トップのプライド 2
文字数 1,983文字
当然酒を飲み、同伴の女性に叱られながらもやりすごしていた。同伴してくれた女性をお見送りしたあと、すぐさまトイレで吐き戻す。気を抜くと倒れそうだったが、少し吐いただけでも楽になった。
個室を出た律の顔が、洗面台の鏡に映る。いつもより青白い。
手を洗い、口をゆすぐ。今日は酒を控えようと決意しながら、ハンカチを口にあてた。
心配されていたとおり、額の痛みがぶり返してきた。席に着く前に水を飲んだほうがいいかもしれない。
トイレを出て、厨房に向かおうと、足を踏み出したときだった。
「あ、あの……」
女性の声に、振り返る。そこには、女性用トイレから出てきたリオが立っていた。オレンジ色のカーディガンに、ふんわりとした白いスカート。
化粧でごまかしているが、少しだけ目元が赤かった。
辺りを見ても、待機しているホストはいない。
「……いらっしゃい。今日も来てたんだね」
口元にハンカチを当てたまま、目を細める。返事はない。そのまま去ろうと背を向けると、返ってきた。
「あの」
律は再び振り返る。顔を伏せたリオは、不安げに声を出した。
「やっぱり、ダメですか?」
「なにが?」
「律さんの店で、働くの」
リオは顔を上げる。真剣な目で、まっすぐに律を見つめていた。
「私、損はさせないと思うんです。経験はあるし、ちゃんとお店に貢献することができると思うし」
律も神妙な顔でリオを見すえ、口元のハンカチを外した。
今度は、簡単に突き放そうとはしなかった。
「お店、探してるの?」
「はい」
「今いるところじゃだめなの?」
「……はい」
返事は短かったが、応答は真面目でウソはない。なにより、その真剣な表情からは、強い覚悟を感じさせた。目的のためなら、あらゆることにも耐えられるといった覚悟を。
「やっぱり、ダメ、ですよね。すみません」
リオはバツの悪い顔をふせる。
「律さんのお店は高級店でしょ? 律さんから見れば私のレベルなんて、たいしたこと、ないだろうし」
「そんなことはないよ」
「え?」
「今のデリヘルでも指名とれるくらい人気だってことはわかる」
律はジャケットの内側から白いスマホを取りだした。
「きっと他の高級店でも受かるレベルだと思うよ。それでも俺の店にこだわるのはどうして?」
面接のような質問に、リオは顔を引き締めながら答える。
「今後は、デリヘルで働いてるってことを隠したいんです。だれにも、知られないようにしたいんです。今は、働いてる店も、どんな客を相手にしているのかも筒抜けだから……」
高級店は大衆店に比べ、女性のプライバシー保護とセキュリティが強化されている。
特に会員制では、お客様の情報も徹底的に管理されていた。アリバイ対策はもちろん、身内との鉢合わせがないよう手が打たれ、職場や学校にばれることはほとんどない。
しかしそれは律の店にかぎった話ではなかった。他の高級デリヘルでもそこまでのことは当たり前に行われている。
「……なるほどね」
リオの言葉の裏にある本音に、律は気が付いた。短く息をついて、うなずく。
「きみは、俺の店にいるのが一番安全で、確実だと思ってるわけだ?」
真剣な顔で返事をするリオに、律は白いスマホを操作して、画面を見せた。
「はい、これ」
そこには、通話前の電話番号が表示されている。
「自分のスマホに登録して」
「あ、はい」
リオはいそいでスマホを取りだし、番号を打ち込んでいく。
「お昼ぐらいに連絡してみるといいよ。面接はしてくれると思うから」
リオが番号を保存したのを確認し、スマホをしまいこんだ。
「働けるかどうかは面接次第だよ。雇うのを決めるのは俺じゃないから。あとは自分でなんとかするんだね」
高級の看板を背負うからには、女性に質の高さが求められる。容姿だけでなく教養も必要だ。面接では、その環境で働けるかどうか、厳しい目で判断される。
「……はい。ありがとうございます」
リオがスマホをしまうのと同時に、律の後ろから拓海の声がとどろいた。
「リオ! 俺のこと放っておいて何やってんだよ! 俺以外の男と
「も~、そんなんじゃないって」
リオは困ったように笑いながら、拓海に近づく。
「大体、私のこと放っておいたのは拓海のほうでしょ」
「だからってヘルプ置いてトイレ行ってんなよ!」
必死になだめるリオのとなりで、拓海は律をにらみつけた。
二度も二人きりで話していたとなると不安どころではない。ただのホストならともかく、この店のナンバーワンだ。自身のエースを、そうやすやすと奪われるわけにはいかない。
「変な心配すんなよ」
律は息をつく。
「もっと稼いで力になりたいって言ってたから、彼女に稼げそうなソープを紹介してあげただけ」
口角が、皮肉に上がる。
「よかったね。たくさん貢いでくれる彼女で」
足早に二人の横を通り抜け、待っている次の客のもとへと向かっていった。