第14話 内部告発者――芝 虹太 8

文字数 5,971文字

 虹太は水を喉に通して一息ついた。
「今から俺たちがやることを説明する。リルハ、あれに気づいてたか?」
 虹太が天井を指さした。床から十メートル以上はある高い天井に、白っぽい半円形のものが複数とりつけられていた。
「うーん。あれは照明? それとも監視カメラ?」
「うん。見た目そんな感じだけど。あれは赤外線センサーのレドーム」
「レドーム?」
「レイ・ドームとも言う。あの中で赤外線センサーを百八十度回転させて周囲を警戒しているんだよ」
「赤外線センサーって、赤い線を横切ったら反応するやつじゃないの?」
 虹太は笑った。
「あれね。怪盗の出てくるアニメなんかで見るやつね。ああいう監視装置ももちろん存在するんだけど、ここはレドームが採用されてる。両極をおいて線を横切ると反応するタイプのやつは、何にでも反応するからな。たとえば、どっかから入りこんだ小動物とか虫とか。あるいは風で大きな埃が舞っただけでも反応してしまう。人が入って確認するのが難儀な場所には、あんまり向かないんだ。あの赤外線レドームは、様々なことを想定した赤外線の波長のサンプルから、特に銃器、火器の赤外線を拾うように設定されている。武器を使う闖入者だけを感知するしくみだ。そして、つきあたりにあるぴかぴかの合金のドア。あれはたぶん生体認証システムだから、俺たちは銃を使って錠を破壊するしかない」
「じゃ、探知されちゃう」
「そう。だからこそ、ここを通り抜けて自由になるには、火薬を使わない飛び道具が必要になるわけ」
 虹太は持ってきた和弓を指さし、にっと笑って見せた。
「まずこの部屋にある五つのレドームを弓矢で破壊する。その後、拳銃で電子錠を破壊。手動で扉をこじ開ける。その手順で行く」
「失敗したら、どうなるの?」
「うん、まだ失敗したことないからな。俺もわからない」
 ふざけて言ったつもりなのに、声が震えていた。
 リルハの両手が虹太の手をぎゅっと握った。虹太ははじかれたようにリルハの顔を見た。
「成功する。絶対成功する」
 そう言うリルハは優しい顔をしていた。ああ、綺麗だ、と思った途端、虹太は少し泣きそうになった。
 死と隣り合わせになったことは初めてではない。寝ている間に止まってしまってもおかしくない心臓を抱えて生きてきたのだ。病気の事実を知ってからペースメーカーを入れる手術を受けるまで、夜が来るたびに、ひたひたと背後から忍び寄る死神の足音が聞こえる気がしていた。ただ眠っているだけで、ひゅっと風をきる音とともにその鎌が振りおろされて、自分はもの言わぬ骸になる。それは今夜かもしれない。怖くて怖くて、部屋の電気をつけっぱなしにして眠った。あの時だって。自分の運命に悪態をつきはしたが、泣いたことはない。今と一体何が違っているのだろう。
「うん、絶対成功する。頑張ろうな」
 そう声に出して言うと少し落ち着いた。
 なぜか今度はリルハが、少し泣きそうに眉を寄せている。彼女も自分と同じ気持ちでいてくれるのだろうか、と虹太は思った。
 虹太は立ちあがった。立てかけてあった弓をとり、弦の張りを確かめる。矢筒から六本の矢を出して足元に並べた。
 鞄の中から弓懸を取り出して右手にはめ、革紐をしめる。部活中に何度も繰り返してきた動作だ。しだいに自分が日常の感覚を取り戻していくのを感じた。
 虹太はゆっくり呼吸を整えて、五つのレドームの位置を確認した。矢筋を考え自分の立つ位置と向きを確認する。
 広い室内に点在するレドーム。異変を感知される前に素早く破壊するには、この方法が最善だと考えた。
(あとは自分との戦いだ)
 一度、自分の眼鏡をかけたリルハに視線を送る。互いに強くうなずきあった。
(やりとおして見せる)
 矢を拾って姿勢を正した。弓に矢をつがえて一度、目の高さに持ち上げ足を開く。
 射法八節。矢を射るための八つの主な動作のうちの初めの一つ、足踏みだ。今まで何百回と練習してきた流れで、胴造り、取懸け、手の内と動作を進めていく。弓の弦に矢の溝を合わせて右手で握りこんだ。
 物見(ものみ)。最初に狙うもっとも遠くのレドームを見る。打起し(うちおこし)。大三(だいさん)から会(かい)へ。弓を握った左手の肘を伸ばして、そのまま胸の前まで下ろしながら静かに弦を引きしぼる。静謐な緊張感が全身に満ちてくる。
 矢を頬に当てて、競技用の霞的を思い浮かべた。その中心にレドームの乳白色の球体をすえる。
 離れ――肩甲骨を寄せるように両腕を後ろに引く。自由になった矢が一瞬で疾風(はやて)に変わり、手もとから飛び立っていく。
 パンッ。
 気持ちのいい破壊音が響いた。
 虹太は破れたレドームとその中で折れたセンサーを目視した。
 かがんで二本目の矢を拾う。二つ目のレドームは背後にある。体の向きを変えて、もう一度足踏みから動作を行う。正しく弓を引き、狙いをつけるための伝統的な動作だが、どちらかというと今は精神集中のための儀式のようなものだった。
 矢を放つ。今度はレドームははじけなかった。ほんの少しだけ矢筋が右に逸れたのだ。二つ目のレドームを撃ち抜くはずだった矢が、床に落ちる音がした。
 リルハがはっと息をのむ音が聞こえた。
 虹太は黙って次の矢を拾った。余分の矢は一本しかない。足りなくなったら、遠くに落ちた矢を拾うしかない。もしくは何か別のものをレドームにぶつけて破壊するか。矢をつがえて手の内をつくる両手が、微妙に震えているのがわかった。
(こんなことで動揺するなんて、俺もまだまだだな)
 三本目の矢は、間違いなく二つ目のレドームを射抜いた。虹太は大きく息を吐いた。
 三つ目を狙う。だんだん標的は近くのものになってきている。難易度は下がっているのだ。落ち着きをとりもどして、三つ目を射抜いた。
 あと二つ。
 最後から二本目の矢をつがえて、放った。思い描いた軌道どおりに空をきって進む。白いレドームの球体を破った。プラスチックでできたカバーの破片がとび散って、中身が剥きだしになった。矢は、レドームの中心に花のめしべのように立ったセンサーに見事に命中していた。ICチップの板をカーボンの矢が貫く。ハンダの銀色とカラフルなコードに彩られた緑色の基盤が、めきめきと悲鳴をあげて裂けていく。
 バチッ。
 一度大きな火花があがった。ショートしたのだろう。最後にひとつだけ残ったレドームがけたたましい警戒音を鳴らした。
「や、やばい」
 火花の赤外線をひろったのだ。虹太は弓を捨てた。すぐさま後ろのポケットから拳銃を取りだした。右手にはまだ弓懸けをつけたままだ。何重にも巻いた革紐をほどく余裕はない。
「リルハ、走るぞ」
 虹太は駆けながら、舌打ちした。選択を誤った。カーボンは通電しやすい素材だ。破壊力では落ちるが竹矢にしておけばよかった。
 配電装置の周辺に透明のシャッターが降りてくる。装置を守るため、防弾仕様になっているのだろう。
 部屋の高い所で、機械音がした。虹太には、一度訓練中に聞いたガトリングガンのセーフティを解除する音に聞こえた。みどり大橋の手前で自分たちをオート狙撃したものと同じものが設置されているのだ。配電装置の安全を確保するための防弾シャッターが落ちきれば、侵入者を排除するための掃射が始まる。
 虹太はリルハの腕をとって走った。正面の小さな部屋へ。突き当たりの分厚い合金の扉へ。
 左手で拳銃を構えなおし、認証システムのパネル部分を撃ち抜いた。円形の取っ手をまわして開けようと試みるが、びくともしない。
 シャッターが徐々に降りてくる。あと四メートルほどで閉まるだろう。
「リルハ、できるだけ小さくなって伏せてろ」
 怒鳴って、とりつかれたように虹太は引き金をひき、パネルを撃った。
 なんとか内部の基盤を破壊したい。周囲に金属片が飛び散った。
 左手では反動が強くてうまく銃が固定できない。思わず右手を銃身に添えて支える。銃身に触れて弓懸けの革が焦げる匂いがした。
 虹太は一度扉に近づき、ボロボロになった認証システムのパネルを押してみた。するとそれはあっけなくはがれ落ちた。床に転がったパネルは無数に銃弾の穴のあいた空の箱だった。
 虹太は頭が真っ白になった。機械類もコードの類も入っていない。くっついていた扉側にもそれらしいものがない。
(この扉はただの飾りだ。カムフラージュだった――)
 体中の血液が凍った気がした。狂ったように金属扉の取っ手をまわし、足をかけて力いっぱいひいた。頬と耳孔が充血でかっと熱くなった。こうしている間にもシャッターは下りてくる。
 あと二メートル。
 歯をくいしばって、扉を引いた。腕と背中の筋肉がぶちぶち音をたてた。ほんの少し、扉が歪んで隙間が開く。その隙間に虹太は指をこじ入れた。爪先が何かに突き当たった。指を引き抜くと、血のにじんだ爪の間に白い破片がつまっていた。コンクリートの欠片だろうか。
 ぱらり、と落ちた。扉の向こう側には空間などなかったのだ。
 ふ。
 虹太は笑った。人は本当に絶望すると、笑うことしかできなくなるらしい。
 ふふ。
「シバっちゃん?」
 足元に背中を丸めてうずくまったリルハが、おそるおそる声をかける。
「やられた。……ほんと、やられたよ」
 虹太はリルハの隣へ、すとんと尻を落とした。
「ここにはケーブルなんかなかった。脱出できるトンネルなんてないんだ。この厳重そうな扉はただのカムフラージュだ。神田造船はやっぱりトゥエルブ・ファクトリーズにひそかに敵対する立場だったんだ。奴らは幹部に嘘の設計図を渡した。本当の脱出経路は――あっちだったんだ」
 虹太は透明なシャッターに守られた大きな配電装置を指差した。
「なんでもっと早く気づかなかったんだ。あれこそが秘密だったんだ。あれの存在を隠すために、神田造船はケーブルがあるなんて嘘をついた。それで全部つじつまが合う。つまり、このメガフロートは……」
 シャッターが落ちきった。聞き覚えのある駆動音が頭上から降ってくる。
 虹太はリルハの上に身を投げるように覆いかぶさった。小さな部屋の周辺を、ガトリングガンの掃射が襲った。部屋全体が小刻みに揺れる。コンクリートの床面と壁が高い音をたててはがれて落ちた。跳弾が飛び、細片が埃のようにあたりを白く曇らせた。

 ……はあ。
 ……はあ。
 沈黙の中で、自分の呼吸音がやけに大きく聞こえる。胸を圧迫されて息苦しい。
 膝を抱える格好で虹太に押しつぶされていたリルハは、首筋から熱い液体をかけられて悲鳴をあげた。あわてて手で首をぬぐう。
 熱い。
 熱い。
 ぬぐってもぬぐっても、上にのしかかった虹太の体から浴びせられてくる。そのうちそこに、固形物も混じっていることに気がついた。
 金切り声をあげた。気を失ってしまいたいのに、失えなかった。震えながら体を起こすと、背中に乗っていた虹太の体がずるりと床に落ちた。横たわって両目を閉じている。その頭の左側が削れたように無くなっていた。赤いパーカーに三つ穴あいて繊維がこげていた。
「シバっちゃん?」
 ゆすっても答えはない。
「ねえ、シバっちゃん。寝たら、死んじゃうよ」
 髪の毛は赤く濡れていたが、顔は汚れていなかった。今まで見たこともない白い顔だ。
(まずいな、徐脈がおきて血の巡りが悪くなっているのかも)
 リルハは現実逃避するようにそう思った。
「ねえ、眠ったら心臓止まっちゃうんでしょ。起きてよ。起きて。ほら、起きろっ」
 ぴたぴたと頬をたたく。
「シバっちゃん。死んじゃうだろ、寝るなよぉお!」
 リルハの瞳から涙があふれた。
 虹太の左手をとる。からん、と拳銃が床に落ちた。
「シバっちゃん、今まで彼女つくったことないんでしょ。女の子といちゃいちゃしたこともないんでしょ。こんなんで死んじゃっていいの?」
 左手を大きく引っぱると、力のない身体ががくがくと揺れた。首がかくん、とのけぞってあふれるように脳漿の混じった血液が床に広がった。
 リルハは、ひっ、と悲鳴をあげた。ひく、ひく、としゃくりあげて新しい涙をこぼしながら、虹太の身体にふたたびかがみこんだ。
「シバっちゃんさあ、いつもいつもカッコつけちゃって。私に全然手も出してこなかったけど、本当にこれでよかったの?」
 リルハは虹太の左手を取り、両手で包んでぎゅっと抱いた。
 泣きながら、服の上から自分の胸のふくらみに押しつけていた。
「このまま人生終わっていいの? いいわけないよ。ほら、今なら現役アイドルの乳触れるんだよ。起きろよぉ。男だろ? かっこつけんなよ。本能で起きろよぉ。私に恥かかすんじゃねぇよ。ほら! くそったれ。起きやがれっ!」
 涙と鼻水をこぼしながら、アイドルもへったくれもない顔で悲痛に叫んだ。
「死ぬなよぉ。まだなんにもしてなかったのに。まだなんにも始まってなかったのに」
 そのまま、虹太の胸に顔をうずめて泣きじゃくった。



 どのくらいたったのだろう。
 泣きすぎて腫れた目でリルハはぼんやり巨大な配電装置をながめていた。となりに横たわっている虹太の亡骸は、もう硬直が始まって冷たくなり始めている。
(ゲームの中なら生き返らせてあげるのにな。そうだ、昨日の夜にリセットすればいいんじゃない?)
 意味のないことを考え、一人虚しく笑った。
(これがゲームならもう終わりにしたいよ)
 リルハは虹太のタブレットを握りしめて、虹太が言っていたことを思いだした。プラチナベビーズ、霜月類。平和主義者。彼は虹太のやってきたことを引き継いでくれるのだろうか。
 のろのろと立ち上がった。今まで来た道を戻って地上まで上ることを考えると、頭がくらくらした。
(でもこのままじゃ、シバっちゃんが犬死だ)
 紫色になってきた虹太の頬を撫でる。もう体温は感じられない。
(ちゃんと引き継ぐからね。シバっちゃんが指名した類って人に。その志を)
 ――たくさんの命を犠牲にしてまで繁栄を得たいとは思わない。
 ――俺たちがそう考えるところから始めるんだ。
(私は絶対地上に戻って霜月類に会う)
 リルハは虹太の眼鏡を胸のポケットにしまった。乱れた髪をきゅっと結びなおし、スカートを折り上げてさらに短く動きやすくした。拳銃をスカートの腰に挟み、残っていたマガジンをポケットにしまった。
(私だって、やるよ。戦ってやろうじゃん。このろくでもない島で)
 血液の染みたセーラー服で笑った。血まみれのジャンヌ・ダルクような微笑みで。
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