第41話 僕らの船 4

文字数 4,547文字

「リルハと神田さんが、エンジンの切り替えに成功したようだ」
 類の言葉に、よっしゃ、と一草はぐっと拳を握りしめて自分のほうへひいた。
「こっちも。無事にアンカーワイヤーの巻き上げに成功したみたいよ」
 真尋がモニターのほうからこちらをふりかえって言う。
『類、アンカーワイヤーを全て巻き上げた。このメガフロートはもう海底に固定されていない。今、バラストタンクに海水を入れる措置でバランスをとっているが、しばらくは揺れやすくなる。気をつけてくれ』
 遙馬の冷静な声がパソコンのスピーカーから流れた。
「了解。ディーゼルエンジンの走行モードへの切り替えが成功した。海底にあるスクリューの角度が変わる。大きく揺れるらしい。そっちでも落下物のない広いところに出るか、何か大きなものにつかまって耐えてくれ」
『わかった。班員に指示する』
「これでこの島は今から一艘の船となる! ――やった。俺たちの勝ちだ!」
 一草が拳をふりあげて叫んだ。
 歓声の中、電子音が鳴った。タブレットの初期設定になっている着信音だ。三人の目はテーブルの上に集中した。類のタブレットだった。類がテーブルに出しっぱなしになっていたタブレットを引き寄せ、スクリーンをタッチした。
 一草は見た。そこに十二角形の臙脂色のマークが表示されているのを。トゥエルブ・ファクトリーズの社章が、危険信号のように光っているのを。そして、類の顔が急に表情を失って人形のようになっていくのを。
 類はタブレットを自分の耳元にあてた。
「……了解」
 会話は短かった。
「類?」
 一草はこわばった口元を必死で動かした。
「残念ながら僕はここまでだ。最後まで一緒に戦えなくてすまない」
 類は静かにそう言った。がた、と大きな音をたてて、真尋が椅子から立ち上がった。
「君たちはこのまま続けてくれ。難民申請が通って、本土から十二海里をを突破すれば、パルマの武装警察がヘリで救出に来てくれるはずだ。そしたらなるべく早く逃げてくれ。ここからは時間との戦いになる」
 類は車椅子のハンドリムに手をかけた。片側を回して向きを変え、部屋の出入り口に向かう。
「どこへいくんだ、類」
 一草の声に類は少しうつむいた。
「僕のペナルティは移動制限の他に、もう一つあったんだ。この条件を飲めば、トゥエルブ・ファクトリーズがプラチナベビーズの行動観察実験を続けてくれるという約束で」
「どんなペナルティだよ」
 悲痛な問いには答えず、類は後ろ向きのまま優しい声で続ける。
「一草、真尋、それから澪。どうだろう。楽しかったかい? 今まで実験とはいえ、普通の人間のように学生生活を送ることができて。だとしたら、僕は報われる。僕ののんだ条件は、ここで行われる実験がトゥエルブ・ファクトリーズに管理しきれなくなった場合にこの島を海中に沈める、自爆用の兵器になることだ」
 そして、膝の上に置いたタブレットを見た。
「監視者のモニタリングオペレーターは、隠蔽工作を頑張ってくれたと思う。ここまで時間を稼いでくれただけで、もう充分だ。アンカーワイヤーを巻き上げ、ディーゼルエンジンを起動した。さすがに本土にいるトゥエルブ・ファクトリーズの幹部もここで想定外の何かが起こっていることに気づいてしまった。召集がかかってしまったからな。僕は行かなくてはならない」
「行くな。お前の意志はどこにあるんだ」
「実験が遂行されなくては、監視者達に契約金が支払われない。大団円は迎えられないんだ」
 類は一度だけふりかえった。哀しく微笑む。
「もうすぐ僕の意志はなくなる。僕は大量破壊兵器の一部になる。今、止めたければ、僕を殺してもいい。真尋は銃を持っているだろう」
「あんたが言ったんじゃない……みんなで生き残ろうって。命は金に変えられないって。……なのにあんたが殺してくれっていうの? バカ言ってんじゃないわよ!」
 真尋の声が泣き出しそうに響く。
「真尋さん、ダメです。止める方法があるはずです」
 もう一度ドアのほうを向いた類の目から、ぽたりと一滴、膝の上に落ちるものが見えた。
「急いでくれ。僕が荷電子粒子砲の一発目を放つ前に――ここをみんなで脱出してほしい」
「脱出って。類は……類はどうするんだ」
 類は小さく首を振った。
「どこへ行くんだ」
「この島でもっとも目立つ存在でありながら、ずっと封印されてきた場所。ランドマークツインタワーの展望室だよ」
 ドアを開けて。出て行く車椅子を追おうと一草が賭けだした途端、部屋が大きく揺れた。思わずテーブルにつかまる。天井からぶら下がっていた照明が大きく揺れ、キッチンのほうで何か割れる音が立て続けに響いた。
 真尋が悲鳴をあげて床に身を伏せた。一草はテーブルにかじりついたまま、必死でパソコンのマウスを握った。通信用のアイコンをクリックし、表示された人影に叫んだ。
「遙馬! 類を助けてくれ。類がランドマークツインタワーに向かってる。この島を沈めるために、類が利用されてしまう」
 揺れが収まり、真尋の無事を確認すると一草はあわてて類の自宅の玄関を飛び出した。広い玄関の端には、類の外出用のコズミックブルーの車椅子が残されていた。戸惑いながら扉を開けた先には――ひょこひょこと奇妙な動作で歩いていく類がいた。メインストリートにつながる細い通りを、ゆっくり進んでいく。自分の意志ではないのだろう。何かに操られているようなロボットじみた動きだった。
「行くな!」
 叫んだ。喉がちぎれそうに痛んだ。
「一草。君はもどって僕の代わりをやるんだ。みんなを導いてくれ」
 後ろ向きのまま聞こえてきた類の声は、強い意志で満ちていた。
「くそったれ!」
 一草は足下の小石を力一杯蹴飛ばした。
(やっと。類がやっと自分の足で歩けたのに。それがこんなことのためにだなんて)
「やってられるか、くそったれ!」
 もどって、類のパソコンの前に座った。
「遙馬、荷電子粒子砲ってなんなんだ?」
 かでんしりゅうしほう、と確かめるようにパソコンの画面の中の遥馬は一度つぶやいた。
「お前たち監視者は、何か知ってんじゃないのか」
 一草の必死の問いかけにゆっくり首をひねる。いぶかしむ目つきで訊きかえした。
『それがなんなんだ』
「類が、類が、その一部になるんだ。この島を沈めるためのトゥエルブ・ファクトリーズに利用されるんだ。そう言ってここを出て行ったんだ」
 胸を押しつぶすような苦悩を、画面にたたきつけた。遥馬は少し眉をしかめたまま黙っている。
「類は今、ランドマークツインタワーに向かってるんだ……」
『ツインタワーに?』
 遥馬は憎らしいほど落ち着いていた。その様子を見ると、一草も少し自分の狼狽ぶりが恥ずかしくなった。最初は不気味に感じた遥馬の十代らしからぬ冷静さが、今ははからずも一草の支えになっていた。
『なるほどあれは、砲台だったというわけか。だとしたら、あそこから撃ちおろしてくるぞ』
「どのくらい威力があるんだろう? 一発でこの島は沈むのか?」
『さあな。これだって発射実験なんだろう。ここはなんでもできる実験場じゃないか』
 遥馬は皮肉に言った。実験が自分たちの手に負えなくなったら、自分達監視者だってだって容赦なく切り捨てられる。否、正確には最後まで実験動物の一つとして利用されるのだ。その事実を一瞬のうちに悟っての、せせら笑いのようだった。
 一草は短い髪をかきむしった。
「類を止めてくれ」
『止めていいのか?』
 相変わらず体温のない口調に、一草はあわてて言い足す。
「類に人殺しをさせないでくれ。あいつが一番の平和主義者じゃないか。戦うことを最後まで拒んだ張本人じゃないか」
『一草、落ち着け。お前はそこで指揮官となって最後まで類の意志を継げ。ここでこれ以上の死者は出さない。そうだろう?』
 遥馬鋭い目はいつも何を考えているのかよくわからない。それでも今、彼は類の思想を支持してくれたのか。口元を微妙にひきあげた顔は、これでも微笑み励ましてくれているのか。仲間として。
(ほんとにわかりづらいんだよ。お前は)
 心の中で毒づいた。
『一草、迷わず十二海里脱出をめざせ。この船を進めるのはお前だ』
 通信を切った一草を押しのけて、横にいた真尋が類のパソコンに触れた。
 検索画面を出して文字列をうちこむ。
「荷電子粒子砲」
 すぐにメモ文書がヒットした。一草と顔を見合わせた。
「類は私たちにヒントを残しておいてくれてると思ってた」
「すいません、俺が一番取り乱してて……」
 しょんぼりうつむく一草の横で、真尋はくいいるように内容を読みとっていた。
「荷電子粒子砲っていうのは、すなわちビーム砲ね。SF特有の架空の兵器だと思ってたけど」
「ビーム砲……」
「架空の兵器ではあるけど、同じ原理ですでに実用化されている例がある。ガン治療に先進医療として取り入れられた重粒子線治療がそれね。安定していて加速がかけやすい重粒子を材料に使い、それらに加速器(アクセラレーター)で加速をかけ、ねらった患部にあてる」
「じゃあ、兵器として開発するのも時間の問題だったってわけですか」
「ううん。まず安定した粒子をたくさん集めることそのものが、地球上では難しい。そしてそれを一定方向に加速するには、とんでもない電力とバカでかい装置が必要になる。ここを技術的に補うものがなければ、実用は不可能なはずだった……」
 しばらく真尋は考えこみ、やがて確信したように哀しく笑った。
「そうか。だから類だったんだ。類の能力は、アクシオン粒子を大量にあつめて固形化する能力だ。彼が足りない技術を補うオーパーツになることによって、この兵器は実現可能になってしまったんだ」
「類はランドマークツインタワーに向かってるんですよ」
「……てことは遥馬の言うとおり、あのビル全体が巨大な砲台だったということかな。てっぺんにある丸い帽子みたいな建物、展望レストランだとか言われていたやつが、巨大な加速器(アクセラレーター)なのかもしれないね」
「真尋さん。俺達はどうしたら……」
 真尋はきっと鋭い視線で一草を射た。覚悟を決めなさい、と言われているような気がした。
「類を無理矢理止めたら、類は契約を遂行しなかったことになって、この実験は終わってしまうんでしょ。私たちの人権はともかく、監視者の子たちに約束したお金は支払われなくなる。文月君が命とひきかえにした弟の手術代もね」
(類を追いかけて止める、という選択肢は無いのか……)
 一草は声もなく崩れて机に上体を伏せた。真尋はその背中を励ますように叩いた。
「私達ができることは神田さんの指示に従ってこの船を進めること。あとは仲間を信じること。橋の破壊にむかった理央さん、澪さん、武装斑のみんな。創君の説得に行ってくれた澄人君。外国船籍を取るための法的処理に奔走してくれている類のお父さん。私たちに力を貸してこの船を操作してくれている神田さん。みんなを信じてこの船を進めるだけ、でしょ。そこにしか出口はないんだから」
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