもらって構わないけど」

「じゃあ、そのあとホテルとか……」

 寄せていた顔を、さっと引く。

「あぁ、きみってそんなに軽い女の子だったっけ? 俺、嫌だな~そういう子。枕とかしない主義だから。どうせ他のホストとも寝ちゃうんだろうなって思っちゃう」

「……そんなことしないし」

 女性が不満げにうつむいたそのとき、スタッフが呼びに来た。

「え、なんで、今ついたばっかじゃん!」

 律は女性の背中をぽんぽんと優しくたたいた。

「大丈夫。また戻ってくるから」

「でも~……」

「いい子にして待ってたら、すぐに戻ってくるかも」

「……わかった。ちゃんと待ってるから。絶対すぐに戻ってきて」

 席を立ち、ヘルプと交代する。手を振って、背を向けた。とたんに、ヘルプをいびる女性の声が背後から聞こえはじめ、頭を抱える。

 とはいえ、重要なのは、女性に対していかに『律がいい』と思ってもらえるか、だ。『酒をいかに入れてもらうか』は二の次。

 女性にとって、百点満点でなくてもそれに近い接客で仕留ていく。

「お、律戻ってきた。お帰り~!」

 次に向かったボックス席には、派手な金髪女性が座り、ヘルプ数人で盛り上がっていた。

「なに? ツバキちゃんってば俺が戻らないほうが楽しそうじゃん?」

 律は不満げに口をとがらせながらとなりに座る。
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