第16話

文字数 2,401文字

「なぜお知りになりたいのです?」
 やえは火鉢の灰をいじりながらそうきいた。真正面切って尋ねられると、なるほど私が黒杜の巫女に興味を持ついわれはない。やえは祖父の弟の話を知らないし、それを説明するとかなり長い話になってくる。
 私はただ黙ってつるばみ色の床柱を見つめた。この屋敷にはわざわざ京都から取り寄せた北山杉や黒松だのが使われているらしいが、正直私にはよく分からない。人の顔のような節がたくさんあるのや、濡れたように艶々したのを面白く眺めるばかりだ。
「茉莉花様は黒杜の巫女にご執心でいらっしゃる」
「それが問題?」
「睡蓮様は」と言いかけてやえはまた炭をかいた。「この世の方ではないように見受けられます」
「綺麗な人だから?」
「それもありますが、何と申しあげてよいか、あの方は尋常の者とは少し変わっているようでございます」
「その尋常じゃないところを知りたいの」私はベッドにうつ伏せになった。「どういう意味?」
「それなら申し上げますが、どうか他言無用に願います。このやえめがそのようなことを申し上げたとなれば、白鷺のお屋敷に長年お仕えしてきた……」
「その部分が長くなりそうなら早口でお願い」
「話は古い時代に遡ります」
「いいね。そういうの好きだよ」
「蓮っ葉な口調はおやめください」と言ってやえは続けた。「明治政府が淫祠邪教を禁じたので、呪いや神下ろしを行なっていた巫女は随分失業したそうです。それのみを活計にしている者も多かったのでございましょう。歩き巫女はよく山伏とともに旅をして、不作の元凶を占ったり、不慮の事故で命を落とした者の魂を下ろしたりしました。神がかりの後は山伏が門外不出の呪いで必ず神払いをするのです。詐欺師まがいもいたでしょうが、それで慰められる者もいたはずです。それが突然禁じられてしまったのですよ。失業した巫女が半分遊女のようになって、食べ物や水を乞いながら旅を続けるという悲惨な例もあったそうです。そして、山深いこの黒杜の地にもある若い巫女が訪れたのでございます」
「元々黒杜にも太夫筋の者はいたんでしょう?」
「そうでございますが、その巫女は見目麗しく、彼女の住みついた古い庵を訪ねる者が後を断たなかったとか。巫女は隠れて占いをしたそうですが、それが当たらないことはなかったそうです。そして、いつしか黒杜の本家の御当主様も彼女の庵をご訪問されるようになっていました。やがて、お子が産まれると、彼女にご自分の次男をお与えになって分家させたそうでございます。それが今の……」
「睡蓮のお祖母様?」
「ええ」やえはぐるっと瞳を回して言った。「ですが、それだけではございません。あの睡蓮様の母君ですが、彼女もやはり有名な巫女で、お忍びで訪れる方々に託宣をほどこされていたとか」
「血筋なら何の不思議もないけれど」
「それがあるのですよ。幼少期、睡蓮様は体が弱くていらして、家にこもりきりでございました。彼女の顔を見覚えている者は医者のみといってもよいほどで、学校へやる代わりに家庭教師をおつけになっていたとか。やがて、睡蓮様の母君がお亡くなりになると、貴方様の小父様は叔父様の妹君と再婚されました。そのころから、突然睡蓮様は本家へいらっしゃるようになったのでございます」
「道理で」私は息をついて自分の手をランプにかざした。「ここへ来た翌朝、小父様と小母様、それに紫苑が挨拶に来てくれたの。睡蓮とは今朝池のほとりで偶然会った。ご両親にちっとも似ていないんだもの。彼女は母親似なのね」
「ですが、その母君はお亡くなりになるまで睡蓮様を閉じこめておいででした」
「なぜ、そう思うの?」
「その親子を一緒に見たことのある人はいません。噂では、お美しい奥様はほかの殿方に懸想されていたとか……」
「私の考えは違う」
 やえは灰をいじる手を止めて私を見つめた。
「その母親と睡蓮は同一人物。だから、一緒にいることはできない」
「何を仰るんです」
「もちろん確証はないわ。でも、そう思うの」
 上半身を起こすと、砥粉色の壁にそこだけ色の薄い四角が浮かんでいるのが見えた。私はその長方形を指してきいた。
「あそこには何が飾られていたの?」
「はあ」とやえは首を巡らせた。「何か、絵のようなものでございましょうねぇ」
「私を誤魔化そうとしてるのね」
「なぜ私がそのようなことを」
「この部屋は誰のものだったの?」
 すると、やえはうつむき、薄い唇を噛むようにして言った。
「忘れもしません。ええ、このお部屋は桜様のものでございました」
「お母様の?」
「窓を開けて、空気を入れ替え、埃を落としたのでございますが」
「そう」私はまた壁を凝視した。「菫の部屋にある絵がここにかかっていたの?」
「寂しい絵でございます。遠い異国に憧れるような……」
「憧れ? あの暗い絵が?」
「茉莉花様がお気づきにならなかったのも道理でございます。あの絵は随分古びてしまっていますから。ですが、よぅく見るとあの池に一艘の舟が浮かんでいるのでございます。その舟は客人をあの屋敷へ運んでゆくのです」
「暗いことに変わりはないのね」
「舟に乗る者は常世の世界へたどり着くのでございます。この世の外の世界。桜様はそれを願っておいででした」
「何を……」
「茉莉花様、桜様は普通に亡くなったのではありません。自ら死を選ばれたのでございます」
 私は何も言えずにやえを見つめた。
 しかし、やえの瞳に悲しみの影はどこにも見当たらず、むしろ挑むようにきっと私を見つめ返してきた。
「病を得て亡くなったと……」
「やえめは存じあげております。桜様は勇敢な、それはそれは容貌も気性も高貴なお方でございました」
「自ら死を選んだというのに?」
「やえの言葉に嘘はございません」
 私は仰向けになって梁を仰いだ。
 少女だった母も、きっと考えごとをしながらこの梁を見上げたのだろう。その証拠に、真上に二つの瞳のような節穴がある……。
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