ベテランのご意見 1

文字数 2,238文字




 紅茶を飲み干した律は、カップを流しに置いてデスクに座る。ノートパソコンを開き、今日の売上を確認し始めた。

 ななめどなりの席では優希が日報を記録し、反対側ななめ前の席で、メイコがスマホを耳に当てている。終業前の業務に追われ、リビングの空気は引き締まっていた。

「うん、伝えておきます。……はい。気を付けておいでね」

 電話を終えたメイコが、律に顔を向ける。

「社長、ミズキくんから連絡あったんですけど、今から夏妃さんを事務所に連れてくるそうです」

「夏妃さん? なんだろ?」

「渡したいものがあるって言ってました」

「ふうん?」

 夏妃が来るまで、律とメイコたちは作業を続ける。

 しばらくして、事務所の玄関が開く音と、若い男性の声がリビングに届いた。

「お疲れさまで~す」

 スーツ姿の青年、ミズキがリビングに顔を出す。律が不愛想に「お疲れ」と返した。

 ミズキはPlatinum(プラチナム)系列のドライバーだ。黒い髪に、前髪の金色メッシュが映えている。歳は優希とそう変わらない。

 その後ろから遅れて入ってきた夏妃に、律は女性向けのキレイな笑みを浮かべた。

「お疲れ様です、夏妃さん」

「ごめんなさいね、社長。仕事の邪魔しちゃって」

 夏妃は、地方に売っている土産菓子の袋を下げていた。

「お客さんからお土産をもらったから渡そうと思ったの。……ああ、ちゃんと確認したわ。変なものは入ってない。そういうお客さんじゃないしね」

 まれに、風俗嬢は客から嫌な手土産をもらうことがある。食べかけのケーキや唾液入りの手作り菓子など、常人には理解できないようなものだ。
 そういったものは、スタッフで処分することになっていた。

「ひいきしてくださるお客さんが地方に出張に行ったんですって。そのお土産。みんな気に入ると思うわ」

 律が立ち上がり土産を受け取りに向かう。

「わざわざありがとうございます、夏妃さん」

 受け取った袋はズシリと重い。チラリと中を見れば、色の違う小箱がいくつも入っている。

「たくさん入ってますね。ウチのスタッフ全員甘いもの大好きなので、嬉しいです」

「それはよかった」

「せっかくですから一緒にどうですか。夏妃さんさえよければですけど」

「あら、いいの? ご迷惑じゃない? 明日の営業の準備もあるでしょうに」

「夏妃さんが気にすることじゃありませんよ」

「……そう? じゃあ、ご一緒させてもらおうかな」

 律はホストさながら、洋室に手を向ける。

「では、こちらにどうぞ。……メイコさん、紅茶の用意を」

「わかってます!」

 律から土産を受け取ったメイコは、意気揚々とキッチンへ向かう。

 その姿に、夏妃が喉を鳴らした。律に言われたとおり、先に洋室へ向かう。

「あら、部長じゃない。お疲れさま」

 自身のカップを持って出ようとする部長と、鉢合わせた。

「お疲れさまです、夏妃さん」

「あんたも大変ねえ、カナさんにつきっきりって。自由に動き回れないでしょ」

「いえいえ、これも仕事のウチですし」

 部長は律を一瞥(いちべつ)し、夏妃にほほ笑む。

「では、ごゆっくり」

 すみやかに部屋を出て、自身のデスクに座った。

 洋室に入った夏妃は、ソファに浅く腰かける。背筋を伸ばして足をななめにする姿は、それだけで教養を感じさせた。

 正面に座る律に、夏妃は眉尻を下げた。

「やっぱり、まだ仕事残ってるんでしょ? 気を遣わせちゃってごめんなさいね」

 律は薄い笑みを浮かべ、丁寧に返す。

「お気になさらず。夏妃さんと話したいこともあったので。夏妃さんこそ引き止めてしまってすみませんでした」

「私はいいのよ。……話は変わるけど、体調は大丈夫? さっきからお酒とか……たばことか香水とかいろいろ匂ってくるけど」

「いつものことです。ご心配にはおよびません。不快な気分にさせてしまったら謝ります」

「ううん。私は大丈夫。大変よね、ナンバーワンホストも」

 キッチンのほうから、優希とミズキのはしゃぐ声が届く。

「やっぱりもみじまんじゅうだ! おいしいやつですよ、これ!」

「ねえ、なんか、いろいろ入ってるよ。チョコとかクリームとか、いろいろ」

 メイコが紅茶の準備をしているとなりで、すでに土産の箱を開けていた。

「ぬうう……いろいろあって選べない……」

「やっぱり安定のあんこじゃない? 他の味はさ、おうちに持って帰ろう。いいですよね? メイコさん」

「はいはい。わかったから、少し静かにしてて」

 洋室にいる律は苦笑する。

「すみません、騒がしくて」

「いいじゃない。にぎやかで。良い職場だわ」

 メイコが紅茶と菓子をトレーに乗せて運び、洋室のテーブルに置く。律の前に紅茶を置き、続けて夏妃の前に置いた。

「中身、あんこでよかったですか?」

「ええ、大丈夫」

 最後に、メイコは菓子ののった皿をテーブルの中央に置く。

 扉を開けたまま、キッチンへ戻っていった。

 優希とミズキは、まだ菓子を見てはしゃいでいた。紅茶片手に中身が違うものをいくつか取り出す。デスクに座る部長がそれに気づき、とりすぎだと一喝されていた。

 明るい声が続く中、洋室のソファに座る夏妃は紅茶を持ち上げる。口をつける直前、律が尋ねた。

「ご家族とは最近どうですか? 息子さんが試験を控えてると聞きましたが」

 夏妃はしみじみと答える。

「そうよ。国家試験がね。相対評価で決まるらしいから、高い点数とるほど有利らしくて、猛勉強中」

「旦那さんとも相変わらず?」

「そうよ。……ほら、お先にどうぞ」

 眉尻を下げる夏妃は、テーブルの菓子を手で示しつつ、紅茶に口をつけた。
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