第39話 覚醒――如月理央 2

文字数 5,255文字

 五月二十日 午後三時
 類の家の地下で、理央は無菌処理を行い自分の手足を強化モジュールに付け替えた。七色に光るホログラムキーでガウスガン専用のロッカーを開け、弾倉と充電地を装填した。弥生真尋が逃走したという情報を聞いてから、すぐに監視者施設から持ち出して類の自宅に隠していたものだ。
 暗紅色のボディスーツに身を包み、髪を後ろに流して、ゴーグルをはめた。準備を終えると表情をひきしめてダイニングに顔を出した。
「行ってくる」
「じゃあ、僕も一緒に」
 車椅子のハンドリムに手をかけた類の隣で、澪が立ちあがった。
「私が行く」
 困惑する二人を尻目に澪が堂々と言い放った。
「私が理央ちゃんについて行く。私の能力で類のかわりに理央ちゃんを守ってあげる」
「澪?」
 何か言いかけた類に、澪は強く言った。
「大丈夫だから。類はここにいて。どこにも行かないで」
「澪、君はひょっとして……」
「理央ちゃん、行こう。私は理央ちゃんの高性能ソナーになる。私たちは無敵のコンビだ」
「わかった」
 理央は澪の手をとった。理央は確認するように背の低い澪をのぞきこんだ。
「澪、怖くないね」
「理央ちゃんの腕を信じてるからね」
 類は複雑な顔をしていたが、やがて何か思い当たった様子でうなずいた。
「わかった。澪にまかせる。でも無理はしないでくれ」
「類、私たちのことは心配しないで」
 澪がいつになくきっぱりと言った。何かふっきれたように笑っっていた。この子はこんな笑い方をするのだと、初めて理央は思った。
 澪にはわかったのかもしれない。今まで重荷以外の何物でもなかった自分の能力を、役立てる時がきたということが。直感的にそう思った。
 玄関を出て、理央はタブレットを腰のベルトに固定し、ガンファイト用ゴーグルとセットアップされているヘッドセットにつないだ。フリーハンドで類のパソコンと通話できるように設定すると、ロングバレルのガウスガンを軽々とかつぎあげた。
「類、橋は二つある。どっちから?」
『破壊に時間がかかると思われるみどり大橋から行きたい。今、武装班が数名向かっているらしい、合流してくれ』
 類の声がヘッドセットから流れた。
「了解」
 後ろをついてくる澪をふりかえった。
「みどり大橋だって。このまま海岸沿いに行くよ」
 澪はうなずいて小走りになった。

 みどり大橋は全長三五〇メートルの吊り橋だった。海中からつきだした橋脚は、二股のフォークのような形で等間隔で並んでいる。その頂点を通るメインケーブルは巨大な放物線を描き、そこから海面に垂直におろされたハンガーロープが橋桁が落ちないよう吊っている。
 橋のたもとにはすでに、北高校のセーラー服を着て大型拳銃の入ったウェストホルスターをつけた少女を筆頭として一部隊が集まっていた。海岸沿いの外周道路に理央の姿をみとめると、武装した少年少女達は道を開いて迎えた。
(裏切り者。今でもそう思われているだろうか)
 澪が背中に隠れている。すでに周囲の生徒達の、ぴりぴりした心の奏でる警戒音を聴いているのかもしれない。
「おかえり。如月理央」
 セーラー服の少女が微笑む。
「難しい話はともかく、この橋を破壊することが重要なんだっていうことはわかった。それで、私たちは闘わなくてすむんでしょ?」
 理央は大きくうなずいた。
「おかえり」
「おかえり」
 次々かけられる言葉に、理央は泣きそうになる気持ちを抑えて言った。
「ごめんね。でも私、誰とも戦いたくなかったの。これは実験なんかじゃない。私たちは未来の戦争のために利用されてるんだって知ってしまったから。私たちの敵は違うところにいるはずだから」
 いつのまにか、少年少女たちの中心に立っていた。
「だから――見えないそいつらと戦おう。戦争を食い物にする連中と」
 おう、と声が上がった。
 セーラー服の少女は橋の袂を指した。
「半径五メートルに踏みこむと、警告に続いてガトリングガンの掃射がはじまる。らちがあかない」
「掃射?」
 橋のすぐ前の部分はたくさんの穴があいて、アスファルトがでこぼこにめくれあがっていた。
 理央は頭をめぐらせた。みどり大橋のすぐ東側には大きな立体駐車場の建物がある。のっぺりとした外壁が不気味に見えた。反対側は北高校方面につながるメインストリートの大きなケヤキの並木だ。こちらも、樹の中まで一本一本確認することはできない。そしてメインストリートの背景を彩るにぎやかな商店群。
 理央はじっとながめた。
(掃射はどこから行われるのだろう。それはただの威嚇射撃だろうか。それとも、脱走者を狙うように設計されているのだろうか)
 澪が黙って両手を自分の耳に当てた。正確には耳ではなく、そこにあるデバイスに。動物の耳のようにとがった三角形の精密機械に。ぎゅっとつかみ、一気に腕を外側にひろげて外した。髪の毛のような細いワイヤーが幾本も澪の頭からじかにつながっているのを、顔をしかめ、目を閉じて引きちぎった。
「澪」
 理央はとまどいながらもただ見守っていた。澪の顔にはっきりとした意志を読みとって。
 カシャン。舗装された道路に、澪のデバイスが落ちて、小さな部品をばらまく。
 しばらく澪は無言で目を閉じ、じっと何かに耐えるような顔をしていた。やがて、眉間の皺がすっとひろがり、悟ったような穏やかで自信に満ちた表情になった。いつも不安そうでぼんやりした印象だった澪は、今、覚醒したようにはっきりした顔をしていた。
「理央ちゃん、私の指示をきいて」
 澪に声で答える必要は無い。理央はガウスガンのレバーをひいてコイルに電力を供給した。バスケットボールのような球体の充電池パックが青く光り、コイルから熱がたちのぼる。
「行くよ」
 理央は半径五メートルに踏みこんだ。武装班の数人がポリカーボネイトの透明な盾を構え、すばやく壁を作る。その隙間から銃器を構えて警戒した。理央のタブレットから警告音が響く。ヘッドセットを振動させるほどの大音量に理央は軽く顔をしかめた。
 澪が鋭く叫んだ。
「右後方、45度。斜度、上へ25度」
 少年少女達がふりかえったそこには、立体駐車場の壁からのぞく銃口があった。壁の一部がシャッターのように蛇腹で開き、大きな回転式の銃器の銃口を露出させていた。
 理央の踵に仕込まれたギミックが飛び出し、アスファルトを噛んだ。足が固定された時には、すでに照準は合わせ終わっていた。
 パウッ。
 武装班の少年少女達は道路に伏せた。命中を確信した澪が、にい、と口角をひきあげる。
 灰色の粉じんが舞い上がったあとには、コンクリートの壁が大きくえぐられて、無残にひしゃげた銃身がぶらさがっていた。
「左前方、30度。上へ50度」
 休まず澪が指をさす。ケヤキの葉の陰に黒い銃身が見えた――気がした。
 理央のところからゆうに八百メートルは離れている。ケヤキ並木の梢にさえぎられ、誰も正確な形と場所は目視できない。それでも理央は撃った。見えなくてもいい。澪の指示にただ従うだけだ。高い樹々の葉陰に大きな穴が突き通された。強い風圧が周囲を圧倒する。
 パウッ。梢を撃ち抜く音と共に、パン、パン、と弾倉の暴発を思わせる音が続いた。
「理央ちゃん、命中。次、右へ60度。下へ10度」
 澪が表情を含まぬ声で指示する。立体駐車場の低い位置から新しい銃身が出されていた。理央は容赦なくレバーをひいて破壊した。
「とりあえず、これでおしまい」
 澪がまだ難しい顔をしたまま言う。
「じゃあ、行くよ」
 少年少女達が立ち上がった。手際よく爆弾を設置していく。遠隔スイッチで爆発が起きると、道路の塗装が噴水のように吹き飛ぶのと同時に、橋桁はねじられたように大きくたわんで、次々海に落下した。
「落とした!」
 誰かが嬉しげな声をあげた。しかしメインワイヤーは大きく波打ちながらもまだつながっていた。橋桁が一部崩落して、ワイヤーの描く放物線はいびつな形を描いている。
「橋桁を落としても意味がない。メインワイヤーを切らないと本土とつながったままだ」
 セーラー服の少女が険しい顔で告げる。
「ワイヤーを切る」
 理央はメインワイヤーにガウスガンを構えレバーを引いた。衝撃が空気を震わせた。メインワイヤーが大きくたわんだ。蒼穹を鞭打つすさまじい音と共に、ガウスガンの弾頭は弾かれていた。ワイヤーは耐久性を高められた軟性のある合金の塊だ。コンクリートのようにはいかない。二弾、三弾目も弾かれた。
 理央はワイヤーをにらみ、ため息をついた。メインワイヤーは鋼鉄のピアノ線でできている。みどり大橋に採用されたワイヤーは1平方ミリメートルあたり一八〇キログラムの引張強度があるとされている。これを約百万本、直径一メートルほどの太さに寄り合わせて作られているのだ。ねじりによる強化を考慮せず単純に強度をかけ算しただけでも、引きちぎるには十八万トンの力が必要になる。
 理央はヘッドセットのマイクに叫んだ。
「どうしよう類、橋のメインワイヤーが切れない」
『理央、アンカレイジを狙え。メインワイヤーをメガフロートに固定しているコンクリートの重しだ。橋のたもとの下。橋脚の付け根にあるはずだ』
「破壊すればいいの?」
『その箱の中では、ワイヤーは細く分岐されている。きっと切ることができると思う』
 理央は、ただの崖となった橋のたもとに駆けよった。慎重に下をのぞきこむ。前なら橋の下になって目に見えなかった部分だ。落ちた橋桁が割れた板チョコのように折り重なった下に、灰色をした台形のコンクリートブロックがあるのが見えた。ブロックは大きく打ち寄せる波に、上辺まで洗われている。
 理央は迷わず、橋のたもとの崖っぷちに自分の両方のかかとを固定した。ガウスガンを構える。電力供給のためのレバーをひくと、小さな電子音が鳴った。充電地の残量が減ってきている。ここからは最大出力は望めない、というメッセージ音だった。
 理央は心の中で舌打ちした。八〇パーセントの出力であと数回撃てば、電池は終わってしまうだろう。一度類の自宅に戻って、電池パックを交換するか、それとも出力を五〇パーセントまで絞ってなんとか持たせるか。
 逡巡しているうちに、緊迫感をはらんだ澪の声が響いた。
「また掃射が来る。理央ちゃんの位置から、右側に125度。上へ30度」
 顔を上げた。体の向きを変えて足を固定しなおす時間はない。
「澪、伏せて」
 腰をひねって必死で叫んだ。武装斑の隊列が流れるように動き、透明の盾が理央の背中を守ろうととりかこんだ。
「どいて! みんな巻き込まれる。私は平気だから」
「私たちだって共に戦う!」
 セーラー服の少女は震え声で怒鳴った。理央はガウスガンで必死で狙いをさだめようとするが、体をひねった姿勢では照準が安定しない。理央は引き金となるレバーを引けなかった。
 パウッ。それでも聞き慣れた音と、空気の振動が伝わってきた。メインストリートの並木の一つが煙をあげて倒れた。それを片手で支えたのは、まだ十代前半の少年だった。理央と色違いのボディスーツを身につけている。
「理央さん、遅れてすみません」
 不自然なイントネーションで言ったのは、澄人。理央はさっきから身動き一つせずつっ立っていた澪に言った。
「……今のは私じゃなくて、彼に指示したのね」
 こくり、と澪はうなずく。
 澄人は折れた幹の断面を見ていた。外側はよくできたイミテーショングリーンで幹の内部は金属の筒状になっている。銃器部分の破壊を確認して地面に下ろすと、理央のほうに走り寄ってきた。
「理央さん、僕は今から創君のところへ行きます」
 自分のかついでいたガウスガンを理央の足下に置いた。
「この銃を予備として理央さんに託していきます」
 そして反対の肩から前後にぶらさげていた青い球体をさしだした
「充電池も、ありったけ持ってきました。橋の破壊はお願いします」
「澄人君……もう大丈夫なの?」
 澄人はにこっと笑った。
「僕はもう三回も死にかけたんですよ。ショットガンで撃たれそうになったり、ガウスガンの事故にあったり、感染症になったり。そのたびに、みんなが助けてくれたんです。僕だって。僕だってこのバトンを誰かにつなぎますよ」
 力強く笑って、澄人はメインストリートを走り去っていった。
 数分後、ガウスガンの充電地を入れ替えた理央は、無事に二本のメインワイヤーを留めているアンカレイジブロックを破砕した
 コンクリートの箱の中から解き放たれたワイヤーの先端は、一度反動で大きくはねあがってから海の中に身を横えた。数メートルもある白い壁のような波が立ち、理央の背後で雪崩のように崩落した。
 理央はマイクに告げる。
「みどり大橋、破壊完了」
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