崩壊の兆し

文字数 1,912文字



 拓海が向かう席には、若い女性がいた。リボンタイのブラウスにオレンジ色のフレアスカートをはいている。

 先日ツケの支払いしていた、あの女性だ。大人しく座っている女性のとなりに、拓海がどかりと座る。

「ありがと。来てくれて。やっぱり俺にはリオしかいねーわ。ほんとに困ってるときに来てくれるの、リオぐらいだし?」

 返事をせず、テーブルを見つめるリオ。そこには、前回までに頼んだ飾りボトルが並んでいる。

 反応が薄いリオの顔を、眉尻を下げてのぞきこんだ。

「もしかして、まだ怒ってる?」

「え? あ、いや……」

 顔を上げたリオは、ぎこちなく笑った。

「怒ってないよ。もう大丈夫」

「ごめんな。俺、デリカシーないほうだから、傷つけることも多いよな。これからリオのためになおすから……俺のこと、見捨てないで。こんなの、わがままだってわかってるんだけど」

「うん。心配しないで。見捨てないから。私も、拓海しかいないし」

 リオが笑えば拓海も笑う。

「ありがとう、じゃあ仲直りってことでシャンパンいれていい?」

「え?」

 リオの笑顔が引きつった。が、拓海はお構いなしに続ける。

「やっぱ人気なのはピンドンっしょ。……ピンドンはいりま~す!」

「いや、ちょっとま……」

 リオの断りもなく、勝手に注文を入れる。リオはもう、断るのを諦めた。

 ホストたちが集まってシャンパンコールが響き渡る。そんな空気の中、拓海に文句を言えるわけがない。

 お姫様のひとことでマイクを渡される。ぎこちない笑みで、仲直り宣言。それにこたえる担当ホスト。

 どんどん飲み干されていく酒に比例して、リオの目から光が消えていく。

 コールが終わり、ホストたちがはけていくと、リオは上機嫌な拓海に顔を向けた。

「すぐあいちゃったね、ピンドン。他のお酒も入れようよ」

「え? いいの?」

「いいよ」

 リオは、かわいらしい笑みを浮かべた。

「でもツケでいい? 拓海のためだったらいくらでも頑張って稼ぐから」

「リオ~。ありがとな~。最高だよ~」

 先ほどとは違う高級シャンパンを頼む。再びコールがはじまり、二度目のお姫様扱いだ。

 二本目のボトルが空き、他のホストたちと飲み干した拓海は口を拭う。

「ありがとう、リオ。これなら俺、ナンバーワンも目指せる気がする」

「ほんと? じゃあ、絶対にわたしが、拓海をナンバーワンにしてあげる。お金ができたら必ずここに来て使ってあげる。約束、ね」

 小指をたてた手を差し出すリオに、拓海は抱き着いた。

「リオ~」

 拓海の腕の中で、リオはずっと笑っていた。

 その目が鈍く光っていることに、拓海は気づかない。気づくそぶりも見せない。

「俺もリオのためにがんばるから! もし俺がナンバーワンになったら、ずっと一緒にいよう!」

「……うん」



          †



 休憩場所でもある厨房に、先ほどのコールを終えたホストたちが入ってくる。その中には、志乃もいた。

「あ~、コール疲れた~」

 疲れ切った顔で、喉元をおさえている。

 厨房の出入り口から店のようすを見ていた律が、顔を向けた。

「お疲れ。連続はしんどいよな」

「……いや、おまえも一回くらい参加しろよ」

 他のホストたちは奥に向かい、各々水を注いで飲んでいる。そのうちの一人が、志乃に水を持ってきた。受け取った志乃は口をつけ、律に顔を向けた。

「あいつさ、マジで調子乗ってない?」

「拓海?」

「に決まってんだろ」

 律の視線は、拓海がいる卓席に向かう。拓海は、リオとは違う女性からシャンパンをあおっていた。

「なんだかな~。やり方も苦手だけど、あいつの態度がな。役職に就いてるってのもあって鼻が高いのも(しゃく)に障るし」

「まあ、売り上げがあってなんぼだからな」

「そうなんだよなぁ。枕だろうと強引だろうと、売り上げが正義だもんなぁ。おまえと一緒で」

 律は不快気に志乃を見る。

「一緒にすんな。俺は無理に酒をあおったりしてないだろ」

「知ってるよ。おまえのほうから言ってやれ。今のやり方はよくないぞって。あのままじゃ飛ぶ客が一人や二人でてもおかしくないだろ。俺にだってそのくらいわかるし」

「言った。けど本人に直す気なさそうだし無理だった。ほっとくしかない」

 志乃は()に落ちたように何度かうなずく。

「ああ、なるほど? だからあのとき首つっこんできたわけだ?」

「そんなんじゃない。志乃もムカつくからって口出すなよ。今のところほうっておくのが正解だ」

 志乃は息をつき、グラスに口をつける。そのとき、ホールに出ていた店長が戻ってきた。

「律、そろそろ休憩終われ。指名がきてる」

「何番テーブル? セッティング終わってるなら自分だけで行くよ」

「二番」

 厨房を出た律は、卓席に一人で向かい始めた。

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