第16話 能力未知――葉月 一草 2

文字数 6,255文字

 島にかかる二つの橋のうち、南高校から近いのはガーデン大橋だった。しかし学校職員に引率されたベージュの制服の長い列は、東側のみどり大橋をめざした。
 ガーデン大橋は低層マンションとミナトタウンからの避難者を優先させ、高校生は横幅があり車線が多いみどり大橋を使用することに事前に決まっていたようだ。
 橋の近くまで来ると、北高校が見えた。グレーの詰め襟の制服が個性的なエリート校だ。教室の明かりはほとんど消えているから、すでに生徒たちは避難したあとなのだろう。
 大型の立体駐車場の前を通り抜け、みどり大橋の前へ向かう。そこには住民の長い列ができていた。
 一草の前は一年三組の列だった。最後尾に紛れこんできたものの、時折不審そうにこちらの顔を見る生徒もいて心臓に悪い。学年がわかる記名章はとっくに外していたが、それがかえって不審がられているのかもしれない、と思う。もう腹をくくれ、と一草は自分に言い聞かせた。ここまで来たらひきかえせない。
 生徒の先頭がみどり大橋を渡り始めると、一草は少しほっとした。
 橋の入り口では、ハーバーガーデンの専任警備会社の職員が誘導を行っていた。警察によく似た、見る者に威圧感を与える制服だ。警察はこの島では機能していない。島の管理会社から派遣されている私設の警備員が島内の治安を維持している。そして、彼らの後ろに控えているのは、なんと首からアサルトライフルをかけた詰め襟姿の男子生徒だった。
 南高校の生徒たちがざわめきはじめる。
「ほら、ほらね。津波なんかじゃない。緊急事態なんだよ」
「緊急事態って何?」
「え? 知らないの?」
 ひそひそ囁く声が聞こえた。
「そこ。今、何ていった?」
 脇から少女が詰め寄った。水色のスカーフを飾ったセーラー服の裾からは、大型拳銃が収まったウェストホルスターがのぞいていた。とたんに、話していた女生徒たちは小さく飛びあがり、そのまま下を向いて沈黙した。
 朝礼でも授業中でも未だかつて感じたことのない異様な緊張感の中で列は粛々と進んでいった。
 橋の入り口では、肩からモバイルパソコンをさげた警備職員が立ち、コードでつながった端末機に一人一人のタブレットをかざして身元を認証していた。
 一草は密かに息をのんだ。父親が言っていたことはこれだったのだ。自分は、これをくぐり抜けるための方策を授けられたのだ。同時に一草の頭にたくさんの疑問符がうかぶ。これはつまり「葉月一草」のままでは、ここを通り抜けられないということか。なぜ他の生徒たちと同様に通してはもらえないのだろうか。
 一草は考えてみるが何も思い当たらない。自分が人と違うことと言ったら――あの不可解な現象だろうか。あれが、何か問題になるのだろうか。
 思案している間に、一草の番が回ってきた。
(通り抜けてしまえば、もう関係ない)
 SIMカードを入れ替えたタブレットをかざす。
(自分は『新田一生』だ)
 端末からは今までの生徒達と同様に、スーパーのレジ機に商品のバーコードを通したときのようなピッという電子音がした。そのまま橋梁へ歩き続けようとする――と腕をつかまれた。
「ちょっと待て」
 さっきのセーラー服の少女だった。髪をポニーテールに結った普通の高校生に見える。なのになぜか大人の警備員まで、彼女たち学生に気圧されるように後ろにさがっていた。
 少女はのぞき込むように、じっと一草の顔を見たあと、確信して一つうなずいた。
「なんだよ」
「プラチナベビーズ、葉月一草だな」
(プラチナ……?)
 聞き覚えのない単語だった。
「お前、葉月一草だな」
 少女は感情を感じさせない低い声で再び尋ねた。
 右手がホルスターの拳銃にかかっている。
「あ、新田一生です」
 うわずる声で答えた。しかし、腕を放してはもらえなかった。
 彼女がすっと片手を上げると、他の生徒が近づいてきた。彼らは先ほどとは違う黒い棒状の端末機を持っていた。ぐい、と手をつかまれ、少女に左腕をまくり上げられた。
「おい、何す……」
 一草の左腕の内側を指で丹念に押す。
「ここだ」
 控えていた生徒が棒状の端末を近づける。すると一草の皮膚の下がほのかに光を放った。
 一草はぎょっとして自分の腕を見た。皮膚を透かしてぼんやり黄緑色に光っている。毛細血管が、緻密な地図のようにうかびあがっていた。
「なんだよ。なんだよこれ。俺の体どうなってるんだよ」
 怒鳴った。混乱していた。
「お前の体には発信器が埋め込まれている。今は存在を確認しただけだ」
 少女が相変わらず、落ち着いた声で言う。さっきから硬い表情で、にこりともしない。
「発信器?」
「おとなしく従えばいいのに。このつまらない小細工は誰に仕込まれた?」
 手に持っていたタブレットをとりあげられた。
「支援者か? 誰かお前を島から逃がそうとしたな。契約違反だ。このタブレットを渡した人間の名前を言え」
 一草は首を振った。背中が嫌な汗で濡れてくる。
「俺だ。俺が一人でやった。誰も関わってない」
 少女がタブレットを調べている。
「SIMカードの偽造か? お前一人でそんなことできるのか? 他に協力者がいるな」
 一草は必死で首を振った。
「知らない。知らない。知らない」
 一草が声を荒げると、一瞬のうちに間を詰められ、周囲を武装した学生に取り囲まれていた。よく見ると、中には南高校の制服を着た者もいた。おののきながら、その顔を見る。
「大木? お前、生物部の大木?」
 隣のクラスの男子生徒だった。おとなしくてインドア派の印象だったのに、今は自動拳銃を構えている。見慣れたエンブレム付きのブレザーの下に白いワイシャツとネクタイは無く、黒い防護服がのぞいていた。
「葉月一草だろ? さっさと認めろよ」
 大木が面倒くさそうに言う。
「お前らはなんなんだ! 武器なんか持って。プラチナなんとかってなんだよ!」
 先ほどのリーダー格らしい少女が、自分のタブレットで誰かと話している。
「……混乱しています。とりあえず、本人告知して身柄を拘束してよろしいでしょうか」
 電話の相手が少女になにか指示しているようだが、一草にはききとれない。
「拘束? 俺が何したって言うんだよ」
 一草は会話に気をとられていた少女に近づき、その手から自分のタブレットをもぎ取った。
「動くな!」
 一人が叫ぶと、一斉に銃口が向けられた。
 銃口――ほんの直径二、三センチほどの暗い穴だ。しかし、それを自分の頭に向けられた途端、一草は急にキーンと耳鳴りがして何も聞こえなくなった。
 一草には、父親と母親の笑顔が見えた。
 とっくに亡くなった祖父と祖母の、しわくちゃの笑顔が見えた。
 中学時代、一緒にラグビーをやった仲間と、勝利の瞬間に折り重なるように抱き合うところが見えた。
 さっき、恵吾と向き合って「幻の中華丼」をかきこんでいたところが見えた。
 この世界を愛していた、と思った。なのに、こんな理不尽に自分は死ななくてはならないのか。
 手の中のタブレットは生き物のように暖かい。父の思いが、小さな小さな電子機器の中で「生きろ」と叫んでいるように感じた。
 逃走、の二文字がネオン管のように鮮やかに一草の頭の中に灯った。父親が用意してくれたSIMカードは、自分を逃がすための方策だったのだ。両親は自分に「逃げろ」と示唆したのだ。
 誰か、この中で一番ひよわそうな奴にタックルを入れて倒す。ラグビーの試合の時と同じだ。この包囲網を突破してやる。背中を向けた隙に撃たれるかもしれない。だがさっき、拘束する、と少女は言った。電話の主に「殺していいか」とは訊いていなかった。手か足は撃たれるだろうが、致命傷には至らないだろう。怪我をしても逃げ延びてやる。一草はそう思った。
 姿勢を心持ち低くして、そっと片足を後ろに引いた。小型ライフルを重そうに持っている男子一人をターゲットに選んだ。彼の肩のむこうには、学生でごったがえすケヤキ並木のメインストリートが見えていた。人ごみにまぎれこんでしまえば、彼らも用意に撃つことはできないだろう。
 一瞬で体重を前に傾けて飛び出した。
 あっ、と固まる目の前の敵。銃器のセイフティを解除する音が、周囲から一斉に聞こえた。一草は地面を蹴って男子に飛びかかった。相手は銃器を構えたまま、おびえた顔で尻餅をついた。
 パンッ。
 紙袋を破るような破裂音。
 鼓膜がビリビリする。
(撃たれたのか)
 息を詰めて痛みにそなえた一草は――目の前の男子生徒ではなく、硬いものに激突していた。自分のつけた勢いが、そのまま自分の体にかえってくる。頭と肩に激痛がはしり、一草は声も出せずに地面に崩れ落ちていた。
 何が起きたのかとあわてて見まわすと、そこにあるのは、一草よりももっと戸惑った様子の顔、顔、顔。
 カラン、とどこからか飛び出した薬莢が、一草の五十センチ手前で何かにぶつかったようにはじかれた。
 一草は激突した何かに、おそるおそる手を伸ばした。ぺたり、と指の柔らかい部分がガラスのような物に触れる。ただし硬度を感じるだけで温度は感じない。目には見えない。完全に透明の壁がある。
 今度は手のひらを押しつけてみる。ぎゅっと押しつけた分だけ自分の手が押し返されてくる。
(まるでこれじゃ、傍目にはパントマイムだな)
「間に合ってよかった」
 橋の前に並んだ人々の列を追い越して、男の声がした。一草は声のするほうを見た。一瞬誰も見えなかったが、視線を下げると、そこに彼はいた。チャコールグレーの詰め襟。北高校の制服だ。今は前たてを全開にして、中のシャツが見えていた。ゆるく波打つ長めの髪が、嫌味なほど上品だ。両足をきちんと揃えて、フットレストに乗せている。
 車椅子の高校生は、車輪を転がしてこちらに近づいてきた。
「状況も説明せずにいきなり銃口を向けるなんて、僕には挑発しているとしか思えないんだが」
 セーラー服の少女に抗議めかして言うと、一草のほうを向いた。
「驚かせて申し訳ない。君を守るために力を使った。暴れない、と約束してくれたら君の包囲網を解く」
「順番が違うだろ。こいつらが先に俺を攻撃しようとしたんだ。俺がおとなしくするのは、こいつらが銃器をしまってからだ」
 一草が叫ぶと、
「だ、そうだ」
 車椅子の青年は面白そうに笑って少女のほうを見た。
 ちっ、と少女が舌打ちした。彼女が大型拳銃をホルスターにしまうと、まわりの高校生もそれにならった。
 車椅子の高校生は微笑んだ。知的な顔をしていた。
「葉月一草君だよね。僕は霜月類(しもつき るい)と言う。北高校の三年だ。落ち着いてきいてほしい。彼女たちは、僕らを監視していた特殊武装班のメンバーだ。彼女たちは、僕らが人に危害を加えないかぎり手出しはできないんだ。だから絶対に挑発にのってはいけない。何もしなければ、何もおきない。この島で僕らは絶対戦ってはいけないんだ」
 類は落ち着きはらって、特殊武装班と呼んだ少年少女たちにいった。
「事態が収拾するまで、彼の身柄を僕に預からせてほしい。彼はまだプラチナベビーズとして完全に覚醒していないし……」
 にこやかと言ってもいいほどの柔らかい物腰で、交渉しはじめたとき――
 ドオン。
 轟音とともに地面が揺れた。耳孔に刺さってくるような衝撃音に、思わずその場の数人が両手で耳をふさいだ。
「見て、あれ!」
 誰かが、上の方を指さした。
 一草が目で追ったその方向には、昨日発砲事件があったらしいビル群があった。Yの字にならんだビルの一つに大きな壁穴が開いて、ぱらぱらと外壁の破片がこぼれ落ちていた。
「戦闘が始まったぞ。逃げろっ」
 誰かが叫んだ。同時に、堤防が決壊したように人々が橋に殺到してきた。そこかしこで悲鳴が上がった。今まで行儀良くならんでいた人々が、今の爆発を見て恐慌状態を起こしたのだ。
 一草ははじかれたように立ち上がった。ラッシュアワーの満員電車のように、ひたすら後ろから押し出されてくる人の波をかいくぐって進んだ。類のもとへ。
「大丈夫か? あんた」
 案の定、車椅子はひっくりかえって彼は地面に突っ伏していた。声をかけても、この混乱状態では届かない。ぎゅっと手をつかんだ。
 類が顔を上げた。その手さえ、今にも踏まれそうになる。一草は類をかばうように上にかぶさった。
「あんた、這って動けるか?」
「動ける」
「よし、じゃあ、移動しよう。匍匐(ほふく)前進開始」
 一草は肩を踏まれた。四つん這いになった姿勢で、今度はふくらはぎを蹴られる。
「君は大丈夫なのか?」
「俺ね、昔ラグビーやってたから、密集戦慣れてんの。少し蹴られたり踏まれたりするくらいなんともないって。ここは体重九十キロもあるような巨漢ばっかじゃないし、スパイクもはいてないんだから、余裕」
 そういっている間にも、ピンヒールの踵に足の指を潰されて、ぎゃっと叫び声をあげる。
「やべえ。世の中にはもっと恐ろしいものがあるんだな」
 思わずこぼすと、下にいる類がくすりと笑いを漏らした。
 両腕を地面につけて這う類のペースに合わせて、じりじりと進む。橋の前でもみくちゃになっている人群れから、ようやくすこし距離をおいたところまできた。一草は類の脇に両手を差し入れてぐっと引き寄せ、道路の路側帯の段差に寄りかからせた。
「僕の、僕の足が……」
 類が焦った声をあげる。
「わかってる」
 もう一度人々の中に強引に入って、車椅子をひっぱり出してきた。
「ゆがんじゃったかな」
 類が不安そうにいう。そして、一草を見てはっと顔をしかめた。
「一草君、顎切れてる」
 類が指さす所に触れると、ぴりっとした痛みがあって、顔の下まで血がつたっているのがわかった。一草はごしごし手の甲で拭きあげた。
「大丈夫。かすり傷だし。あんたこそ、怪我してないか」
 類は、はあ、とため息をついた。
「助けにきたのに、僕が助けられるほうになるなんて」
「ごめんな」
「なんで君が謝る?」
「俺、全然事態がのみこめてないんだけど、とりあえずあんたは、俺を助けにきてくれたんだよな」
「類でいいよ。僕は、プラチナベビーズはみんな血のつながった兄弟みたいに思ってる」
 車椅子は壊れていないようだった。細かいブレーキの調整などは狂っているかもしれないが、乗って移動することには問題ないようだった。
 一草は肩を貸して類をもちあげ、座面に座らせた。
「僕の方こそすまない。一瞬のことで、自分の身も守れなかった」
 類は落着きをとりもどしたようだった。乱れた髪をかきあげ、服を整えた。
「さっきのあれは何だ?」
 一草は穴のあいたビルを振り返った。
「今はわからない。でも今ならあいつらに追われなくて済みそうだ。今のうちに僕の家に向かおう」
 類がにっこりと笑う。あいつら、とは武装した連中のことだろう。パニックの対応に追われて、一草たちを見失ったようだった。
「あんたんち?」
「そこで僕らの妹も待ってる」
「妹?」
「血はつながらないけどね。彼女もプラチナベビーズだ」
 一草は類の背後にまわり、車椅子のハンドルを握った。二人は橋の前で押し合う人々と反対方向に歩きだした。
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