第20話 戦闘放棄――霜月 類 2

文字数 4,809文字

 ヴー。ヴ、ヴー。
 タブレットのバイブ音がテーブルに響き、四人はタブレットに目をとめた。黒いシリコンカバーをかけた、類のタブレットだった。表示された名前に緊張が走る。
 ――弥生真尋。
 ごくり、と一度唾を飲みこみ、類は通話ボタンを押した。耳元へ持っていく。
「弥生真尋さん? 霜月類だ」
『真尋さんとかやめてよ。マヒロって呼んでたんでしょ。ミオちゃんから聞いてる。何度もコールしてくれたみたいだね』
 初めて現実に聴く声だった。
「君は今どこにいる?」
『それは言えない。君が私を連れ戻しにくるから。でも生活用品はなんでも揃ってる場所にいる。私のことは心配しないで』
「なあ、今回の避難勧告についてだけど……」
『うん。事後報告だけど、私が監視網から逃げだしたんだ』
「君が……」
『そう。反乱起こしちゃった。ごめんね、類。私、君が考えてくれた計画を実行しようと思ったの。先に君に連絡できなかったことは謝る。でもしょうがないじゃない。こんなこと言ったら、君は絶対止めに来るってわかってたから』
 類は小さな子に言い聞かせるように言った。
「真尋、今僕の家に澪と一草そして澪の監視者だった理央がいる。君も合流してほしい。今すぐ、逃亡はやめて監視者に投降してくれ。君に不利にならないよう僕が交渉する」
 真尋はいらだちをあらわにした。
『だ、か、ら、ね。さっきの話聞いてた? 私は君の計画を実行するって言ったの。「泣いた赤鬼」計画。ちゃんと青鬼の役をやってあげる。私、監視者の特殊武装班から銃器かっぱらってきてるんだ。投降なんかしない。私の能力がなにか、あなただって知ってるでしょ。兵士をいっぱい作って戦うんだ』
 類は言葉を失った。昔、夢の中で澪にことづけた計画だ。あれが真尋の中で息づいていたなんて。
 真尋は整理するように区切って話した。
『そこに澪と一草がいるんだね。今、私の近くに創がいる。彼を類の家に行かせる。これで君のもとにプラチナベビーズが揃うじゃない。あの計画を始めよう』
 類は苦渋に満ちた声で言った。
「あれは……あれは違うんだ。僕は間違っていた。真尋やめてくれ。僕はプラチナベビーズはみんな兄弟のように思ってる。君だってそうだ。君も創と一緒にここに来てくれ」
『類、ありがとう。私も同じ気持ちだよ。私はみんなのお姉ちゃんだって思ってる。だからこそ、みんなには普通に生きて欲しい。私みたいにならないで、自由に生きて、自由に恋をして幸せになってほしい。だから、私は悪役をやるよ。さあ、類、私と戦おう。悪が存在してこそ、君たちは正義の味方になれる。やっぱ類は頭がいいね。君たちが無害だって信じてもらうのに、これ以上の演出はないよ』
「戦うな。特殊武装班は容赦なく君を殺しにくる。あれは僕が子供の頃思いついた計画だ。僕の考えは甘かったんだ。芝居では終わらなくなる」
『私はね、芝居をしようって言ってんじゃないよ。このまま終わったっていいんだ。だってもう一番大切だったものを犠牲にして逃げてしまったんだ。彼と同じところに逝くのに、怖いことなんて何も無いよ』
「彼と……?」
『好きだったんだ。本気だったんだ。でも、このままじゃ結ばれない。だから、私たちはこのやり方を選んだ。この、いつ終わるかもわからない馬鹿馬鹿しい実験を終わらせるために』
「僕は……誰か一人を犠牲にして、自分が生き残るのはいやだ」
 はっ。真尋が吐き捨てるように笑った。
『綺麗ごとだよ、類。類だって犠牲になったじゃない。その両足を私たちの自由のために動けなくしてるじゃない。つらいでしょ? かばわれてる私たちはつらくないと思ってる? 自分一人だけヒーローぶらないでよ』
類はため息をついた。何か違う糸口から真尋を説得できないか試みる。
「……そこに、創がいるのか?」
『うん。偶然会った。創君とその友人? 文月恵吾って南高校の二年生がいる』
「文月恵吾? 監視者か?」
『ここにいるんだから、監視者でしょ。創を保護しに来たみたいだけど、本人に確認する?』
 次の瞬間、類のタブレットに飛びついた人間がいる。
「恵吾? 恵吾がいるのか? なんでそこに……」
 一草が必死で耳を寄せていた。タブレットを挟んで類と一草の顔が並ぶ。
「たのむ。恵吾と話をさせてくれ」
 何か事情があると察した類が小さくうなずき、真尋にかわってくれ、と頼んだ。
 類は一草にタブレットを手渡す前に、コードを出してパソコンの端子につないだ。
「恵吾、一草だ。無事か? てか、なんでお前はこの島から避難してないんだよ」
『……一草。プラチナベビーズの仲間と一緒にいるってことは、もう事情はみんなわかってるんだろ。俺はお前の監視者だったんだよ』
 恵吾の声がパソコンのスピーカーから室内に響いた。
「そ、そうか」
 本人から聞いてしまうと、さすがに一草も動揺を隠せない様子だった。
「怒らないのか?」
「いや、どうだった? 俺、不気味だったか? お前から見て人間ぽくなかったか?」
 ふふ、と笑う声が聞こえる。呼吸が乱れていた。
『いいや、一草はいつでもめちゃくちゃ人間ぽかったよ。なんでこんな普通のやつがプラチナベビーズなのか、俺には全然わからなかった。能力らしい能力もないしさ。俺なんでこんなことしてんだろうって、ずっと疑問に思いながらそれでも学校から帰って毎日メールで報告書打ってた。その報告書だって、笑っちゃうほど何もない、ただの高校生日記だった』
 ふふっと一草も苦笑をもらした。
「恵吾。よかった。お前を怖がらせてなくてよかったよ」
『お前って、ほんとバカだよな。こんな時になに何脳天気なこと言ってんだよ。お前、だまされてたのにさ』
「恵吾」
『怒れよ。怒って、二度と口もききたくないって言えよ』
 自棄まじりの声が痛々しく聞こえた。
「恵吾、あのさ、もし俺に申し訳なく思ってくれてんだったらさ、そこにいる真尋さんと創君二人連れて、こっちに来てくれよ」
 少し間があった。
『……できるわけないだろ。なんのために俺が監視者やってたと思ってるんだよ』
「何のためって……」
『俺は、弟の肺移植手術の費用稼がなきゃならないんだよ。こうしている間にも、刻一刻とタイムリミットが近づいてるんだよ。知らないのか? 監視者は、プラチナベビーズと交戦することで莫大な契約金が上乗せされるんだよ。俺はいつかお前と戦わなきゃならなかったんだよ』
 ごくっと一草の喉が鳴った。彼にとっては初めて知らされる事実だ。口を開けたまま、はくはくと空気をくわえている一草の様子を見ると、もっと早く話しておくべきだった、と類は申し訳ない気持ちになった。
「……そんな。お前、ずっとそんなこと考えてたの? 弟救うために、俺と戦うとか」
『そんな、くそったれの世界なんだよ、ここは。健康な体に生まれつくのは当たり前じゃないんだ。生まれつき負の遺産を背負わされて、それでもみんなと一緒に生きていきたいって人間もいるんだよ』
 ぴくっと澪が椅子の上で身を固くした。生まれつきの負の遺産。彼女にとっては「千里耳」の能力がそれだったのかもしれない、と類は思った。
「お前は……じゃあ、そこにいる真尋さんて女子と戦うのか? 創君とかいう男の子とも戦うのか?」
『いや、俺は二人を連れて監視施設に戻ろうと思ってる。真尋さんは今から説得するつもりだ。一草とそこにいるうちの誰か、いずれは俺たち監視者サイドと戦ってもらわなければ困る。犠牲は出るだろうが、それでも俺たちの中の何人かは、契約金をもらって思い通りの人生を歩めるようになるだろう。所詮、弱肉強食の世界じゃないか』
「お前は戦って生き残れる保証があるのか?」
 渇いた笑い声がした。むりやり笑っているような演技じみた笑声だった。
『一草、敵相手にずいぶん余裕だな。お前のそういう、他人にわけへだてなくお人好しのところ、大好きで――そしてずっとねたましかったよ。生き残れるかって? 俺は訓練を受けた武装班じゃないし、結構不利かな。でもそれが弟を見殺しにしていい理由にはならないだろ。人は生まれてくる場所を選べない。ただ、与えられた運命に精一杯あらがうだけだ』
 類は手近な紙の端に走り書きをした。
 ――監視者を管理する大人はどこへ消えた? 恵吾に訊いてみてくれ。
 テーブルの上をすべらせて紙を差しだし、一草の手の甲を指先で軽く叩いた。ちらりと視線を落とした一草がうなずく。
「な、なあ、いきなりだけど、監視者って学生だけだったのか? 大人は? 大人の姿が見えないんだけどさ」
『管理職や社員達は信用できないって、遥馬さんがおいはらった』
「遥馬?」
 がたっ、と大きな音がした。理央が立ちあがっていた。はっと片手を口に当てる。まるで信じられないものを見た時のように目を見開いている。
 恵吾の声は淡々と続く。
『如月遥馬。北高校特進科の二年生で、学徒隊特殊武装班の新しい班長だ。今、監視者を統率しているのは彼なんだ』
「この島に学生だけで、それでも戦う必要があるのか?」
『これから戦場になる場所に、金と命の惜しい人間なんていらないんだよ。俺達と契約したトゥエルブ・ファクトリーズのCEOはこの島の状況を本土からカメラで監視している。他にも、熱や放射線、赤外線を観測するセンサーがはりめぐらされているはずだ。戦った事実と、彼らの望んでいるプラチナベビーズの能力や新兵器に関する数値的な資料が得られれば、それで俺たちは契約を遂行したことになるんだ』
 ちょ、ちょっと待って、と一草が恵吾を制止する。告げられた内容を整理するようにしばらく考えていた。
「――それってつまり、俺達は、見せ物や資料にされるために戦うってことなのか?」
『そうだ。それが、最終的に莫大な金に変わるんだよ。これはプラチナベビーズの行動観察実験であると同時に、トゥエルブ・ファクトリーズっていう一企業の営利活動なんだよ』
「くっだらねえ」
 吐きだすように言って、一草が拳で机を叩いた。やり場のない悔しさが、鈍い音をたててその場の空気をたたき割った。
『ああ、そうだな。でも俺の家族にとっては最後にすがりついた希望だったんだ。国内じゃ十五歳以下の子供の臓器提供者は本当に少ない。何千万も積んで、外国へ飛ぶしかないんだ。ある程度の金がなけりゃ、渡航ビザさえも下りないんだよ』
 類が、そっと一草の手からタブレットをとった。
「その君が死んでしまったら、ご家族はどうするんだ? 結局弟さんも助からないんじゃないのか?」
 静かな声が、寒さを感じるほどに静まりかえったリビングに響く。
「金で命は買えない。君が生きて帰ることがまず第一だと、僕は思うんだが」
 恵吾は戸惑った様子でしばらく沈黙していた。
『あなたが霜月類さんですか? 何度も言ってるじゃないですか、命は金で買えるんですよ。たとえ俺が死んでも、それが戦闘中のことなら家族に契約金が支払われるんです。もういいですか』
 そこで通話は一方的に切れた。類がパソコンのスピーカーを止めた。残りの三人は、それぞれが沈痛な面持ちで黙りこんでいる。
「理央、遥馬に連絡はとれるかな? 彼と直接交渉したい」
理央は頬杖をついてうつむいていた顔をゆっくり上げた。気が進まなさそうに言う。
「監視施設につなげば対応してくれると思うけど。今の私からの直接のコールに出てくれるかはわからない」
 悩み深く眉を寄せている。
「管理する大人をおいはらたって……あの子がこんなことするなんて……」
「学徒隊による反乱か。遥馬には相当の覚悟があるらしいな、説得できるといいんだが……」
 類は、まだ見ぬ交渉相手に身震いするような凄みを感じていた。
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