第18話 能力未知――葉月 一草 4

文字数 4,138文字

 類はポケットから鍵を出して、アルミ製の門扉をあける。門の鍵も、スロープの先の玄関扉の鍵も、低い位置に設計されていた。
 二人で玄関につながるゆるやかなスロープを上がる。玄関の扉は観音開きに大きく開くように作られていて、廊下には少し幅の狭い車椅子がもう一台、主の帰りを待っていた。
「室内用に乗りかえるんだ」
 小さめの車椅子は淡いオレンジに彩色されていて、座面に厚みのある黒のエアマットが敷いてあった。
「どうすればいい?」
「近くに止めてくれれば、自分で移れる」
 類はその言葉どおり自分でブレーキをひき、室内用の車椅子を前に引き寄せて、腕の力でうつぶせに座面につかまった。
 類の両腕が震えているのが、なんとなく心配になって一草は腰を持ち上げて支えてやった。
「ああ、ありがとう」
 向きをかえて腰をおろす。
「助かった。でも、大丈夫だよ。僕の場合は足が使えないだけで。腹筋も背筋も生きているからね。室内なら転がってでも移動はできるし、わりと普通に生活できるんだ」
 個人宅ではあまり聞かない機械の作動音がした。一草が思わず顔を上げると、廊下の先にある扉が開いたところだった。すぐ脇の壁に見覚えのある三角のスイッチがついていて、よく見るとそれは部屋ではなくエレベーターなのだった。
「類」
「おかえり」
 南高の制服を着た少女が二人降りてきた。一草と同じベージュのブレザーだ。
 一人は背が低く、髪はぱつんと切り揃えたボブカットで、両耳にあたる部分に目立つデバイスを装着していた。もう春なのに耳当てをしているのか、と一草は思い、やがてそれがアンテナのようなものがついた金属質の装置であることに気がついた。髪の中からつきだしている様子は、童話で見たエルフのとがった耳のようだった。
 もう一人、後から降りてきた少女はすらりと背が高く、焦げ茶色の髪を長く垂らしていた。
 二人は一草を見たとたん、警戒心をあらわに立ち止まった。
「あ、ええと、こっちは葉月一草君。無事に保護してきたよ」
 類がのんびり紹介した。
「……どうも」
 ひょこっと頭を下げると、無言のまま審査するような目でじろじろ観察される。一草は少し戸惑いながら、相手の出方を待った。
 その間に一草はもう少し注意深く二人の少女をながめた。デバイスを付けた少女は、学校でもかなり目立つと思うのだが、あまり見かけた記憶がない。もう一人の少女は外見を覚えていた。今年やってきた転入生だ。大人っぽくて体型ももう女性と言っていい。名前はたしか――
「南高校二年の加納理央(かのう りお)です。これから、よろしく」
 落ち着いた笑みで名乗った。アルカイックスマイル、という言葉が似合いそうだった。
 理央にうながされて、背の低いほうがもじもじしながら言う。
「……長月澪(ながつき みお)です。二年生です。……プラチナベビーズです」
 それだけ言うと理央の後ろに顔を半分隠してこちらをうかがっている。まるで警戒心の強い小動物だ。
「二人ともプラチナベビーズなのか?」
「いや、理央は違う。彼女はもともと澪の監視者だった。今は僕らについてくれている。心強い仲間だ」
「え?  え?  それって裏切ったってこと?」
「私は、類を支持することに決めたの」
 理央は静かに言った。
「それに妹みたいな澪を一人にできないし」
 澪は理央の腰に手をまわしてしがみついている。澪にとって理央は保護者のような存在なのだろう。
 類が苦笑した。
「澪はすごく人見知りなんだ」
「二人とも、すごく汚れてるけど何かあった?」
 心配そうに理央がたずね、初めて一草は自分たちが土ぼこりだらけになっていることに気がついた。
「うんちょっとね、着替えてくるよ」
 類が答え、一草を見上げた。
「ここは僕らのシェルターだ。いざというときのために、生活用品は一式そろってる。案内しよう」
 類が広い廊下に車椅子を転がした。一草もあわてて後にしたがった。
「いいわよ。先に行って。私たちはリビングにいるから」
 理央が背中に澪をくっつけたまま奥へ歩いていき、エレベーターの扉を開けてくれた。
 エレベーターの外側の扉はアコーディオン状の手動扉になっていた。内側の箱は自動で開いた。中は車椅子一台と一人が乗るといっぱいになった。類が慣れた様子でパネルを操作する。エレベーターは下へ向かった。
「地下に部屋があるのか」
「うん。基地みたいで楽しいだろ」
 軽い口調で言い、やがて少し心配そうにつけたした。
「悪く思わないでほしいんだ。澪は『千里耳』と呼ばれていて、聞こえるはずのない遠くの音や微細な音。そして、人の心の声をきく。彼女は小さな頃から能力のコントロールがうまくいってなくて、すぐ頭痛や体調不良を起こしてしまうんだ。今はあの耳につけたデバイスで聴力のレンジを狭めてなんとか生活しているけど。彼女――基本的に人が怖いんだよ」
 エレベーターが停止した。類が手動の扉をひらくと、廊下に三つの扉が見えた。
「一番右を僕らの部屋にしようと思うんだけど、僕と同室でいいかな? ちなみに地上一階のゲストルームを女の子たちに提供している」
「いいよ。一緒のほうが都合がいいだろ。俺も変な心配しなくて済むし」
 一草は気安く答え、二人は廊下を進んだ。
 廊下は窓がなくても圧迫感を感じさせないためにか、オフホワイトで統一されていた。
 類が示した白い扉を開ける。部屋は十畳くらいの広さだろうか。窓が無いので暗かった。類が進んでいくとセンサーでライトが灯った。
 一草は室内を見回した。天井は高い。右側の壁に二段ベッド。反対側にはつくりつけの二つの棚とノートパソコンの載った書き物机があった。棚にはすでにバスタオルや旅館にあるような洗面用具、ファストファッションブランドの部屋着まで置いてある。
「すっげえ。ホテルかよ。準備万端だな」
「服のサイズはメンズのMで大丈夫かな? 足りないものがあったら、ストアレジまで案内する。お菓子やジュースもあるよ」
「ベッドは俺が上でいいんだよな」
 類が笑い出した。
「僕に、はしご登らせる気かよ?  ああ、そう棚も上段の三段を使ってもらえると助かる」
「わかった」
 机の先に小さめの冷蔵庫があった。
「水でよかったら入ってる」
 一草はミネラルウォーターのペットボトルを二つ出して、一つを類に渡した。音をたててキャップを開け、喉を鳴らして水を飲む一草を見て、類は安堵したように頬をゆるめた。
「よかった……。いや、本当いうと一草のことが一番心配だったんだ。もともと何にも知らないし、能力もみつかってないのにこんな扱いを受けて、僕からこんな突飛な話聞かされて、心がパンクしちゃうんじゃないかって……」
 少し涙ぐんでいるように見えた。
 一草はぷはっと息を吐いた。
「みんなすげえよ。俺はなんにも考えずに気楽に生きてたのに。父さんは俺を逃がすために、極秘で動いていてくれたし。類はこれだけの準備をしていてくれた」
「僕じゃないよ。正確には僕の父さんがね」
 類は照れくさそうに笑った。
 一草は急に真面目な顔できりだした。
「類、ここで暮らすにあたって、一つ重要な質問があるんだけど、いい?」
「なんでも」
 一草は声をおとして、類の耳元に囁く。
「類ってさ。女とヤれんの?」
 一瞬ぽかんと目を見開いた類は、次にかっと頬を染め、すぐに不機嫌そうな顔になった。
「……それ、今重要なことか?」
「重要だろ。すごい重要だろ。あの二人のうち、どっちかとつきあってたりする? いや、そういうことは、先にきいておかないと」
 類は自分の髪をくしゃくしゃとかき混ぜて、はあっとため息をついた。
「……性行為はできる。でもあの二人とはそういう関係じゃない。これで満足か?」
「へえ。てことは、彼女がいるんだ。今夜はその話をじっくりきかせてもらおうっと」
「……僕をからかって楽しいか?」
 じっとりとにらんでくる類に、一草は鼻歌でも歌いだしそうな調子で言った。
「そりゃ楽しいよ。やっと類がちゃんと怒ったり、笑ったりしてるからさ」
「え?」
「支えた時から気づいてた。背中、冷や汗でびっしょりだ。さっきから、ずっと緊張しっぱなしだっただろ」
 思がけないいたわりの言葉に、類が困惑の表情になる。
「ほら、類のおかげで二人で無事にここまでたどり着いたんだし、少しくらい余計な話でもしてリラックスしようぜ。体がもたない」
「なんていうかお前って……」
 類は車椅子の背もたれにかくんと脱力してもたれかかり、眉間にしわを寄せたまま、泣き笑いのような顔になっている。一草がぽんぽんとその肩を叩いた。
「俺も楽にするから、類ももう楽にしろよ」
「あ……」
 類の視線が、不思議そうに一草の顔でとまった。しばらくそこをじっとみつめていた。そしてあわてて周囲を見まわす。
「何?」
「あ、いや、なんでもない」
 類は我に返って頭を振った。一草はくいさがった。
「何か見える? 見えるんだな。それって……俺の能力じゃないかって思うんだ。俺が体に触れると、たまーに相手に何か見えるみたいなんだ。それってなんだろう」
 類はそれを聞いて少し考え、やがて言った。
「今、僕は一草と同じ目線で会話してた。本当は見下ろされてるはずなんだ。なのに、ほとんど同じ高さに一草の顔があった。僕は――立ってたんだ」
 一草は腕を組んだ。
「うーん。それってどんな能力だ」
「少し考えてみよう。もっと他の例を集めれば何か手がかりになるかもしれないね」
 類は考えながら言った。そして喜びと哀しみの入り交じった複雑な表情でつぶやいた。
「君の能力なのかな? でも素敵だった。一瞬でも、見下ろされない位置にいて嬉しかったよ。君にはあんまりこういう気持ちはわからないと思うけど」
 無理に笑っているような寂しげな類の顔を見ると、一草の心はちくりと痛んだ。
 一草は一瞬、車椅子のかたわらにひざまずいて話そうかと考え、思いとどまった。彼が望んでいるのはきっとそういうことではないのだ。
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