第9話 内部告発者――芝 虹太 3

文字数 6,948文字

 五月十八日 午前七時
 あくる日になっても、一般市民は戻ってこなかった。虹太とリルハは、学校の二階の窓から奇妙なほど静まり返った街を眺めた。動く者がない。自動車も出勤と通学に歩く人も。犬の散歩をさせる人も。パン屋やコンビニの店員も。誰の姿も無い。時が止まったようになった街に日は昇り、建物の影だけが黒々と伸びていった。
 監視施設までは、北高校から徒歩で十五分ほどだった。研究棟、研究者の宿泊施設、そして監視施設。三つのビルが放射状に向き合い、その中心にそれらをつなぐ空中廊下があった。ガラス張りだった空中廊下の屋根は、今はビニールシートで覆われ、監視施設のビルには中ほどに一つ大きな穴があいて、玄関脇にがれきが寄せてあった。
「ねえ、話が違うと思いまーす」
 リルハがふくれる。
「甘えてんじゃねえ」
 虹太はそっけなく言った。昨夜から、お互いにだいぶうちとけてきた。
「だって、昨日送ってくれるっていったじゃん」
「だから、送っただろ」
 虹太は、監視カメラの目を盗んで道を選び、監視施設の近くまできた。テラスの植え込みの影からリルハに玄関を示して、行け、と言った。
「門の上に監視カメラあるだろ。あれに笑顔で、一般人でーすってアピールしろ。保護してもらえんだろ」
「一緒に行ってくれるんじゃないの?」
「子供ですか?」
「むかつく」
「大丈夫だってば」
 虹太は面倒くさそうに言った。
「なんでシバっちゃんは行かないの?」
「言っただろ。俺みつかったら、監視下におかれるって。自由に動けなくなるから嫌なんだ。俺は別行動したいんだよ。まだ、プラチナベビーズの制圧が終わってないみたいだし。リルハが正面玄関から入って不審者として吟味されてる間に、俺はちょっと裏から入って、護身用の武器を調達したいなって」
「不審者?」
 リルハの眉がぴくり、と動いた。
「あ、えーと」
「私、不審者になるんだ。シバっちゃんのために、おとりになれってことなんだ」
「ちが……いや、そうかな。まあでもいいから、さっさと保護してもらえよ」
 そんなの嫌だよ~、と叫ぶ。
「バカ、大きな声出すなよ」
「私、シバっちゃんと一緒に行く。そっちのほうが面白そうだもん」
「死にたくないって言ったのお前だろ」
「どっちも危険な匂いがするもん」
 しょうがねえな、と吐き捨てて、虹太はしゃがみこんだ。どうも彼女には、昨日から行動をかき乱されてばかりいる。
 虹太は胸ポケットからボールペンを出した。百円ショップで見るような安物のボールペンは、ノックすると、先から極細のプラスドライバーが顔を出した。ポケットからタブレットを出す。充電器をはずして内部の小さなねじを外した。
「携帯のSIMカードって知ってる?」
「機種変の時、入れ替えるやつだよね」
「そう。通信用のID設定が記録されているカード。俺のタブレットは、監視者を外されたとき、監視者メンバーから登録を抹消されて内部施設には入れなくなった。でもIDを他の監視者のそれと入れ替えれば、まだ使えるってわけ」
「SIMカードは偽造できるってこと?」
 虹太は得意げににやり、と笑った。
「よい子は知らなくていいことですよ」
 小さな金色のカードを引き抜き、パーカーのポケットからコインパースを出した。中から、よく似たカードが出てくる。入れ替えて、電源を入れなおした。
「SIMロックを解除して、準備完了」
「なんかワクワクしてきた」
「遠足じゃないからな」
 裏口へまわる。虹太はパーカーのフードを深く被った。
「この先もカメラがあるよ」
「いいんだ。この先は学徒隊の更衣室兼待機室。ここを出入りするのはみんな学生なんだから、俺たちは一見しただけでは不審には思われない。顔だけ判別しにくいように、下向くか髪の毛で覆っとけ」
 リルハは髪を結わえていたシュシュを外して手首にかけた。手早く、髪をてぐしですいて顔の半分を隠す。
 入り口の端末機に、虹太がタブレットをかざした。一瞬の緊張ののちロックが解除される音が響いた。鉄扉を開いて進む。廊下に誰もいないことを確かめて、リルハを呼ぶと、二人は足音をひそませて廊下を進んでいった。
 虹太は男子用更衣室のドアに耳を当てた。人のいる気配は無い。音を立てないよう、そろそろと開けていく。
 ――男子用だよ。
 さすがに物音を立ててはいけない、と悟っているのか、リルハがぱくぱくと口を動かす。
 ――今は誰もいねえよ。
 二人は灰色のロッカーの並ぶ部屋に足を踏み入れた。しん、と静まりかえっている。
 入り口に見張りとして、リルハを立たせ、虹太は中へ進んだ。
 ――今のうちに、さっさとやるぞ。
 虹太は番号を見て、目当てのロッカーを探した。ポケットから先ほどのドライバーを出すと、先を伸ばして鍵穴に差し込む。しばらくいじっていると、カチャン、と内部の錠が上がる音がした。扉を開けて、上段に設置されているガンボックスから、手早く自動拳銃とマガジンを二つ取り出してパーカーのポケットにつっこむ。
「うまくいったって顔だな、虹太」
 いきなり冷水を掛けられたように、虹太は固まった。視線だけを動かして、ロッカーの扉の裏についた鏡を見る。
 自分の背後に立っているのは、如月遥馬。かつての同僚の姿があった。遥馬は、黒のガンファイト用のボディースーツを着て、首にゴーグルをかけていた。腰の両側のホルスターに、大型拳銃が装備されている。その一つに右手をかけていた。
 虹太は後ろ向きのまま、ゆっくり両手を挙げた。入り口にいるリルハが合図しなかったということは、最初からこの部屋に隠れて自分を待ち受けていたということだ。虹太は、がくっと肩の力を抜いた。
「あー、罠ですか。そうですか。そういや、やけに簡単に侵入できちゃったな、と思ったよ」
 遥馬は口元だけで笑った。
「情報を求めてくるとは思っていたけどな。武器が欲しかったのか」
「俺にだって、自己防衛の権利はあると思うんだけど」
「シギント班のテックは、射撃訓練を受けたんだっけ?」
「かたいこと言うなよ」
「遥馬さん、彼女もいるみたいですよ」
 リルハを連れてきたのは、澄人だ。右肩にロングバレルのガウスガンをしょっている。
 虹太はリルハを顎でさした。
「なあ、遥馬。こいつは監視者じゃないし、もちろんプラチナベビーズでもない。ただの逃げ遅れた一般市民なんだよ。お前たちの力で、本土まで送ってやってくれよ」
「何も知らない善良な一般市民が、拳銃泥棒の手伝いをしたわけか?」
「えー。ええと」
 言いよどむ虹太を尻目に、リルハは悲壮な表情で訴えた。
「私、シバっちゃんに利用されました」
 はあ、と虹太は半眼でため息をつく。
「うん、ま、それでいいか。そういうことなんで」
 遥馬はリルハを審査するように、上から下までじっと見た。
「名前は?」
「皆月璃瑠羽」
 ひょこっと首をかしげて、上目遣いに見た。遥馬は、リルハの媚態を眉一つ動かさずにやり過ごすと、冷ややかに続けた。
「君の処遇はとりあえず保留だ。こいつに少し話がある」
「遥馬、どうせつかまるんなら、俺からも特殊武装班のみんなに言いたいことがある。班長の太一さんにとりついでもらえないか」
「太一さんは負傷して本土の病院に移送された。今は俺が班長だ」
 そうか、と虹太は遥馬を見る。鋭い目をした細面だ。切れ者だと最初から思っていた。配属された班は違ったが、同じ監視者だった。同じ北高で同学年だった。
 実験を成功させて大金を得る。二人ともその目的のためにやってきたはずだ。しかし今、二人の間には、埋めようのない大きな溝ができてしまった。
「虹太。『破壊神1/4』ってアカウントに心当たりがないか」
「は?」
 虹太の頬が驚愕にひきつった。遥馬はその反応を見て、意地悪そうに微笑んだ。
「いや、ペンネームと言うべきか? 『シヴァ・クォーター』と読むらしい。彼は、携帯小説サイトにコメディ小説と恋愛小説を投稿し続けている。昨晩は、なぜか更新できなかったらしいけどな。心当たりはあるかな? シバコウタ先生」
「なんだよ、やな言い方すんなよ。俺が小説書いてちゃ悪いか?」
「認めるんだな」
 遥馬は罠にかかった獲物を見る目で、虹太をながめた。
「それを確かめたくて、お前を待ってた」
「へえ。熱烈なファンてことでいいですか」
 ちゃかす虹太には答えず、遥馬は腰のケースからタブレットを取り出した。
「コメディのほうはいい。恋愛小説が問題だ。章の冒頭に異常なほど数字にこだわったキャラクター設定がついてるんだよな」
 画面を見ながら読み上げる。
「たとえば、『石田真菜。17歳。11月8日2時50分生まれ。出席番号5番。身長163.5センチ、体重48キロ。スリーサイズ、B82、W60、H86。靴のサイズ24.5』こんな調子だ。この数字を本文の文字列に当てはめると、別の文章ができあがる。俺たちがこんな簡単な暗号を読み解けないとでも思ってたのか?」
 虹太は、ぷっと噴き出した。眼鏡のレンズの越しに挑戦的な目を向ける。
「おいおい、今ごろそんな話か? 気づくのが遅せぇよ。お前らの検閲は機械的だからな。文字列が近接してなければ、引っかけられなかったんだろ?」
 虹太の瞳が、遥馬を挑発するようにに光る。してやったり、と言いたげに口角を上げた。
 遥馬は苦々しげに言葉を継ぐ。
「守秘契約違反だ。お前は小説の中に暗号を隠して、ここで行われている実験について外部にリークし続けていた」
「何とでも言え。俺は、立場を利用して情報を集めた。そしてそれを発信することにした。暗号文だから、あれを読んでもなんのことか気づかない人間がほとんどだろう。でも、ひょっとしたら、あの小説の不自然さに気づき、解読してくれる人がいるかもしれない。この島で行われていることを知って、本土で行動してくれる人がいるかもしれない。この、どうしようもない実験を止めてくれるかもしれない。そう思って書き続けてきた」
 遥馬はタブレットをしまい、また拳銃に手をかける。
「お前は、完全に俺たちの敵にまわったんだな」
「いや、俺は監視者のみんなと手を組みたい。だから、聞いて欲しい。遥馬。お前だって、もうわかってるだろ。ここで行われている『実験』は実は二つある。一つは、プラチナベビーズの行動観察実験。最初にプラチナベビーズの人権擁護団体が計画した実験だ。そしてもう一つは、軍需企業による、新兵器の実戦データをとる実験だ。これこそが、トゥエルブ・ファクトリーズがこの実験に莫大な投資をした目的だ。『プラチナベビーズの制圧』という大義名分のもとに、金で集めた少年兵たちを戦わせて、新しく開発した兵器を製品化するデータをとるための実験だ」
 虹太は憐憫をこめて澄人を見た。
「ガウスガンも、それを扱うための強化モジュールを使用した『バイオアーマー』も。ここでの試作品から、今後実用化される新兵器だ。ここで戦闘が行われて実績が出来れば、連中はこれを商品として売りさばく。
 いいか。考えてみてくれ。この人工島を建設した時点で数千億は投資されているんだ。奴らはその金を絶対に回収する。投資をして新兵器を開発したものの、売れなかったではすまない。需要は作りだされる。次の戦場が人の手によって生みだされる。トゥエルブ・ファクトリーズの後ろには、国家予算並みの金を動かせる投資家がごろごろいるんだ。奴らにとって、もともと紛争の火種を持ってる国々に、油をまいて火をつけることくらいたやすいんだよ。ここでの実験が成功すれば、次は本物の戦争が起きる。
 たかが、数千万の金に目がくらんで右往左往してるような俺たちが、たちうちできるような相手じゃない。でも、たった一つ、奴らに抵抗できるとしたら、それはこの実験を失敗させることだ。このことを、特殊武装班のみんなに伝えてくれ。プラチナベビーズとは戦うな。平和的に解決して、兵器実験を失敗させろ」
 虹太は必死に訴えた。
「遥馬、頼む。これから起こる戦争をここでくいとめろ。俺たちの未来に禍根を作らないでくれ!」
 遥馬は黙ってきいていた。リルハも澄人も沈黙している。
 やがて、遥馬はなんの表情も変えず淡々と語り出した。
「虹太。お前もこの豊かな国で、脳みそのふやけたおめでたい人間の一人なんだな。戦争が無いほうがいい?――戦争がどれだけの人間を養ってると思ってるんだ」
遥馬の声には静かでありながら、どこか怨嗟の響きがあった。
「世界の重工業、化学工業、その他の関連企業がどれだけ軍需で潤ってると思ってるんだ。いや、それよりももっともっと切実に、まともな教育もない、雇用もない国で、兵士で食ってる人間が何人いると思ってるんだ。戦争がなくなったところで、彼らは金を稼ぐ術を持たない。人身売買や臓器売買の裏市場がにぎわうだけなんだよ。それをお前は、自分の足元だけ見て『平和な未来』と呼ぶのか? お前だって、自分の夢のために金が欲しかったんだろ。きれいごとを言うな」
「俺は、たくさんの人を犠牲にしてまで契約金を得たいとは思わない。膨大な死体の上に築かれた繁栄なんていらない。俺たちがそう考えるところから始めるんだ」
 遥馬は、もともと険しい目をさらに細くした。
「虹太、俺はけっして貧しい外国の話をしているわけじゃないぞ。この国だって、これからどんどん貧しくなっていく。『平凡なサラリーマン』なんて過去の言葉だ。正社員として就職し、決まった給料をもらって、家族を養って、ローンを組んでマイホームを買う。そんなのはもう平凡な人生なんかじゃない。恵まれた一握りの人間しか、そんなふうには生きられないんだ。
 俺たちは使い捨ての労働力として、安く買いたたかれる。その上、政府の抱える前時代からの莫大な借金、高齢化社会の医療費、年金を重税で支払わされる。俺たちの将来は、すでに無残に食いつぶされて豊かになりようもない。
 かつて、この国は焼土と化したことがあった。そこから奇跡の復活をとげた。産業の急成長をはたした。そのために何が必要だったか、ちゃんと歴史の時間にお勉強しただろ? 朝鮮戦争――周辺国の戦争だよ。それでこの国は立ち直ったんだ。俺たちが、曽祖父や祖父がしてきたのと同じ方法で豊かになることを望んで、何が悪いんだ。それがこの世界のシステムじゃないか」
 遥馬は拳銃を抜いた。
「さあ、お前のタブレットを出して、小説サイトにアクセスしろよ。今から、アカウントを消して、例の小説を消去しろ。残ってるデータも全部だ」
 虹太は反射的に答えた。
「断る! ……俺には戦ってお前たちを止める力は無い。俺にできるのは、ただ人より文章を器用に書くことと、ほんの少し先のことを想像することだけだ。それでもその力で、最後まで抵抗してやるからな」
 遥馬は、想定内だ、とばかりにうなずいた。
「では、お前が納得できるよう、取り引きにしてやる。そこの彼女を、無事に本土まで送ってやる。そのかわり、お前は小説を全消去だ」
 虹太はリルハを見た。澄人が背後でガウスガンを構えている。泣きそうな顔でリルハが首を横に振っている。
(あーあ、本当は怖いくせに)
 虹太は天井を仰いでため息をついた。
 のろのろと、ズボンのポケットからタブレットを出した。左手に持ちかえすと、胸のポケットからペン型のドライバーを出す。
 一瞬、隙をつけないかと遥馬と澄人をうかがうが、圧力を感じるほど二人に凝視されていることをみとめると、観念してタブレットの充電池を外した。
 リルハが、じりじりと両手を握り合わせてその様子を見守っている。大きな目に涙が浮かんでくる。
 SIMカードを入れ替え、小説サイトにアクセスし、パスワードを打ちこむ。
「シバっちゃん。消しちゃダメだ!」
 リルハが叫ぶやいなや、虹太の手からタブレットを奪い取って、両手で胸に抱えた。
「だって、作品はシバっちゃんの生きた証じゃないか!」
「動かないでくださいっ」
 澄人が高い声をあげて、ガウスガンを構えた。ブン……と電力の供給音が低く響く。
「待て、澄人」
 遥馬の静止を受けて、澄人はその場に固まった。
 リルハは遥馬と虹太の間に立って、涙をためた目で遥馬をにらみつけた。
「お前なんか、大っ嫌いだ! 私は、お前なんかに助けてもらいたくない」
 冷然とした顔に、ぎり、と音がしそうな目を向けて叫んだ。
「なめんじゃねぇっ。私たちは、表現者だ!」
 ぴくり、と遥馬の片眉が上がった。
「表現者、か」
 覚悟を試すように、念を押す。
「命の保障よりも、表現の自由をとる、そういうことか」
「あったり前だ」
 虹太は驚愕の表情でリルハを見た。
「……バカっ、お前」
「いいんだよ。これでいいんだよ」
 虹太は黙った。振り向いたリルハは、覚悟を決めた顔をしていた。
 ――私たちは同士だ。
 そういう彼女の声がきこえた気がした。
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