第10話 内部告発者――芝 虹太 4

文字数 3,688文字

「なんて無茶するんだよ! あん時、絶対『これで二人揃って死亡フラグ立った』って思ったろ」
「そりゃー、私だって半分死ぬ気だったよ。結局、なんであいつは開放してくれたんだろうね?」
 監視者の施設を離れながら、二人は安堵でがくがく笑う膝を必死で立たせて歩いていた。
 あのあと、遥馬は舌打ちして言った。
「俺たちは本来、プラチナベビーズから一般人を守る立場だ。一般人を傷つけることはできない」
 そして、挑戦的な目でにらみつけた。
「だったら、お前たちも自分の信念とともに行動して生き残ってみろ」と。「俺たちと同じように、自分の信じた道で戦ってみろ」と。そして、実際のところ何もせずに開放してくれたのだった。
「如月遥馬、だっけ? たぶん、私の勇気にうたれて、自分の間違いに気づいたのよ」
 ぶ、と虹太は噴いてひとしきり笑うと、つぶやいた。
「あいつ、うらやましかったのかな」
「何?」
「俺たちが」
 どうやら開放してくれるらしい。遥馬の声をきいたリルハはこれ幸いと、さっさと澄人のわきを通り抜け、更衣室の出入り口へ向かった。
 虹太はあっけにとられてその背中を見送り、遥馬をふりかえった。
「遥馬」
「俺の気が変わらないうちにさっさと行けよ」
 いまいましそうに吐き捨てる。
「遥馬、俺はお前たちを悪者だと思っているわけじゃない。 太一さんを筆頭に、お前、理央さん、そして澄人。みんなそれぞれの事情があって、どうしても生きていくために必要なものがあって、ここで実験の道具にされている。たとえばお前も、俺みたいに何か書いたらどうかと思うんだ。何か自分の意見を発信してみたらどうかって。だって、自分から何か発信しなきゃ、理解も救いも与えられないんだぞ」
 遥馬は、力なく笑った。それが、自分を嗤ったのか。それとも遥馬自身を嘲っているのか、虹太にはわからなかった。
「最初から恵まれている人間は、そのことに気づかないものなんだな。誰もがお前らみたいに、自分を表現する術を持っているわけじゃないんだよ」
「恵まれてる?」
 その時虹太は、ちりっ、と胸の中のペースメーカーがうずくのを感じた。
「その言葉、そっくりそのままお前に返してやるよ」
 怒りをにじませてそう言い放ち、遥馬に背を向けた。お互い自分が持っていなかったものを持っている相手に、羨望を抱いたのかもしれない、と虹太は思った。
「さ、とりあえず学校に戻るか。今日の食料ぐらいはまだ、食堂のパンでなんとかなるだろ」
「なんかさー、普通に白いご飯食べたいな」
 甘え声でリルハが言う。
「たった一日で何言ってんだよ。根性ねえな」
「あとお風呂~」
「だから、一度家帰れよ」
 ぐだぐだと言い争いながら、学校までの道を歩いていった。

 五月十九日 午前十一時
「シバっちゃん! シバっちゃん!」
 遠くで、呼ばれている気がする。
 目の前が真っ暗だ。暗闇の中でリルハの声がする。くぐもって聞こえていた甲高い声は、だんだんと鮮明になる。深い水底から浮上するような、不思議な感覚だった。体全体がふわふわと揺れている。キーンと耳鳴りのような音が聞こえる。
「シバっちゃん! シバっちゃん!」
 だんだん浮上のスピードが高まって、水面が近づいている。聞こえてくる声もだんだんはっきりとしてくる。
 ――そんな勢いで深海から浮上したら、肺を壊しちまう。
 そんなことが頭にうかぶ。それを裏付けるように胸が強く締めつけられて鋭く痛む。
「いて……痛え」
 やっと息を吸って目を開けると、自分の体に馬乗りになっているリルハが見えた。
「寝るなあっ。死ぬぞっ」
 いきなり、平手で頬をひっぱたかれた。
「痛ってえ」
 頬をおさえて、呆然とリルハを見る。こんなアングルで女子生徒を見るなんて初めてだ。
 なんだこれは。リルハはどうかしたのか。
 それともあれか。雪山遭難のコントか。コントの練習か。
「んなわけねーだろ」
 自分につっこみを入れて首を起こした。途端にリルハが目を見開いて、両手で口元を覆った。
「……シバっちゃん」
 下まぶたのふちにみるみる涙がもりあがってくる。
「生きてた。生き返った」
 虹太はまだ少しひりひりする頬に手をあてた。まだ頭がぼうっとしている。
「何? なんなの?」
 見まわすと、保健室の床に横たわっていた。リルハが、はっとして、虹太の上から降りた。
「だって、だってさ。全然起きなかったんだもん。顔色真っ白で怖かったし。おもいっきりゆすったけど、全然目を開けないし。最後は、床に落っこちたのにまだ寝てるから……」
 ずずっと鼻をすする。
「だから、脈とったら、手首も、首筋も、全然反応無いし。もう死んじゃったかと思って……」
「あー」
 記憶がよみがえってくる。
 保健室の床の上には、夕食に食べたパンのゴミを入れたポリ袋が落ちていた。
 その前の晩、語り明かしてほとんど眠っていなかったから、夕べは腹が満たされると途端に眠くなった。ろくに言葉もかわさずに、自分の使っていたベッドもぐりこんで合間のカーテンを閉めて眠ってしまった。
 今窓の外は、見るまでも無く明るい陽で満ちている。太陽の位置が高いから、もう昼頃になるのだろうか。
「そうか。俺、脈が無かったのか」
 しばらく思案した。何かに思い当たる。
「ああ、そうか。……クソっ。あいつ余計な真似しやがって」
 虹太は悪態をついて、ベッドの下に押しこんであった学生鞄を取り出し、中からピルケースを出した。白い錠剤をペットボトルに残っていた紅茶で飲みくだす。
「何? 薬?」
「リルハ、起こしてくれてありがとう。俺今、結構危なかったと思うよ」
 なるべく明るく言った。
「今飲んだのは、徐脈が起きた場合に血栓を防ぐための薬」
「徐脈?」
「うん……心臓があまり鼓動しなくなった状態のことだ。たぶん、磁場被爆したんだと思う」
「磁場被爆?」
「強い磁場にさらされて、ペースメーカーの設定がおかしくなってるんだ。昨日、監視者施設に忍びこんだときだと思う。お前にでっかい銃を向けた背の低い中学生がいただろ? あいつが持ってたのはガウスガンって言って、磁力を応用した銃器なんだ。あれはプロトタイプ02として開発されたコイルガン。銃身の下の方にコイルが見えてただろ」
 リルハは首をかしげた。そこまで覚えてはいないのだろう。
「リルハが俺のタブレット取って遥馬に立ち向かった時――あの時あいつ、コイルに電力チャージしやがった。もちろん威嚇のつもりだったんだろうけど。でもコイルには、とんでもない強い磁場が発生してたんだな、きっと」
 まいったなぁ、と天井を仰ぐ。
「で? これからどうするの? どうすればいいの?」
 リルハが蒼白な顔で問う。
「心臓外科もしくは循環器科のある病院で、ペースメーカーの設定をしてしなおしてもらうしかないんだけど。でも今は……」
「島の中に病院あるよ。さあ行こう」
 リルハはさっさと荷物をまとめ始める。
「いや。病院はあるけど。たぶん、医師も看護師もいないと思う」
「なんでわかるの? そんなの行ってみなきゃ、わからないじゃん」
 虹太はじっと何かを考えている。
「リルハ、昨日から……働いている人の姿なんて見たか? みんな避難しちゃったんじゃないのか?」
 リルハは唇をとがらせた。
「だってさ。戦闘があるかもしれないんでしょ? 武装班の連中だって、怪我したらどうすんのよ」
「うん……でも、ここにはなぜか大人の姿が無い。遥馬は何か知っていたのかな。昨日、もう少し冷静に話すことができたら問いただせたんだけど」
 リルハは肩に鞄をかけたまま、立ちつくしている。口元をぎゅっと引き結び、思いつめた目で虹太を見る。悔しげに一度嘆息して肩を落とした。
「ねえ、シバっちゃん。……やっぱり、遥馬に助けてもらう?」
「冗談じゃない」
 虹太は即答した。リルハがまた泣きそうな顔になる。
「でも……」
 虹太はいつもどおりシニカルに笑って見せた。
「そんなことしたら、お前が覚悟決めてくれたことが無駄になるだろ。せっかくカッコいいこと言って大見得切ったんだから、せめてもうしばらく貫かせろよ」
 もう、意地っ張りだな、とリルハが泣き笑いの顔になった。虹太はその頭をぽん、と優しく叩く。
「俺だってほんとは、とっくにわかってるんだ。遥馬に言われなくたって。どんなカッコいい台詞作ったって。どんなに人の心を打つ美文を書いたって。それが、いきなり世の中を変えたり、飢えた人の腹を直接満たしたりできるものではないってことくらい。それでも、信念とか理想とかそういうものを無くしてしまったら、人は人じゃなくなる気がするんだ。リルハ。俺たちは最後まで人間として生きよう」
 リルハは虹太を見上げた。穏やかな表情で大きくうなずいた。
 虹太は、いつになく真剣な声で言った。
「巻きこんでごめんな。お前だけは必ず本土へ逃がすから。俺の作品の恩人なんだから」
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