第19話 戦闘放棄――霜月 類 1

文字数 3,936文字

 十年前――
 夜風はそよそよと草を揺らす。夜の丘に座って少年は本を読んでいた。ひんやりと心地いい風が、柔らかく波打つ髪をもてあそぶ。少年が机がわりにしているのは大きな樹の切り株で、もりあがった根っこの一つに跨るように座っていた。
 切り株の上には何冊も積まれた絵本と小さな炎を閉じこめたランタンが一つ。切り株の側面には、まるでこびとの行列のように、夜光性のキノコがらせん状に並んで光っていた。かたわらにはポプラの大木。藍色の空には大きな青い月がかかり、あたりを銀色に照らしだしている。
 少年はふと顔を上げた。いつのまにか自分のそばに少女がたたずんでいた。少女は少年より少しだけ年下に見えた。
「きてくれたんだね、ミオ」
 少年が嬉しげに言う。
「君が僕らの心をつないでくれるって信じてたよ」
 まっすぐな髪をしたおかっぱの少女は、恥ずかしそうにうつむき答える。
「うん。私、眠りの中では自由なんだ」
「僕はルイ」
「知ってるよ。ルイは本が好きなの?」
「うん。父さんが言うんだ。知識と想像力はいつも僕たちを助けてくれるって」
「私も一緒に読みたいな」
 ミオは隣にこしかけた。一陣の風が二人の間を走り抜ける。銀色に葉を光らせていたポプラは、讃美歌のような荘厳なハーモニーを奏でた。
 ミオがはっとして大木を見上げた。
「これ、人の声を奏でる銀ポプラだ」
「銀ポプラを知ってるんだ。リンドグレーンの童話に出てくるやつだね。君がもう人の声を怖がらなくていいように、これを見せてあげたいと思ったんだ」
「……人の声はポプラの葉音」
「そう。ものはみーんな考えようだ」
 ルイが微笑むと、ミオは安心したようだった。
「ここでは怖いことは何もないよ。僕の夢の中だから」
 二人は熱くも寒くもない丘の上で本を読み、寝転がり、話をした。大きな月は沈むことなく空から見守っていた。
「ミオ、お願いがあるんだ。この本をある人に届けてほしい。その人に大事な話があるんだ」
 ある時、少年は少女に絵本をたくした。ミオはルイの差しだす本を見た。表紙には「泣いた赤鬼」と書かれていた。
「ルイが自分であげれば? きっとそのほうがその子が喜ぶよ」
「僕はここから出て行けない。夢の中を自由に行き来できるのは君だけなんだ」
 ミオはしばらく考えて、絵本を受けとった。
「なんていう子?」
「その子は女の子でマヒロっていう名前なんだ。僕も君もマヒロもみんな仲間だ。本当はもっといるんだけどね。イッソウ。ハジメ。でも彼らはまだ自分がなんなのかを知らない」
「わかった。私はマヒロちゃんを探す」
 ミオは絵本を胸に抱くと、マヒロの声を探すため耳をすます。
(ミオ、頼んだよ)
 ルイは心の中で祈った。

 五月十八日 午前七時
「おはよう」
 類は上のベッドへ声をかけた。もう何度目だろう。一草はなかなか起きてこなかった。
 昨日は激動の一日だったうえ、まだ慣れない場所での生活で心労もあるのだろう。起こすのをあきらめて、朝食をとりに一階のリビングに行くことにした。
 上着をはおり、ベッドの前にオレンジ色の車椅子を引きよせ、乗り移った。足の位置をフットレストに固定する。木目調の家具の中でうかない色、優しい暖色、そう考えて室内用の車椅子を注文した。デザインもサイズも気に入っている。
 エレベーターからおりると、廊下にトーストの焼けるいい匂いが漂っていた。
「おはよう」
「ごめん。勝手にキッチン使っちゃった」
 テーブルについていた理央があわてて謝ってきた。そのとなりで澪はもくもくとバターロールを食べている。二人とももう着替えて身支度を終えていた。
「うん、自宅みたいに使っていいよ。何か問題があったらみんなで話し合おう」
 類は穏やかな笑顔で答える。
「類もパンでいいの?」
 理央がティーカップを置いて立ちあがった。
「自分でできるよ」
 そのまま座ってて、と手でうながす。
「紅茶は四人分いれたから」
 透明のビニールカバーをかけたテーブルには、すでに四人分の食器が用意されていた。
 理央が立ち上がり、まえかがみになった。さらりと長い髪が前に垂れる。大きなポットから椅子の無い席にあるマグカップに琥珀色の液体を注いでくれているところだった。
(まるで家族のようだ)
 紅茶の湯気は類の心を暖めていた。
 類の家族は父親だけだ。父親と通いのヘルパーと一緒に暮らしてきた。そのヘルパーはトゥエルブ・ファクトリーズから派遣された監視者だと類は知っていた。
 類はキッチンへ行った。ダイニングの奧がそのままキッチンになっている。通路は広く、シンクと作業台は類のために低く作られていた。
 普段からなるべく一人でなんでも出来るよう訓練してきた。木製のブレッドケースのシャッターを開けて、バターロールとブリオッシュの袋を取り出した。
 急に廊下が騒がしくなったと思うと、ドアが音を立てて開き、まだ寝間着姿の一草がひょっこり顔を出した。
「ちょっと、俺だけ置き去りか? 起こせよ」
 まだ眠そうな顔に、横に飛び出した寝癖がひらひら揺れている。
「何度も起こしたんだよ」
「まじか」
 類は苦笑しながらトースターと兼用のオーブンにパンを並べた。
「着替えてこいよ。お前の分も温めておくから」
「おう」
 ばたばたと足音が遠ざかる。
 類は一人微笑んだ。こんなにぎやかな共同生活もいいと思う。
(非常事態でさえなかったら)
 類は熱を持つオーブンの前で、ほどけかけていた気持ちを引き締めた。

「今まで情報収集したことを伝えようと思う」
 ノートパソコンをダイニングのテーブルに持ち込んで、類は三人を見た。
 朝食の後片付けが終わり、一息ついたところだった。三人とも緊張の面持ちで類を見守っている。なるべく穏やかな声音を使い、不安がらせないように配慮しようと類は思った。自分はこの場では長兄なのだから。弟妹たちを不安がらせてはいけない。
「まず、一般市民に避難勧告が出された理由だけど。プラチナベビーズの誰かが人間に危害を加え、未だ武装班が制圧できていない状況、もしくは監視の目を逃れて逃走している状況、このどちらかが考えられる。ここには、この島にいる五人のプラチナベビーズのうち三人が集まっているけれど、残りの二人、弥生真尋(やよい まひろ)と宇都木創(うつき はじめ)の所在がわからなくなっている。それが原因かもしれない」
 類はテーブルの上にある自分のタブレットを見た。
「今朝から真尋に連絡がとれないか試している。彼女もまだこの島内にいるはずなんだ。昨日の夜からこの島のまわりには妨害電波が出されているらしくて、本土にいる父とは通信ができない。島内ではまだ通話できそうだから、連絡を取り続けてみる。あと、問題は創君なんだけど。彼は、島内の病院で完全看護されているはずなんだ。なのに病院のスタッフが誰も通信に応じない。二人ともかなり厳重な管理の下におかれていたプラチナベビーズなんだけど、その二人の所在がわからない。何かおかしなことが起きている気がする。それに島内から一般市民だけでなく、監視者の学生以外のトゥエルブ・ファクトリーズの社員がみんないなくなっている気がするんだ。昨日の夕方、監視者のビルで大きな爆発があっただろう。どうもあれが関係しているんじゃないかと思う。監視者組織の仲間割れの可能性が否定できない。もっと情報を集めないと断定はできないけど」
 類は一草の顔を見た。あの爆発のとき、類と一草は一緒にいた。
 女子二人は黙りこんでいる。
「で、俺達はどうすればいいんだ?」
 類の隣に座っている一草がたずねた。
「ここに身を隠して、何もしないこと。残りの二人を捜し出して、抵抗する意志がないことを監視者サイドに伝えればまた実験が続行されるだろう」
「実験って?」
「一草には昨日説明しただろ? 行動観察実験だよ。僕らの」
「なあ、類、それって結局、俺たちがどうすれば人間だって認めてもらえるんだ? 俺、お前に『希望の星だ』なんて言われて嬉しかったから、昨夜すっげー考えたんだよ。でも、俺の頭じゃわかんなかった。どうすれば人間性なんて証明できるんだ。感動的な作文でも書けばいいのか?」
 一草はがしがしと頭をかいた。寝癖はもう直したらしい。がっしりした肉厚の体型にMサイズの服は少しきつそうだった。
 類は穏やかに答えた。
「これは僕の考えだけど、それは多分、『みんなと手を取り合って平和的に物事を解決する』ってことができたら、だと思う。僕の名前はそこからついているんだ。人類皆兄弟の類。僕らがこれからしなければならないことは『誰とも争わない』ということだけ」
「……けど、あいつら武装してるんだぜ」
 一草は昨日、銃口を向けられたことを思い出したようだった。顔を青くし、一度ぶるっと体を震わせた。
「ああ、でも彼らが武力行使を許されているのはあくまでプラチナベビーズの制圧と一般市民の保護が必要になったときのみなんだ。僕らが手を出さなければ彼らは動けない。これはみんなで生き残りをかけて殺し合うデスゲームじゃない。みんな行儀良くいい子にしてれば、全員が無傷で生き残れるライブゲームだ。僕が一人も殺させない。みんなで生き残ろう」
 向かい側の席に着いていた澪が、厚い前髪の下から上目遣いに類を見て一つうなずいた。今日も両耳にデバイスをつけている。
 一草は感心したように類の演説を聴いていた。
「あんた、交渉人とかなったら、すげーいい働きすると思うぜ」
 類は笑い出した。
「考えとくよ」
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