第32話 人道支援 2

文字数 6,241文字

 五月十九日 午前十一時
 翌朝、昼前に部屋から出てきた澪は顔色がひどく悪かった。いつもどおりデバイスを耳につけている。よろよろとリビングに入ってくると、理央がすぐに立ち上がって椅子に座らせてやった。
「ありがと、理央ちゃん」
 小さく言って、それからゆっくり首をまわして見まわした。テーブルには、朝食を終えた一草と類が座っていた。真尋は今日はまだ自室にいる。
「人が……死んだと思うんだけど」
 澪が口を開いた。
「文月恵吾のことか」
 類が穏やかな声で受けた。
「それは知ってる。きいてた」
 別室にいて真尋の話が聞こえたというのだ。
「それ以外に?」
「今日、さっき、この島の地下で、人が死にました」
 おどおどと上目遣いに周囲を見まわしながら、澪は言った。
「それは、創が手を下したわけではなく?」
「うん。創君とは関係ない」
 一草は考えをめぐらせた。
「プラチナベビーズではないよな。じゃ、監視者が死んだのか?」
「その人は、監視者でもなく、プラチナベビーズでもない……ジャーナリストみたいな。世間に本当のことを伝えようとした人」
 類が不思議そうな顔でたすねた。
「その人は、なぜ死んだ?」
「逃げたかったんじゃないかな」
「この島から?」
「そう。その人にはもう一人連れがいた。その子が今、ここに向かってる」
 三人は顔を見合わせた。澪は暗闇を手探りで進むように、注意深く言葉を選んでいった。
「私には……その子が私たちの敵か味方かわからない。でも、重要なものを持っているはず。だから仲間にしたほうがいい」
「重要なもの?」
 一草は澪をじっと見た。セットアップのTシャツとハーフパンツを着ている。薄紫と生成りのボーダー柄が、白い顔色を一層青白く見せている。おそらくこれも、類の家に備蓄されていた着替えなのだろう。
「真尋が来ることも、恵吾が死んだことも、君はわかってたのか?」
 一草の問いに澪はうなずく。自分の耳にあるデバイスにそっと触れた。
「これを付けて能力を制限しているから、なんでもわかるってわけじゃない。心の中の強い叫びだけ」
 そして、黒い丸い目で一草を見た。
「恵吾君のこと、もっと早く言ってほしかった? でも爆発が起きたのは一瞬で、ここにいる誰も助けることはできなかった。というか恵吾君は、もう助かることを自分からあきらめたみたいだった。この世界には、知っていてもどうしようもできないことがたくさんある。それをいうべきなのか、どうするべきか、私はいつも迷うんだ」
 澪は一度黙り、ためらいがちに言い足した。
「でも……パフェグラスが見えたんだって。恵吾君には」
「パフェグラス?」
 不思議そうな顔をする一草に、澪はうなずいた。
「一草が能力で見せているんだよ。恵吾君はそれを見ると、思いだすんだって。本当は誰とも戦わないで、まだ家族が仲良しだった頃の家に帰りたかったんだってことを」
 前髪の隙間から、にっこりと笑いかけた。
「恵吾君はそのおかげで最後に大事なことを見失わなかった。『沈まぬ太陽』……私もいい名前だと思うよ」
 澪の予言通り、それからすぐに初対面の少女が類の自宅を訪れた。北高校の制服であるグレーのセーラー服に水色のスカーフ。スカートは短くして、ヒールローファーを合わせていた。アッシュグレイに染めてゆるく内巻きにした髪と器用に薄化粧をした顔は、芸能人のようにあかぬけて見えるのに、その姿は真尋に負けず劣らず血まみれで壮絶だった。
「プラチナベビーズ、霜月類のうちってここ?」
 インターフォンに高い声が反響する。
「君は?」
 類が注意深く尋ねた。
「皆月璃瑠羽。北高校の二年。私を保護して欲しいの。場合によっては、如月遥馬と取引できるかもしれないモノを持ってるから」
「わかった、門を解錠する」

 リルハの話は類にとってとても重要だったらしい。長い時間彼女と話しこんでいた。時折、「そんなことわかんないよ。私そんなに頭よくないんだから!」とリルハが苛立つ場面もあった。だいたい類が質問責めにした後だった。
「遥馬との午後の交渉に進展があるかもしれない」
 類がはりきって言った。リルハの到来はまさしく救いの手だったのだ。
「取引できる材料ってやつ?」
「そう。そして、一草、君にも働いてもらわなくちゃならない」
 類は信頼をこめて見上げた。
「頑張ってくれよ」

 遥馬との交信で、類は最初に注意深く探りを入れた。
「どうだ? そちらで創の動きは把握できているのか?」
『もちろんだ。時々反応が消えるが、だいたい北西のマンション付近で異常な熱が観測されている。普通の人間は近づくと空気熱だけで大火傷の可能性がある。一刻も早い制圧が必要だ』
「まあ、そうあわてるなよ。君といつも行動を共にしていたバイオアーマーの中学生。澄人君と言うんだっけ? 前回の通話の時から姿が見えないけど、何かあったか?」
 遥馬が片眉をつり上げた。
『お前達とは関係ない』
「早めに高度医療を受けさせる必要がある。違うか?」
 遥馬の切れ長の目が見開かれた。通信画面の類を瞥見すると、眉間に深く溝を刻んだ。類はたたみかけた。
「澄人君はガウスガンの発射実験の段階から何度も強化モジュールを使用している。そのたびに免疫抑制剤と抗生物質を併用してきたんだろう? 抗生物質に対する耐性菌の発生は、いつ起きてもおかしくないところまできていた。違うか?」
 遥馬の顔に、今まで見たことのない苦渋のいろがうかんだ。
『熱は四十度を超えた。でも、本人が島を離れたくないというんだ。本土にはもう居場所もない。仲間がいるここで死にたいというんだ』
 それは初めて遥馬が見せる苦悩だった。
「見殺しにはしないだろう、遥馬」
『何が言いたい』
「ここに、芝虹太が病院と薬局で集めた他種類の抗生物質がある。見てくれ」
 ぐい、とパソコン画面の上部についたカメラをかたむけ、机の上にひろげられた薬の山を見せた。
「この中に、いつも澄人が使用しているものと種類の違うものがあったら、それは耐性菌に有効かもしれない。これを今から葉月一草に持たせて、監視施設に向かわせる。受けとってその子を助けてくれ」
『交換条件は?』
「ない。これは人道支援だ」
『本気で言ってるのか?』
 驚愕で見開かれた遥馬の目が、理解できない、と語っている。類は少し照れくさそうに笑った。
「僕が筋金入りの平和主義者だって、君もよく知ってるだろ? ただし、いくつかお願いがある。さっきも言ったとおり一草を向かわせる。彼から遥馬、君が直接会って受け取ってほしい。あともう一つ。そっちのモニタリングオペレーターの能力について教えてほしい」
 拍子抜けしたように遥馬は類を見た。
『それだけか……わかった』
「澄人君の体力がもつといいな」
『類。……礼を言う』
 そっけなく言って、さっさと通信を切ろうとする。よほどプライドにさわるのか、声がわずかに震えている。
「僕じゃない。芝虹太君に。彼の知識と洞察力に感謝してくれ」
『わかった。意識が戻ったら、澄人にも伝える』
 通信は切れた。これでいいだろうか、と問いかけるように類はリルハを見た。リルハは目にいっぱいの涙をためてうなずいた。
 一時間前。類とリルハは話し合っていた。
「取引にしないってどういうこと? それじゃシバっちゃんの意志はどうなるの?」
 紅茶色の大きな目をつり上げたリルハを、類はおだやかにさとした。
「リルハ、君の悔しい気持ちはわかる。でも、人の命を取引の材料に使ったら、あいつらのやっていることと同じになってしまう。澄人の命を人質にとって脅しているのと同じってことだよ」
 リルハの顔にかっと赤みがさした。
「いいんだよ。あいつらはそうされるだけのことをしてる! 自分たちがやったことをやりかえされたって、そんなの覚悟の上のはずでしょ?」
 類は、ちらりと不安そうな顔をしている理央のほうを見た。理央は澄人の境遇をよく知っている。
「これを戦闘放棄を条件にした取引にすれば、澄人の命を助けるために、監視者の少年少女たちは契約金をあきらめることになる。それで助かった澄人は、この先、生きていけるだろうか。監視者の仲間の中にしか居場所がないという孤独な少年に、それだけの責任を負わせられるだろうか。僕は、人を殺したくない。それは直接手を下したくない、という意味でもあるし、そういうふうに人を追い込みたくない、ということでもあるんだ。これ以上犠牲を出すことは、虹太君だって望まないだろう」
 リルハは黙った。
「これはあくまで人道支援だ。監視者に契約金をあきらめさせるという取引はしない」
 類は重々しく言い、そして最後に不敵に笑った。
「でも、監視者サイドと直接接触するチャンスにはちがいない。こちらも手持ちのカードはきらせてもらう。けして無駄にはしないつもりだ」

 一草は監視施設の玄関前に立っていた。バンザイの格好で両手を挙げている。背中のナップザックには、抗生物質の錠剤の入った袋がつまっていた。
 遥馬の指示したルートに従って、創のひそんでいる北西のマンション付近を迂回してここまできた。ビルの入り口には、すでに武装した学生が二名待ち構えていてボディチェックが行われた。一人は一草をにらみつけたまま、もう片方が一草の両手を上げさせ、胴体のラインにそって軽く叩いていく。ポケットのあたりは念入りだ。着てきたパーカーのフードまで裏返された。
 腕を下げるよう指示され、今度はナップザックの中身を開けて見せるよう言われた。ナップザックを下ろしてジッパーを開けると、学生の一人が一草からとりあげて、錠剤の入った袋を玄関のタイルの上に並べていく。他に余計なものを持っていないか、外側のポケットを一つ一つ確認している。
 その様子を見ながら、一草は類に指示されたことを頭の中で反芻していた。類が一草に与えたミッションは二つあった。一つは、監視者のモニタリングオペレーターによるデータ偽装を遥馬に直接持ちかけること。二つ目は、抗生物質の受け渡しの際に遥馬の肩を叩いてくることだ。自分の能力はまだ監視者たちには知られていない。叩くチャンスはたしかにありそうだと思った。しかしそれが本当に切り札になるのか、一草はまだ半信半疑だった。遥馬に対して、自分の能力が本当に発動するのだろうか。遥馬はそこで何をみつけるのだろう。
(自分の心の奥にしまった願望。彼もそんなものを抱えているのだろうか)
 ちらちらとノイズの入るパソコンの画面の奧で感情の見えない暗い顔をした男。遥馬の、仮面のような顔の奧に隠された心を引きずり出せるだろうか。まだ実感も現実味もわかなかった。
「よし、いいぞ」
 特殊武装班の班員の声がかかった。再びナップザックをしょって、監視施設に踏みこむ。
 司令室まで案内されるのだと思っていたが、如月遥馬はすぐ中のロビーに控えていた。それが睦月澄人の病状が深刻であることを物語っているように思えた。遥馬には他に学生が二人付き従っていた。中に見覚えのある女生徒がまじっている。橋梁の前で警備にあたっていた生徒だろう。
「葉月一草君、か」
 遥馬がロビーに並んだソファから立ちあがった。一草は一瞬身構えたが、黒の防護スーツに身を包んだ遥馬は武器らしいものを持ってはいなかった。
 一草は黙ってナップザックを肩からおろし、前に持ちかえた。
「持ってきました」
「……すまない」
 遥馬が近づいてくる。ナップザックを受け取り、すぐに他の班員に渡した。受け取った女生徒は、すぐに廊下を走っていった。足音が遠ざかる。
「あやまらないでくださいよ。ややこしい立場なのはお互い様です」
「ややこしい立場、か」
 暗い瞳に複雑な表情を見せた遥馬を見て、一草は恵吾の死を思い出した。自分は親友を失った。そして目の前の遥馬は、三十八人この島に残ったという仲間の一人を失ったのだ。自分たちが、一緒に恵吾を惜しむことは許されないのだろうか。
「君の監視者である文月恵吾には、俺が宇都木創を保護するよう指示を出した。彼の死は俺の責任でもある」
 遥馬は、一草の心を読んだかのようにそういった。
 一草は、ポケットからタブレットを出して文字を打った。ロビーの上方に取り付けられた監視カメラの位置を確認し、液晶画面を斜めにかたむけて遥馬に差しだした。
『その件だけど、俺は恵吾を犬死にはしたくない。せめて恵吾の家族に契約金が支払われるようにしてやりたいんだ。そのためには、プラチナベビーズと交戦したことにしなくてはならない。でも俺たちはその悪役を創君一人に背負わせたくはない』
 遥馬はタブレットを受け取り、表示された文字を読んだ。一草は画面を送るように、指を動かしてスワイプする動作を見せた。遥馬は画面を送り、続きを読む。
『そちらのモニタリングオペレーターの力を貸して欲しい。ここからトゥエルブ・ファクトリーズCEOに送られるデータを改ざんできれば、これ以上犠牲者を出さずに監視者は契約金を受けとれると思う』
 遥馬は首を横に振った。タブレットに文字を打ち、一草に返してきた。
『データに小細工をしようというのか。データはリアルタイムで送られる。オペレーターが改ざんするような編集の時間は作りだせない。そもそも、戦闘があったような映像や数値やデータは、何か参考にできるような資料がなければ偽装もできない。相手もプロだ。いい加減なことしたら見破られる』
 一草はそれを読んで、さらに返信を打つ。
『わかった。それを類に伝えて、また策を練る。これだけは託しておく』
 一草は左足の靴を脱いで、インソールをめくった。靴底との隙間からもう一つのタブレットをとり出すと、あらかじめ打ってきた文章を表示させ、遥馬に見せた。
『これは弥生真尋さんが所有していた春待太一さんのタブレットだ。真尋さんはこれを利用して監視施設から銃器類を持ちだした。この中に、妨害電波を発生させる装置の遠隔操作用アプリケーションが入っている。監視カメラの転送電波の波長に影響を及ぼしてノイズを発生させることができるものだ。妨害電波を発生させる装置は、太一さんがこの施設のどこかに設置したはずだ。太一さんはこれを利用して、真尋さんを逃がすときに、カメラ映像のトリックを作りだした。タブレットのセキュリティロックは真尋さんがすでに解除してくれた。これを使ってカメラの映像は攪乱できると思う、そっちでも検討してみてくれ』
 遥馬は半信半疑でタブレットを防護服のベルトについた物入れにしまった。
「じゃあ、薬も届けたんで、俺はこれで」
 一草は一度狭い部屋を見まわすと、覚悟を決めるように一度深呼吸した。チャンスは一瞬しかない。恵吾の肩を叩いた時のあの感触を手の平に再現させようと念じる。
「澄人って子によろしく。俺たちはきっといい友達になれると思いますよ」
 軽く言って、黒いボディスーツの右肩を叩いた。遥馬が一瞬、不快そうに目を細めた。
 急になれなれしくなって、おかしいと思われなかっただろうか。一草は、背中と脇の下にどっと汗がわいてくるのを感じた。
「友達か」
 遥馬はつまらなさそうにつぶやいた。
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