第43話 僕らの船 6

文字数 5,629文字

 ゆらめく陽炎の中に創はいた。左右には三階建てのマンションが二棟並ぶ。建物の谷間にあたる場所だった。
 集合ポストのついたアプローチは、すでに地面のコンクリートがひび割れ、埋め込まれた鉄筋がのぞいていた。舗装した小道の表面はでこぼこに歪んでいる。溶けて七色にひかるアスファルトの上を少年は裸足で歩いて行く。
 もう衣服も半分ほど周囲の熱に燃え落ちてしまった。片手には灼熱の火花を放つ銀色の棒があった。カエルの傘の支柱だけが残ったものだった。
 創は咳きこんだ。喉は煙と異臭でイガイガしたが、体表面はケガもなく、熱も火傷の痛さも感じなかった。
(……やっぱり僕は人間じゃなかったんだ)
 あきらめに似た気持ちで考えた。
 誰かの声が聞こえたような気がして振り返った。住人の避難は終わっている。誰も居るはずはない。自分と戦う武装班の人達とプラチナベビーズ以外は。片側のマンションの一階部分は窓ガラスが割れて炎を放っていた。さっきから火災用の緊急サイレンが鳴り響いている。
 ふと黒煙がうずをあげて上がる上空を見上げた。酸素が薄くなって、創は浅い呼吸をくりかえしていた。
(ああ、息ができない。このまま死ぬのかな。早く僕を殺す人たちが来てくれないと、僕、もう疲れちゃうよ)
「……なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」
自分を鼓舞するように心の中でとなえる。祈りをささげるように。大好きな「銀河鉄道の夜」の一節だ。この言葉を思い出すと、心の中が透きとおるような気がする。自分がせがむと何度でもこの本を読んでくれた恵吾の声が聞こえる気がする。
(ほんとうの幸福は、誰かを幸せにできることだ。きっとそうだ)
 創は思った。
(恵吾お兄ちゃんは弟を助けられるかな。真尋お姉ちゃんは好きな人に会えるかな。最後まで燃え続ければ、お母さんは天国で僕をほめてくれるかな。ああそれより、どうして僕は生まれてきちゃったのかな)
 創は一人でさびしく笑った。
(その答えを、やっとつかめそうなんだ。僕にできることがみつかったんだ)
 病院を抜け出して海岸にそって道路を歩いている時、恵吾とかわした言葉を思い出した。
『君だけだよ。君は特別なんだ。あのね、それは神様が創君だけにくれた、才能とか個性みたいなものなんだ。だから、お兄ちゃんにはその力の使い方がわからない。でも、創君はきっとうまく使いこなせるはずだ。みんなの役に立つように』
『みんなの役に立つように?』
『そう。それがとっても大事なんだ。そうすれば創君はみんなに大事にされたり必要とされて生きていけるから』
(恵吾お兄ちゃんはそう言ってた。でももう僕には、誰かに大事にしてもらえるような人生は残ってない。死んだあとで、誰かが僕を惜しんで泣いてくれるってことなのかな。そのためにみんな生きているのかな。それが生きるってことなのかな)
 どしゃっ。
 すさまじい音がして創は我にかえった。マンションの建物のすぐ前に真っ白の蒸気の柱が立っていた。シューシューいう音とともに、白煙があたりに充満する。
 あわててあたりを見回すと、マンションの屋上に人影が見えた。中学生くらいの背丈の少年が、自分の身長のゆうに二倍はありそうな四角い給水タンクを持ち上げていた。オフホワイトに塗装されたタンクは、丸い蓋が開いていた。あれから水をぶちまけたのだ。彼の後ろにはジャングルジムのようなの高架台の残骸があった。タンクからはずれて屋上のフェンスにひっかかったパイプの断面からは、水が細長い生き物のようにまがりくねって落ちている。
 中学生は持ち上げていたタンクを慎重にかかえなおすと、
「よっこいしょ」
 と甲高いかけ声とともにさらにかたむけた。
 じゅ、じゅわっ、じゅ。
 道をなめていた炎が消えて、創のところまで白い蒸気の道ができた。タンクを屋上に捨てると、三階建ての屋上からいきなり飛び降りてきた。一度一階の部屋のひさしに着地して、落下速度を落とし地面に下り立った。
 創は身構えた。殴られたような痛みが頭にはしった。酸欠による頭痛だ。よろめいて両膝をついた創に、少年は駆けよってきた。手際よく背中からおろしたのは黒い小型のボンベだった。
「ほら、ゆっくり息して」
 肩に手をかけて顔を起こされた。バルブをひねり、口元に透明のカップをあてられる。創は何度か呼吸をくりかえした。しだいに意識が鮮明になってきた。
「君、宇都木創君でしょ。僕は睦月澄人って言うんだ」
 少年はにっこりと微笑んだ。その発音は少し日本語に不慣れな印象がした。そして不思議な格好をしていた。体にぴったりした防護服を来ていて、肩と足の付け根に金属の輪をはめたような部分があった。
「君、ここが熱く……ないの?」
「熱いけど、僕はこのくらいなら平気なんだ」
 今にも引きちぎれてしまいそうにはりつめていた気持ちが、彼の優しい物腰に緩んでいく。安心して肩にかかる澄人の腕に寄りかかりかけて、創ははっと自分の使命を思い出した。
 次の瞬間、澄人を両手で思いきりつきとばしていた。
「僕に関わらないで!」
 澄人はふいをつかれて、後ろへ尻餅をついた。
「う」
 うなって両腕で顔を覆っている。その髪が熱にあおられてふわふわ浮きあがり、毛先がちりちりと焼けた。
(ああ、きっとまた僕の力が彼を焼いてしまうんだ)
 絶望的な気持ちで、腕の隙間からこちらをうかがう澄人の顔を見た。
「僕はみんなを殺すんだ。この島を焼くんだ。だからみんなを呼んできてよ。プラチナベビーズのみんなも監視者のみんなも僕と戦ってよ!」
 ヒステリックに叫ぶ。自分の芝居がどうにもへたくそなのが創は悔しかった。
 澄人が両腕を開き、ゆっくり立ち上がった。近づいてくる。僕は何もしないよ、と創にわからせるように両腕は開いたままだ。その腕も顔の皮膚も綺麗なままで、焼け爛れた火傷はなかった。
「ほら、ね。僕は大丈夫だろう?」
 澄人の笑顔は太陽のように暖かく輝いて見えた。
「ほん……とに?」
「創君。みんなのところに帰ろう。創君が『青鬼』をしなくてもみんなちゃんと幸せになれるんだよ」
「でも……」
「この島にはたくさんの知識や情報を持っている仲間がいて、戦わなくても解決できる方法をみつけたんだよ」
 熱っぽく語りかけてくる澄人をじっと見上げた。
「澄人君は、僕が怖くないの? 僕は人を死なせてるんだって」
 澄人の笑顔はさっとこわばり、同時に哀しげないろが差した。そしてそれは、一方的に与えられる憐れみとは違って見えた。無責任な憐憫よりも、より深い苦悩が透けるような顔だった。
「うん。その話は僕も聞いてるよ。……実はね、僕もそうなんだ。僕のせいで親友を死なせてしまった。それが罪だって僕にもわからなかった。無知だったせいで何もできなかった。創君、僕は君と友達になりたくて来たんだ」
 ほら、と手をさしだされた。
 創は、びくっ、とあとずさった。その手を怖いものを見るような目で見ていた。傷ついた野性動物のような脅えた瞳をした創に、澄人は少し困ったように眉を下げて笑いかけた。
「君は一人ぼっちじゃないんだよ。まだプラチナベビーズの兄弟がたくさんいるんだ。自分の背負った罪がつらい日は、僕と一緒に泣こう。何もできないけど、寄り添うことはできる。一緒に泣くことはできるよ。そしてね、ミオていう女の子が僕の夢の中に来て言うんだ。君にこう伝えてほしいって。『みんなでじゃんけんパフェやろう』って。じゃんけんパフェってなんだろう? 創君、僕に教えてよ」
 ぽろりと、創の瞳から水滴が落ち、空中で白い煙になって消えた。
 澄人の手にそっと、自分の手を伸ばす。二人は手を握り合った。
「行こう」
 澄人が明るく言う。
「僕は、生きていてもいいの?」
 おずおずと問う創に、澄人は堂々と言い放った。
「当たり前だよ。生きているのは我慢もいるし、つらいけど、自分から死んじゃうなんて卑怯だって、遙馬さんがいってた」
「僕は――僕は、何のために生きているの?」
「それはこれからみつければいいんだよ」
「君も手伝ってくれる?」
「もちろん」
 手をとって走り出した少年たちが、監視施設をめざし、島の中心にあるランドマークツインタワーの前を通りがかった時、そこで同じような黒い防護服に身を包んだ痩身の人影をみつけた。地球儀のモニュメントの前に一人で立っていた。
「遙馬さん!」
 澄人がはずんだ声をあげる。
 遥馬は険しい目つきでツインタワーをにらみつけていた。
「澄人」
「創君、ちゃんと保護できました」
 遙馬はうなずいた。首に幾重にもさがったドッグタグが音をたてた。
「今から彼を連れて寮の地下にある射撃演習場に避難してくれ。監視施設の連中はもう移動を始めたはずだ」
「なんで……避難するんですか」
 遙馬は眉宇(びう)を曇らせる。
「詳しいことは俺にもわからない。わかっているのは、この島で異変が起きた際の抑止力として、プラチナベビーズの霜月類がトゥエルブ・ファクトリーズに利用されていたこと。そのしかけが起動して、今ランドマークツインタワーの内部へ向かっていること。実験を維持したければ彼を止められないこと。そして――ランドマークツインタワー自体も新兵器の試作品(プロトタイプ)だったってことだ」
 澄人の顔がきゅっとひきしまった。
「新兵器ですか」
「荷電子粒子砲というそうだ。類の能力で完成されるらしい」
 澄人は創の手をそっとはなした。
「僕が、破壊しに行けばいいですか?」
「これ以上は無理だ。やめておけ。それより創君の保護を頼む。お前にしかできないことだ」
 思いつめた顔で問う澄人に、遥馬はあっさりと告げた。そして思い出したように付け加えた。
「澄人、念のためエフェクトチップのチェックをしてくれ」
 澄人はハイネックの襟元をおしさげ、防護服の内側に手をつっこんだ。取り出したチョーカータイプのチップを確認する。
 いつも赤かった真ん中の液体は、創の発する熱と接触したせいか色が変わっていた。
「白色です」
「ならいい」
 遥馬はうなずいて、さっきから澄人のかげに隠れている男の子のほうを見た。色素の薄い髪の毛があちこちはねた少年は、茶色とも緑とも言いきれない不思議な瞳の色をしていた。
 創の着ている大きめのTシャツは、首のまわりのわっかにポンチョのように布がぶら下がっているだけだった。お腹のまわりは煤で汚れた下着が見えている。ズボンもあちこち焦げて肌がのぞくような大きな穴があいていた。
 創にむかって、遥馬はゆっくりと落ち着いた口調できりだした。
「創君、だね。一つだけお願いがあるんだけど、そこのお兄さんに免じて我慢してもらえるかな?」
「な、なんですか」
 澄人の腕にすがるように指をからませて、震え声で尋ねた。
「君の左の腕の中にプラチナベビーズ監視のための発信器が埋め込まれている」
 遙馬は人差し指と親指で一センチほどの隙間を作った。
「このくらいのマイクロカプセルだ。これを取り出させてくれないか」
 創は、まだ何を言われているのか分からない様子でぼんやりしている。
 けげんな顔をする澄人に、遙馬は語った。
「これは賭けなんだが。トゥエルブ・ファクトリーズの連中が一番恐れていたのは、プラチナベビーズの暴走だと俺は推測する。その中でもとくに恐れていたのが、創君だと。霜月類に召集がかかったのは、海底からのチェーンの巻き上げやエンジンの起動ではなく、創君の破壊活動の痕跡をみとめてのことだと思っている。俺の考えが正しければ、今動き出した荷電子粒子砲の標的は創君に設定されているはずだ。だから、その発信器を取り出して、俺に預けてほしい」
「遙馬さんは、それをどうするんですか」
 遙馬は南西の方角を指さした。
「南高校に向かう。ゴミ処理施設の下にはディーゼルエンジンがある。寮の地下は俺達武装班の避難場所になっている。そして残りのプラチナベビーズは類の自宅地下に集結している。それらの場所から照準をはずすためには、たぶん南高校が方角的に最適だ。俺はそこへ行く。創君の発信器を持って。荷電子粒子砲から打ち出される大量のアクシオン粒子にさらされれば、班員達のエフェクトチップも白色に変わるだろう。これで俺の戦いは終わる」
「遙馬さん、まさか」
「類と一騎打ちだな」
 遙馬は軽い調子で面白そうに小首をかしげて見せた。
 驚きでめいっぱい目を見開いた澄人の顔が、みるみる上気する。
「そんな! だ、だって、遙馬さん、自分から死ぬのは卑怯だって言ったじゃないですか!」
 いきどおりを隠せず叫んだ。
「そうだ。そのとおりだ。だから――卑怯者は俺一人で充分じゃないか」
 遙馬は笑った。澄人の両目に涙がふきあがる。
「嫌です。嫌ですっ。僕も連れて行ってください」
 首を振ると涙が飛び散った。
「泣くな。自分でしたことの責任を果たすだけだ。金をもらってトゥエルブ・ファクトリーズの兵士になった時から、こんな結末は予想できていたんだから」
 遙馬は澄人の髪をくしゃくしゃ撫でた。
「惜しむ必要なんかない。俺はくだらない人間だ。偉そうなことをいっておいて、最後にお前たちを裏切るんだからな」
 そして、澄人の後ろにいる創に話しかけた。
「そういうわけだから、協力してもらえるかな? 俺たちが敵意がないのはわかってもらえていると思うんだが」
 創は涙ぐんで身を震わせる澄人を心配そうに見上げ、やがて決心したようにおずおずと、煤で汚れて生白さの目立つ左腕を遙馬に差しだした。
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