第17話 能力未知――葉月 一草 3

文字数 6,962文字

「さて、何から説明すればいいかな」
 類が一草の顔をふりかえって言った。
「俺はなんでこの島から避難できないんだ?」
「君が、プラチナベビーズの一人だからだ。念のために言っておくけど、地震の情報は嘘だし、実際に津波は来ないからね」
 困惑して押し黙る一草を気にかけるように、類は優しい声を出した。
「やっぱり、時系列にそって説明しようか。僕らが生まれる少し前。つまり今から二十年くらい前に、この国にはある新しいウィルスによる感染症が流行った。俗にオルガネラウィルスと名付けられたウイルスだ。オルガネラとはミトコンドリアや葉緑体のように遺伝子の移動を行う細胞小器官のことだ。このウィルスは『ウイルス進化説』を証明するものとして注目された。なぜなら、妊娠中にこのウイルスに感染した妊婦の子供は、みな遺伝子に共通の特異性が認められたからだ。
 『ウイルス進化説』とはウイルスによって運ばれた遺伝子がある生物の遺伝子の中に入り込み、変化させることによって進化が起きるとする説だ。『ダーウィンの進化論』を否定する学説として一部ではまことしやかに伝わっているが、実際には正式な論文があるわけでもないし、この説を裏付けるにたる報告もない。進化生物学の専門家からきちんと認められた学説ではないんだ。
 かといって、それが間違いとするのは早計だ。ボルバキアという細菌がある。これは昆虫などの節足動物が感染すると、その生殖に作用することが知られている。遺伝子に異常を起こさせ、俗に『雄殺し』と呼ばれる、雄を雌化する作用をもっているんだ。二〇〇九年に鹿児島の種子島でキタキチョウの九割が雌だったという調査結果が出ている。そのほとんどが母子感染によると思われるボルバキアに感染している個体だった。細菌とウィルスは別物だが、親の感染症が子の遺伝子に影響を及ぼす一つの例と言っていいと思う。
 話を人間に戻そう。オルガネラウィルスによって遺伝子に異常を持って生まれた子供達は当時、プラチナベビーズと名付けられた。僕もそう。そして一草、君もそうだ」
「遺伝子に特異性……?」
 とうとうと続く類の説明を、かみ砕くように反芻する。
「『ウイルス進化論』の言葉を借りれば、僕らは母親がオルガネラウィルスに感染したことにより、人間より進化してしまったんだ」
「俺が……? 人間より進化?」
「この島には君を含めて五人のプラチナベビーズがいる。まず自己紹介しようか。僕の能力はさっき見ただろう。見えない壁を作る力。バリアって呼んでもいいかな。物理的にものを遮る。でも光の波長だけは遮らない。僕は今のところ、これを面でしか作ることができない。試したけど球体とかはできなかったんだ。そして、自分から約五十メートル離れた所までは作ることができる。それが射程内ってこと。ただし壁を作り出す正確な場所を目視できることが条件だ。手探りではできない」
 一度一草のほうをふりかえり、反応を見ているようだった。少し照れくさそうに笑う。
「僕は結構気に入ってるよ。これは誰かを守る能力だと思ってる」
「はあ」
 一草は理解が追いつかない頭でうなずいた。類の能力はさっき目の当たりにした。信じる、信じないと論じる余地はない。
「あ、その角、右に曲がって」
 類の声に従ってゆっくりカーブを曲がる。ハンドルを握る手に力をこめて、内側に流れていきそうな車椅子をなんとか支える。類もハンドリムに手を添えて手伝ってくれている。
 車椅子を押してみると、道路は平坦なのではなく側溝に向かってゆるくカーブを描いていのだと気がついた。雨水を逃がす為の構造なのだろうが、気をつけていないと車椅子が溝のほうに引きよせられていってしまう。
「これで道路を走るのって大変なんだな……」
「うん、いつも微妙に道路の中心側に力入れるようにしてないとね。まあ、僕はもう慣れたよ」
 街路樹のある大通りから細い道に入った。もうほとんど人影は見えない。住宅街は静まりかえっていた。
「ええと、話戻るけど、俺もってことは、さっきのができんの? 類と同じ事が俺にもできんの?」
 一草の声はわくわくする気持ちを隠しきれていなかった。類は苦笑する。
「うーん。理屈ではできるんじゃないかなぁ。でも、プラチナベビーズの能力は個体によって現れ方が全然異なるんだ。『人体複製』、『千里耳』、『自動発火』もしくは『自動爆破』。そして『透明障壁』の僕。能力はバラバラなんだ。研究者たちはこれに粒子で説明をつけたいらしい。
 この世界にはまだ人間の科学力で存在を観測できない、未知の粒子が存在すると仮定しよう。ほら漫画やアニメで、ダークマターとか暗黒物質とか呼ばれてるやつだよ。これを研究者たちは、アクシオン粒子と呼んでいる。アクシオン粒子は普通の人には見えないし、感じない。科学的に存在を証明する手立てがまだない。ただし、僕らにはそれを感じてあやつるチャンネルがある、ということだ。
 僕はたぶん、空気中からその粒子を大量に集めて固めることに秀でているんだ。『人体複製』はその応用編かな。『自動発火』は何かと反応を起こさせているか、粒子の超加速かなんかで熱を起こせるのかもしれないね。『千里耳』はテレパスに近い能力なんだ。だけど、ボイルやロックが提唱した『粒子仮説』では人の心に起こる感情や観念も、超微細粒子が感覚器を刺激するために起こる、とされている。これが本当だとすると、人の心に作用することも説明できそうだ――て、いうことだけど、これはまだ仮説に過ぎないし少々こじつけっぽいけどね」
 類はふと民家の生け垣を飛ぶ、小さな虫を目で追った。
「一草、オオマルハナバチって蜂を知ってるか? 子供にクマンバチって呼ばれたりする丸っこくて毛深い黒い蜂だよ」
 一草はああ、とうなずいた。ちょうどこの季節、栗の花などにたかっている姿を思い出した。
「ほんの十数年前まで、この蜂が空中を飛ぶのは理論上不可能とされていたんだ。人間の航空力学では、この蜂の羽の大きさ、回転数から出される揚力と体重とがつりあわない。それでも知っての通り、オオマルハナバチは毎日飛んでいたんだ。大自然はいつも人間の科学力では計算できない課題を残す。今はレイノルズ数や動的失速を考慮に加えた計算があみだされ、この謎は解明されている。やっと実際の現象に理屈が追いついたんだ。僕らが万能だと思いがちな人間の科学力なんて、実際はこんなもんさ。僕らはまだ解明されてない、新しいオオマルハナバチってこと」
 類はすがすがしく言ってのけて、再び一草のほうを見た。
「さてと、あとは君だ。君は何ができるのかな?」
「いや……俺はなんもできないけど」
 申し訳なさそうに一草が答える。類はくすくす笑い出した。一草の目から、類の肩が揺れるのが見えた。
「ごめん。知ってる。君は『能力未知』の一草だ。いや、そんなにしょんぼりすると思わなかったから」
「未知?」
「うん。君はこの島で監視されてるんだけど、今のところ変わった能力を報告されていないんだ。でも、どうかな。外側に現れてないだけで、実際は何か自覚がある?」
 一草の心に何かがひっかかっていたが、知識のある類にうまく説明する自信がなかった。
「いや……なんか。能力ってほどのものでもないし。ていうか、俺って、できそこないってことなのか? プラチナベビーズとして」
「とんでもない。君は僕らのエースだ。切り札だよ」
「……ぜんっぜん話が見えないんだけど」
「うん、説明を続けよう。プラチナベビーズは最初その存在を知られていなかった。僕らは普通の赤ん坊として育てられていた。そして、ある日事件が起きる。当時小学二年生だった少年Aがありえない方法で人に重症を負わせてしまったんだ。彼は超能力者としてテレビ番組の取材を受けることになっていて、その関係者と言い争いになり、相手をビルの窓から落としてしまった。事件の一部始終は番組制作会社のスタッフたちが目撃していた上、カメラにもおさめられていた。彼の能力はどう検証してもトリックには見えなかった。
 立て続けに、産婦人科病院で出産中に謎の爆発事件が起こった。綿密に調査されたが、火災原因はみつからない。そうする間にも今度は小児科病院で同様の事故が起こった。共通する条件は、例の赤ん坊がその部屋に存在していること。そして、そこで初めて子供たちの存在そのものへ疑惑の目が向けられた。
 その結果、導き出された答えが『プラチナベビーズ』。つまり希少な遺伝子を保有した子供たちだった、ということ。産婦人科の記録からすぐに、妊娠中の感染症との関連が疑われた。条件に合う疑わしい子供たちは秘密裏にDNA検査が行われ、五人のプラチナベビーズが見つけだされた。
 政府につきつけられた問題は、彼らをどう裁くかということ。彼らを人間社会で受け入れられるかどうか、人間として認められるか、ということだった。そこで。国際弁護士を生業としている僕の父親が、プラチナベビーズの親やその周辺の人々、支援者を募り、人権擁護のための団体を設立した。プラチナベビーズは人に危害を加える恐れがあるから危険だと訴える科学者たちと戦い、政府要人との粘り強い交渉を行って、ある途方もない提案を実現させた。
 それがこの島だ。この人工島ハーバーガーデンで、僕らプラチナベビーズは周囲の人から監視を受けながら、一般の人々と同じように暮らす。僕らがみんなと同じ『人間性』を持ちあわせていることが証明されれば、僕らは晴れて人として人権と戸籍を得られる。そういう行動観察実験が行われることになったんだ」
「監視……?」
「そう。心当たりはないかな? 君とやたらと一緒に行動していた親友、とか」
 類がちらりと一草を見上げた。探偵のような目つきだった。一草の脳裏に、恵吾のおとなしそうな横顔がよぎる。
「いや……いやまさか」
 類は前を向き、同情するように言った。
「信じたくはないと思うけど、南高校の生徒の中にも監視者はたくさん混ざっていたんだ」
 一草は急に心細くなった。自分が当たり前に享受してきた平凡な高校生活が、監視のための舞台だったなんて。今まで自分に向けられた友人達の笑顔は、言葉の数々は――一草の素の人柄を引き出すための演技だったというのだろうか。
 あわてて思いかえした。俺は今まで、何を語って、どんな態度で周囲の生徒たちとと接してきただろう。教室に。食堂に。廊下に。体育館に。通学路に。『葉月一草が人間としてふさわしいか』ジャッジするためにじっと観察していた冷たい目が存在していたのだ。
「なんであんたはそれを知ってるんだ。ていうより、なんで俺はなんにも知らされてないんだ」
 うろたえた声を出す一草に、類はほっとしたような微笑みを肩越しによこした。
「よかった。ここまでの話、信じてもらえるんだな」
 そして真剣な顔で続けた。
「一草。落ち着いてきいて欲しい。ここに住む一般市民は君がプラチナベビーズだということを今日まで知らなかった。知っていたのは、監視者とその管理組織。そして支援者だけだ。そう、君のご両親も支援者だ。僕はこの島の事情に明るいが、そもそも立案者の息子だし。それに、僕は早くから自分の能力に気づいていてプラチナベビーズだという宣告も受けていたからね。君はまだ能力みつかっていなかったから、それを本人に告知することが許されてなかったんだ。できる限り自然な姿を観察するため、本人への告知は最小限にとどめるように定められていた。だから、ご両親でさえ伝えることができなかったんだ」
 一草は、自分のブレザーのポケットにしまったタブレットの存在を感じていた。自分には何も知らせずに、たった一人で自分をこの島から逃がす方法を画策してくれた父親の苦悩を思った。
「でもそのおかげで君は、余計なことに悩まずのびのび学校生活を楽しんでこれたんじゃないかな?」
 類の声には少しだけ羨望の響きがあった。
「だってね、五人のプラチナベビーズの中で、一番問題なく周囲にとけこんで学校生活を送っていたのが君なんだ。ていうか、周囲と摩擦を起こしていないのは僕らの中で、もう君だけと言ってもいい。さっきも言ったけど、君は僕らのエースだ。希望の星なんだよ。それに研究者達の視点から見ると、君は進化過程のミッシングピースだという見方もある。人間とプラチナベビーズの進化の途中にいる存在。プラチナベビーズでありながら人間でもある存在。君のことがもっと解明されれば、僕らが突然変異の化け物ではなく、人間の延長線上にいる者だと証明されるかもしれない」
 一草は複雑な気持ちになった。自分が知らないうちに期待される立場になっていたなんて。しかも、どう努力していいのかよくわからない状況で。
「まあ、もちろん君の能力がこれから目覚める可能性は充分にある。そして、死ぬまで目覚めない可能性もある。どっちが幸せかな?」
 芝居がかったしぐさで首をかしげる類に、思わずたずねた。
「類はどうなんだ。能力があるのとないのと、どっちが幸せだった?」
「僕に能力がなかったら、さっき君は撃たれてたんだよ」
 笑いながら言い、そして急に首をうなだれた。
「でも僕は――本当は無いほうがよかった」
 意気消沈した声だった。さっき、「結構この能力を気に入ってる」って言ったじゃないか、と一草は思ったが口には出せなかった。
「そこ、左の細い道入って」
 類が指示を出した。
「了解」
 細いタイヤが、歩道の段差にあたる。
「これ、力ずくで乗り上げていいの?」
「うん、力ずくでもいいけど、ハンドリムの外側にティッピングレバーがあるから、それを踏むと前輪が上がりやすくなる。踏みながらウィリーさせてみて」
「うっしゃ」
 それらしいレバーを踏み込み、同時にハンドルを握る手に力を入れて前輪を浮かせた。苦もなく十五センチほどの段差を上がった。
「こんなレバーあるんだ。これって車椅子でも高級品だろ? 病院のじゃこんなの見ねえ」
 一草はしげしげと車椅子の全体を見る。ハンドリムのビニールカバーと全体の塗装は揃えたような深い青紫で、控えめにホログラムがうめこんであるのが宇宙をイメージしているように見えた。
「僕のはカスタムオーダーで作ってもらってる」
「すげー、お坊ちゃまなんだな」
 ふふ、と類が笑った。
「うらやましい?」
 軽い口調に一草のほうが戸惑う。
「類は、生まれた時から歩けないのか?」
「いいや。僕が歩けなくなったのは小学二年生の時」
 小学二年生、と口の中で繰り返す。聞き覚えのある単語だった。
「覚えてるかい?  さっきの話。プラチナベビーズとして最初に事件を起こした小学二年生っていうのは、じつは僕なんだ。行動制限があるのは、人を傷つけたペナルティなんだよ」
「ペナルティ?」
 聞き慣れたルール用語は、思わぬ重みで一草に響いた。
「僕は腿に神経伝達を遮断する物質を埋め込まれていてね。これがあるかぎり、僕は自分の足で歩くことができない。一人で行動できる範囲がかなり制限されるんだよ。悪いことしたからね」
「そんな……だって……だってそのとき類は小学生だったんだし。あ、歩けなくさせるとか、この国にそんなことしていい法律ないだろ」
 一瞬、類の背中がこわばった気がした。
「……一草、僕らはまだ人間じゃないんだ。人の法では裁かれない。僕が……僕が愚かな事件を起こしたおかげで、プラチナベビーズみんなが差別され、危険視されるようになった。僕がこの『行動制限』を受け入れることで出資者に実験を継続してもらえるなら、それに従うしかない。僕一人のために、一草や他のみんなを悪者にはできない」
「将来、俺たちが人間だと認められれば、それは取り除いてもらえるのか?」
「わからないけど、ひょっとしたら」
 一草は類の白い首筋を見た。育ちの良い知性的な顔をしていた。髪はもともとくせっ毛なのか全体的に柔らかなウェーブがかかっていて、それがより彼を上品に見せていた。言葉は丁寧でやたらと知識もあるらしい。けれど、類の本質は強い責任感にあるような気がした。
 ――プラチナベビーズはみんな兄弟のように思ってる。
 幼い頃の自分の失態を取り返すために、彼は情報を集め、仲間を守ろうとしてきたのだろうか。
「あんたは、俺があの橋で足止めされるって知ってたんだ」
「うん。自分が何者かを知らない君が、パニックになることを予想していた」
「それで、危険を承知で来てくれたのか」
「僕はね、かならず君たちを人間にする」
 たのもしく言いはなつ類の言葉には微妙な違和感があった。なぜ類は「君たち」と言うのだろう。なぜ「僕たち」と言わなかったのだろう。
「類、それは……」
「ほら、そこが僕のうちだ。おつかれさま」
 さえぎるように、類が目的地への到着を告げた。類の自宅は重箱を少しずらして重ねたような現代的な建物だった。真っ白の外壁とガラス窓が、夕陽を反射してまぶしかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み