ボタンの掛け違い 2

文字数 2,270文字



「俺以外のホストだったら喜んでいれたんだろうね。今日は結構な額を財布につめてきてるんだろうし」

「二回目来たらいいって言ったじゃん! あんたのことも指名してるし」

「でも、きみはきっと、予算以上のものを注文しちゃうでしょ」

「そんなの、入金日までに金を持ってきたらいいだけでしょ。わたしだってそれなりに稼げるし」

「ツケろってこと? 会うのも二回目で、俺はきみの名前も連絡先も知らないのに?」

 女性は目を血走らせながら、顔を伏せる。感情的になるのを必死に抑え込んでいるのか、膝の上にあるこぶしは震えていた。

 ここまでくると、余裕のない女性の言動一つ一つがかわいらしく見えてくる。

「たとえ信頼関係があったとしても、売り掛けはさせないよ。別に、シャンパンをいれてほしいわけじゃないんだ、俺は。一緒にいる時間を楽しいって思ってくれるならそれで」

「ホストのくせに何きれいごと言ってんの? 金と売り上げこそ正義の世界じゃん! どうせおまえも、最初はそう言っておきながら、売り上げ出せなきゃ簡単に捨てるくせに!」

 律の眉尻が、下がる。

「俺は、俺に会いに来てくれるその気持ちを大事にしたいんだ。苦労させてまで通わせたいとは思ってない。実際、お酒飲めないけど通ってくれてる子はいるし」

「ああ、さっきまで一緒にいたオバサンみたいに?」

「そうやって、他人をおとしめないと満足できないの?」

 冷静な指摘に、女性の顔には青筋が浮かぶ。

「きみはとてもかわいくて魅力的なんだから、人をわざわざ下に見る必要なんてないのに」

 何を言っても伝わらないことは、律もわかっていた。

 彼女は、ホストクラブに慣れすぎている。金を出せば出すほど男性にチヤホヤされ、感謝され、大事にされると思っている。金がなければ一気に見捨てられる、ということも学習してきた。

 ホストクラブでは金を持っているものが絶対的な正義。金でしか自分の価値を示すことができない場所。

 それを覆すようなことを言う律に、混乱してわめき散らすのも当然だ。

 これは、律のエゴだ。自分のせいで女性に傷ついてほしくないがためのエゴ。体を犠牲にして貢がれても、律にはそれに見合ったものを返せはしないのだから。

「金を使うことだけが愛される方法じゃないし、金だけがきみの価値じゃないよ。俺のこと、まだ信用できないだろうけど。一緒にいることで、少しでも自分の価値に気づいてほしいなって思う」

「ホストのくせに説教してんじゃねぇよ」

 うつむく女性の声は、震えていた。

「じゃああたしは、何も頼めないわけ? 酒も頼めない、シャンパンもたのめない、……あんたは他の金持ちババアのとこへいく。あたしがなんのためにホスクラ来てると思ってんだよ」

「誰かに必要とされたいからだよね?」

 ここにいるホストの誰よりも、甘く、優しい声だった。が、女性は敵意をむき出して、テーブルにこぶしをたたきつける。

「じゃあどうやったらあんたはあたしとアフターすんだよ! 結局は金次第だろうが!あたしはそれ以外に望んでねえんだよ! ホスクラなんて金出したやつがいつだって勝ちだろうが!」

 この仕事をして、もう長い。この世界、金がすべてだ。救いなんてない。

 そんなことはとっくにわかっている。自分がどうにかしてあげようにも、伝わらずに変わらない相手はザラにいる。

 伝わらない経験をするたびに傷ついて、自身がまだ甘ちゃんであることを、嫌というほど思い知らされる。

 誇り高きナンバーワンも、しょせんは未熟な青二才だ。

「言っとくけど、俺が枕をしないのはウソじゃないからね」

 涼し気な笑みで、女性を見下ろした。

「さっきも言ったよね? 俺は俺に会いに来てくれただけでうれしいよ。そんなきみのことをもっと知りたいと思ってるんだ。きみの名前すら、知らないわけだし」

「……んだよ、それ……」

「さっき話してたとき、すごく楽しそうな顔してたじゃん。その顔が見れるだけで全然いい。きみが金を出さなくても楽しめるように、俺が頑張るからさ」

 律は女性の肩に触れ、穏やかに続けた。

「無理、しなくていいよ。そんなに生き急がなくていい。お互いのこと、ゆっくり知っていこ」

 一瞬のでき事だった。律にも何が起こったのか理解が追い付かない。

 律の額に走った衝撃。周囲の悲鳴が聞こえたかと思えば、すぐに静まり返った。

 鈍い痛みとともに、目の前にチカチカと星が舞う。かと思えばそれは、席の上につられたライトの明かりで――。

 律は額に手を当てる。そのとなりで、女性が灰皿を振り上げていた。

「ふざけんなよ! この偽善ホストクズ野郎が!」

 振り下ろされる前に、かけつけたスタッフが女性の両手をつかんで止める。

 律はのんきに、額に当てた手を見つめていた。手のひらは真っ赤に染まっている。もう一度触り、骨が変形していないことを確認した。意外にも頭蓋骨は丈夫にできているようだ。

「くそがっ。はなせよ!」

 激しく抵抗している女性を、スタッフ数人で必死におさえている。別のスタッフが律にかけより、腕を肩に回して立ち上がらせた。

 支えられながら離れていく律の背中に、怒声が放たれる。その声は、涙交じりだ。

「この……さっきからあたしのプライド踏みにじりやがって! てめぇみたいなのがナンバーワンとかふざけんな! 」

 頭がくらくらする。スタッフに遠慮しようとするものの、自分では歩けない。スタッフに体をあずけるしかない。

「おい! 逃げんな! そのツラボコボコにしてやっから! うだうだ説教垂れ流しやがって! ホストなんか辞めちまえこのばーか!」

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