常識知らずの訪問者
文字数 2,361文字
女の子の移動が重なり、事務所は忙しくなる。メイコは新たに車を出し、律と優希が事務所に残った。優希と一緒に電話対応に追われ、女の子の状況をホワイトボードに記入していく。
「もっとさ、お客さんとか女の子の状況ぜんぶ、パソコンで管理したほうがいいと思わない?」
ボードを見つめる律は、マーカーペンを器用に回し始めた。パソコンで作業をしていた
「それは願ったりかなったりですけど、業務管理用のソフト買って、部長とかメイコさんが使い方慣れないと……ってはい! プラチナムラテです! ……ひとみさんですか? ええと……」
対応に追われる優希を横目に、律はマーカーペンの蓋を開ける。優希の話声に聞き耳を立て、予約が入った女性の記録をホワイトボードに書き記した。
「……絶対一括で管理できるようになったら楽だと思うんだけどな」
深夜二時を越えると忙しさはおさまった。女の子たちは順に帰される。送迎を終えた部長とメイコが、事務所に戻ってきた。
出迎えた律は、紅茶の入ったカップ片手に、部長を見て洋室へ入るよう顎をしゃくる。先に入り、ソファに腰をおろした。
正面に座った部長に、冷静な顔で穏やかに声を出す。
「助かったよ、ありがとう。近澤さんに連絡入れてくれて」
カップに息を吹きかける律に、部長は首を振った。
「いや。たまたまメールが来てたからな。ついでに電話させてもらっただけだ」
部長はおもしろいものを思い出したかのように、口角を上げた。
「そういやホスクラでロマネコンティいれたんだって? またクソ高いもんを。あの近澤さんをよく動かしたな」
「別にいれさせるつもりはなかったんだけど」
ポーカーフェイスだった律も、思わず苦笑した。
「申し訳ないことしたよ。デカい借りを二つも作っちまった」
「あとでだいぶこき使われるぞ、あんた」
「あー、ほんとだよ。頭痛くなってくる」
頭を抱えて息をつく律に、部長は腕を組んだ。真剣な顔つきに一変し、声も低くなる。
「とはいえ、まさか近澤さんの会社にレミのやつがいるとはな」
「まあ、確率的にそうだろうとは思ってたよ。この業界は狭いし、近澤さんの息がかかった店は多いしね」
部長の前に、優希がいれたての紅茶を置いて立ち去る。部長はすぐに持ち上げた。
「そうでなくとも関係各所に話は広めてる。レミがこの業界で稼ぐのはもう無理だろうな。激安ソープとか違法なガールズバーあたりはいけるだろうが。それで派手に稼げるかどうか……」
一口飲んで、首を振る。
「無理だな。ここでも頑張れなかった子なんだから」
律は、自身のカップから湯気が上がっていないのを確認し、口をつけた。ちびちびと飲み進めている律に、部長は続ける。
「ほんと、バカなやつだったな。おとなしくオーラスで借金返してくれたら、きれいにやめられたってのに」
「そうだね」
律はカップに視線を落とし、真剣な顔で考え込む。一口飲んで、冷静な声を出した。
「ちょっと、部長に相談があるんだけど」
「なんだ? まだなんか不満でもあんのか?」
「ああ、いや、女の子についてはもう何も。仕事での改善点をどうしようかと思って」
ソファに浅く座りなおし、カップをテーブルに置く。洋室は一転、ビジネスの神妙な空気に満ちていった。
「ああ、スタッフの数が足りない、とか?」
「そう思う? 求人もうちょっと増やしてみる?」
「そうだな~。ドライバーはもう少しいてほしいところだな。事務所に優希と社長だけってのも心もとないし」
「なるほどね。近いうちにネットで管理システムの導入を考えてるんだけど、どう?」
「負担が軽くなるならいいんじゃないのか? ……しかし覚えることが多そうだな~」
「慣れたら仕事が早くなると思うよ? 優希にも話したけど悪くはない反応だったし」
真面目な声色で話す二人のもとに、大きな声が割り込んだ。
「すみませ~ん、女の子つれてきたんですけど~」
話は一時中断。律と部長はリビングのほうに顔を向ける。
声はミズキのものだった。玄関から歩いてくる足音が続いている。
リビングでホワイトボードに記入していたメイコが、廊下のほうに顔を向けた。
「ああ、面接のね。ちょっと待ってて」
洋室にいる二人に、ぺこぺこと頭を下げる。
「すみません、そこ使っていいですか?」
洋室にいる部長と律は、顔を見合わせた。
通常、風俗の面接は昼や夕方ごろに行われる。夜から深夜帯にかけては忙しくなり、その後はミーティングや終業整理だ。経営者側として一番避けたい時間帯だった。
「めずらしいね、この時間帯に」
部長はうんざりとした顔で肩をすくめた。やはり部長にも理解できない事態のようだ。
律は自身のカップをもって立ち上がり、メイコに顔を向けながら洋室を出る。
「メイコさん、俺も面接に加わっていい? どういう人か気になるか……ら……」
リビングのドアに顔を向けると、見知った顔がそこにあった。
ミズキの隣にたたずんでいるのは、以前、律を灰皿で殴った上に、拓海指名でなかなかのことをしでかしてきた、あの女性だ。
律に気づいて目を見開き、口をパクパクと動かしている。
「な、あ……」
真っ青な顔で指をさしてきた女性の姿に、額の痛みがぶりかえしてきた。手で押さえると、メイコが心配そうに尋ねてくる。
「社長……大丈夫ですか?」
「ああ、うん、大丈夫」
律は女性を見据え、
「俺も一緒に面接するよ、メイコさん。彼女の名前くらいは、知っておきたいしね」
経営者としての格と立場をみせつける。
使う側と、使われる側の構図。使われる側は使う側の一声で進退が決まる。
今にもここから逃げ出したがっている女性の心情が、律には手に取るように理解できた。