まさかの頼みごと

文字数 2,161文字




 いつものようにホストクラブでの営業を終えた律は、店の出入口に向かっていた。

 レジカウンターに差し掛かったところで、呼び止められる。

「律くん」

 振り向いたそこには、千隼がいた。真剣で、不安げなまなざしを向けている。

「ちょっと、いい、かな? お願いしたいことがあって……」

 断っていいか聞くのをぐっとこらえる。前回首を突っ込んだ手前、拒絶しにくい。

 律はフロアを見渡し、店長がいないことを確認すると、不愛想な顔でうなずいた。

 先にひと気のないボックス席に座らされ、千隼を待つ。戻ってきた千隼の手には、白湯の入った紙コップが握られていた。

「はいこれ、酒飲んだあとにいいよ」

 千隼は律の前に置く。紙コップからは湯気がのぼっていた。

 白湯の存在にいつぞやの記憶がよみがえった律は、既視感を覚える。

「……そういえば千隼さん、ミーティングじゃないんですか」

「ん?」

 千隼がとなりに座った。律は怪訝(けげん)な表情を浮かべるも、あえてこの状況に突っ込みを入れることはない。誰にも聞かれたくない話なら、近い距離で話したほうがいい。

「それがねえ、他の幹部たちに後輩の指導が入っちゃって」

 千隼は朗らかに笑う。

「ミーティングは掃除のあとにやることになったんだ」

 律は遠くの卓に視線を向けた。役職付きと新人ホストたちが集まり、なにやら話しこんでいるのが見える。

 別の卓席では他の役職付きが座り、客と電話しながらアフターの都合をつけていた。それ以外のホストたちは店の掃除をせっせと頑張っている。

 視線をとなりの千隼に戻した。

「で? 俺になんのようですか?」

 彼女絡みだということはわかっていた。

 不愛想な顔で紙コップを手に取り、息を吹きかける。

 千隼は少しためらいつつ、真剣に口を開いた。

「俺に、彼女がいるってことは、前に話したよね?」

 いつもより小さい声だ。周囲に聞かれないよう気にしている。

 律も同じように声を抑えた。

「ええ。言ってましたね」

 白湯をおそるおそるすすった。

「それで、さ。……律くん、俺の彼女に、会ってみてくれないかな?」

 紙コップに口をつけたまま、律の動きはとまる。その反応に、千隼の表情はバツの悪いものへと変わった。

 律は口からコップをはなし、冷ややかに返す。

「会ってどうするんですか?」

「とりあえずは、会ってくれるだけでいいよ。それで、その、律くんには、彼女がどういうふうに見えてるのか、教えてほしいなって……」

「彼女がいい女だっていうのは、千隼さんが一番よくわかってるでしょ」

「そう、なんだけど……」

 千隼の表情に、だんだん影が差していく。

「こないだ、ちょっと話しただろ? それで、まだ、迷ってて……。俺には、仕事を取るか、彼女をとるか、選べないから……」

 そこで初めて、律の眉が寄った。

「律くんはほら……別の仕事もあるし、普通の人よりも女性と接することが多いじゃん。俺よりも女性の本質? みたいなの、わかるよね」

 優柔不断にもほどがある。大事な人生の決断を、他人に委ねようとしているのだから。

「千隼さんはそうやって、自分の大事なこと人に決めさせるタイプなんすね」

 不快さを前面に出した声だ。千隼は必死に首を振る。

「ごめん。そういう、ことじゃなくて。いや、そう反応されてもしかたないとは思う。でも」

「今までの付き合いで、彼女と結婚すべきかどうかも判断できないって、どうなんですかね?」

 千隼は何も言い返せず、うつむいた。千隼のほうが年上のくせに意気地がない。律が情けなく思えてくるほどだ。

「仮に、彼女がいい子か悪い子か俺が断言したとして、千隼さんはそれをうのみにして判断するわけですか?」

 まっすぐに千隼を見すえる律に対し、千隼は目を合わせようとしなかった。

「俺が結婚しろって言ったら結婚できるんですか? 別れろって言ったら別れるんですか? 仕事辞めろって言ったら辞めるんですか? 俺の言葉で簡単に決断できるほど軽い選択なんすか?」

「……だって」

 千隼は眉間にしわを寄せ、口を閉じる。それ以上はなんとしても言おうとしない。

 自分の中で思うことがあるはずなのに、自信をもって主張はできない。

「ごめん、でも、会ってくれるだけでいいんだ。ほんとうに。別に、それで決めようとは、思ってなくて」

「お断りします」

 律はため息をつき、白湯に口をつける。まだ我慢できないほどに熱いものの、必死に耐えながら飲み進めた。

「俺、そんなめんどくさいことには協力しない主義なので。他を当たってください」

 千隼の表情は、叱られた子どものようだった。それでも、気にしていないように装って、ぎこちなく笑う。

「そう、だよね。ごめん。変なこと頼んで」

「決断は早いほうがいいですよ。悩んでる間、彼女は待たされるわけですよね? そっちのほうがかわいそうです」

 まだたくさん残っている白湯を、一気に飲み干した。喉に熱さが通ったのを実感し、大きく息をつく。

「なにがなんでも、自分で決断すべきですよ。こういうのは」

 千隼は目をそらし、なにも返さなかった。律はそれ以上言うことなく、立ち上がる。

 卓席を抜け、近くを掃除していた新人ホストのもとへ向かった。

「これ捨てといて」

 紙コップを渡し、早々に店を出る。

 残された千隼が、つぶやいた。

「ほんと、強いなぁ……。うらやましい……」



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