彼の名は律 1

文字数 2,080文字




 おしゃれなジャズのBGMは、シャンパンコ―ルにかき消されていた。

 高級ホテルのラウンジを思わせる上品な内装。店を象徴する豪華絢爛(けんらん)のシャンデリア。その下に高く積まれているのは、シャンパンタワーだ。

 ホストたちが囲み、とにかく盛り上げている。担当のホストに肩を抱かれた女性が、マイクを渡された。コールに促され、担当への愛を誓う。

 オールコールでホスト全員が集められている中、壁際のボックス席からその光景を見すえるホストがいた。

 はっきりとした目鼻立ちの華々しい顔に、光り輝く金髪。一目でブランドものだとわかる黒いスリーピーススーツ。いかにもなホストだ。

 そのとなりには、仕事終わりにそのまま来たような、スーツ姿の女性が座っていた。

「……ごめんね、(りつ)くん。その……ボーナス出たら私もおろすから」

 律の顔が女性に向いた。誰もが卒倒するような、甘い笑みを浮かべる。

「なにいってんの。週一で会いに来てくれてんじゃん? それだけで励みになってるよ」

 派手な外見にもかかわらず、知性と品を感じさせる。コールに夢中になっているホストたちに比べ、言動が落ち着いているからだろう。

 非現実的な夜の世界で、王子様と呼ぶにふさわしい身のこなしだ。

「でも……」

「エリちゃんは、ああいうのやりたい? ホストみんなが集まって、お姫様よいちょ~!ってやつ」

「よいちょ? なにそれ」

 女性はくすくすと笑いながらも、遠慮がちに返す。

「でも、律くんはうれしくない? 今日の売り上げは俺が高いんだぞってアピールできるんでしょ?」

「俺、ああいう騒がしいの苦手なんだよね。エリちゃんもでしょ?」

「そうだけど……」

「いいんだよ。俺はエリちゃんと一緒にいるだけでいい。他のホストに盛り上げられるより、こうやって二人で静かに過ごしたいんだ」

「うん。私も、二人でいたい……」

 女性は恥ずかしそうにはにかむ。

 たとえウソだったとしても、この場で女性を喜ばせることができるならそれでいい。

 律がグラスを持ち上げ、口に近づけたときだった。卓に近づいたボーイが目を合わせ、軽く頭を下げる。呼び出しのサインだ。

 眉尻を下げ、女性に耳打ちした。

「ごめんね、呼ばれちゃった。いかなきゃ」

 持っていたグラスを卓席に置く。女性は寂し気に笑った。

「律くんは人気者だもんね。しょうがないよ」

「大丈夫、また戻ってくるから。じゃあ行ってくるね」

 律は席を立ち、ヘルプのホストと交代した。



          †



 ここはカシオペアグループの一号店「Aquarius(アクエリアス)」。歓楽街の中でもトップレベルの高級ホストクラブだ。ネオンで輝くビルの地下にあり、フロアの広さは歓楽街で一、二を争っている。

 初心者の女性が最初に薦められる店であり、各業界のVIPがお忍びでかよう店だ。ホストクラブと聞いて、ここをイメージする者は多い。

 長年続く老舗であり、ホスト全員がスーツという文化も変わっていない。品位とおもてなしが売りのこの店に、客足が途絶えることはなかった。

 スタッフに指示を受けた律は、レジカウンターへと向かった。その対面にある店の出入口には、いかにも夜の仕事、といった派手な女性が立っている。

 スタッフがすでに出迎えているというのに目もくれない。かと思えば、律を見て満面の笑みを浮かべた。

「律~! 来ちゃった~!」

「いらっしゃい、つばきちゃん。お仕事おつかれさま」

「律のために早上がりしたんだから感謝してよね~」

 スタッフに促され、二人は一緒に卓席へ向かう。そのあいだも会話が途切れることはない。

「来てくれてうれしいけど、仕事は大丈夫だった?」

「今日は平日だからお客さん少ないの。まあ、律は私がいなくても客がたくさん来るんだろうけど」

「わかんないよ? 今日はつばきちゃんが俺のこと独り占めできるかも」

「律を独り占めできた夜なんてありませんけど~?」

 卓席に着くと、律は用意されていた水割りセットに手をのばす。となりに座る女性に体を向けながら、グラスに氷を入れていった。

「焼酎で良かったよね? あ、今日お酒結構飲んでるでしょ? 酒の量、少なめにしとくからね」

「え~っうれしい~。今日ドンペリ下ろそうと思ったけどいいんだ?」

「しなくていいよ、別に。ツバキちゃんがべろべろになって帰れなくなっても困るもん。ツバキちゃん一人で全部飲もうとするし」

 作った水割りを、はい、と渡す。

「う~わ、ショック~。俺が責任もって送っていく、とか言えんもんかね~」

 そう言いつつ、女性は水割りに口をつけた。律との会話は途切れることなく盛り上がる。それも数分とたたずに終わった。卓席に近づいてきたスタッフが、律を呼び出す。

「ほらやっぱり~、あんまり放置したら帰るからね~?」

 すねた口調の女性だったが、律は冷静に返した。

「怒んないでよ。どうせ俺以外の男でも満足するクセに」

「あははっ。こないだヘルプと盛り上がってたのまだ根に持ってんだ? 戻ってこない律が悪いんじゃ~ん」

 女性は律の二の腕を人差し指でつつき、機嫌よくケラケラと笑う。律も笑いながら席を立ち、ヘルプと交代した。

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