第5話 国追われた王子――睦月 澄人 4

文字数 4,198文字

 柔らかいものが額に触れている。顔にかかる髪の毛を、優しくかきわけてくれている。
(懐かしい感触だ)
 澄人は薄く目を開いた。まぶしさに一度瞼を閉じ、また、ゆっくりと開けていく。
 白い天井が見えた。クリーム色のカーテンが見える。上部が網目状になっている病院独特のカーテンだ。T字になった銀色の棒が見えて、液体の入った透明な袋が二つぶらさがっていた。 
(あれは、点滴台っていうんだっけ?)
「気がついた? どう? まだ目が回っている感じする?」
 聞き覚えのある声だった。茶色の髪の少女がのぞきこんできた。高校生くらいだろうか。知っている気がするのに、澄人は彼女が誰なのか思いだせなかった。
「どう? 気持ち悪い?」
「だ、大丈夫です。目も回ってないです」
 澄人は起き上がろうとした。少女があわてて澄人の肩をおさえつける。
「まだ、起きないほうがいい。急に頭を起こすと、気持ち悪くなるよ」
 少女が枕元のナースコールのスイッチを入れた。
「睦月澄人君、意識戻りました」
 そして、澄人のベッドのリモコンを手にした。
「少しだけ上体を起こすから、そのまま寝てて」
 ベッドがたたまれて上体が少し起き上がり、視界が広くなった。
 澄人は自分が着物のような前あわせの患者服を着せられていることに気がついた。
 ベッドの脇に立つ少女はボートネックのカットソーにジーンズというラフな格好で、薄手のカーディガンを羽織っていた。ぐるりと病室を見回すと、窓の外に紅葉した桜の木が見えて、澄人はうろたえた。
「え……。今って」
「うん。君が意識を失って五ヶ月たつ。今、十月なんだ」
 澄人は混乱する頭をなんとか整理しようとした。
「ええと……すみません。あなたは?」
 優しげなとび色の瞳は絶対に見覚えがある気がするのに、なぜか顔を見ると名前が出てこない。
「如月理央だけど。思い出せない?」
 そして少女は、あっと口に手を当てる。
「そっか、顔少し変わっちゃったからね」
「顔?」
「うん。整形しちゃった。前より美人になったでしょ?」
 おどけて言った。
「あとで説明するけど、君と私は大変な事故にあって、それでちょっと特別な治療を受けたんだよ」
 二人の看護士がやってきて、澄人にいくつか質問し、体の下から体位交換のためのエアマットを引き抜いていった。澄人はそれでだいぶ身動きが取れるようになった。
「お水は飲んでいいんだってさ。欲しかったら言ってね」
 理央がミネラルウォーターのペットボトルにストローを差して、そばのテーブルに置いてくれた。ベッド脇の椅子に腰掛ける。
「明日から、流動食は食べられるらしいよ。学校の帰りにプリン買ってきてあげるね」
「プリン……」
「プリン好き?」
「……好きです」
 理央は面白そうに笑い出した。
「素直だなぁ。うちの弟とは全然違うよ」
 澄人は薄い毛布の下から、自分の両手をひき出した。
(腕がある)
 手を握ったり開いたりしてみる。袖をまくってみても、つなぎ目や傷跡はまったくない。
「どう? 違和感無い? うまく動いてるみたいだけど」
 理央の声がした。
「やっぱり、切断したんですよね。それに、火傷したはずだし、それに……」
「手のつなぎ目なら、肩にあるんだよ」
 澄人を刺激しないためか、理央の声はひどく静かだった。
「手と、足ね」
 澄人は驚いて毛布をはいで膝をひきよせた。
「足?」
「あのね。言いにくいんだけど、あんまり足動かすと、管が抜けてシーツが濡れちゃうよ」
 それを聞いてはじめて澄人は、自分が尿道に挿管されていることに気がついた。あわてて下肢に毛布をかけなおす。赤面しているのだろうと思うと、顔が上げられない。
「明日から歩く練習始めて、一人でトイレに立てるようになったら抜いてくれるって。まあ、普通にご飯が食べられるようになったら点滴も減るし、自由に動けるようになるよ」
 理央はなだめるように笑った。
「もう一度眠る? まだ意識が戻ったばっかりだもんね」
 自分を気遣ってくれる優しい声が、澄人の不安を溶かしていく。
 おもいきって口を開いた。
「いえ……あの、それより」
「今、知りたい?」
 澄人はうなずいた。
「やっぱり、知りたいよね。自分の身に起こったこと」
 理央は少しうつむいて、頬にあたる髪を耳にかけた。小さくため息をついて視線を白い病室内に泳がせる。彼女にとってもあまり思い出したくないことなのだと、澄人は気がついた。
「ガウスガンの発射実験は失敗したの。銃器からプラズマが後漏して爆発したの。放射された異常な熱で耐火素材と言われていたマットも燃え上がって、手をつけられない大惨事になったんだよ。それで、君と私は重症を負って、病院に搬送された」
「理央さんも、怪我したんですか……」
「うん。あの場にいたからね。私はほとんど火傷だったけど」
「怪我したのは、僕達二人ですか?」
 澄人は記憶をたぐりよせた。理央は自分の後ろにいた。研究者たちに重傷者が出ていないなら、理央だってとっさに逃げられただろう。
「……理央さん。ひょっとして、逃げずに僕を救出してくれたんですか?」
 理央は、ちょっと迷う表情を見せてから、小さくうなずいた。澄人は言葉を失った。
「なんで。なんで僕なんか……」
 うつむいて、ぎゅっと手を握りしめる。拳の中が汗で濡れてくる。嬉しいのか悲しいのかわからなかった。
 理央に礼をいうべきか。謝罪するべきなのか。何か言わなければと思うのに、思いつく台詞はどこか嘘っぽくて自分の本心ではない気がした。 
 澄人の視界に理央が入ってくる。椅子から立ち上がって、ベッドの上の澄人に覆いかぶさるように顔を近づけてくる。先が綺麗に内側に入った長い髪が、ふわりと澄人の胸にのった。驚いて見上げたとび色の瞳は、潤んで見えた。
「気にしないで。だって先に助けてくれたのは君のほうでしょ。あの時、私がおじけづいたから、君が代わりに撃ってくれたんだよね。君は、とっても勇敢だったよ」
 澄人は急に鼻の奥がつん、と痛くなった。じわり、と涙がうかんで、とっさに視線を逃がした。
「勇敢なんかじゃないです。ただ僕は……」
 ただ単に、自分も本当は暴力的な人間だったということなのだ。
 毛布の上に置かれた澄人の手を、理央の手が上からそっと握った。それは不思議と記憶にある感触のような気がした。意識のない時から、この人はこうして自分の手を握っていてくれたのかもしれない、と思った。もちろん、それは澄人に腕が付いてから、ということになるが。
「君はね、すごく頑張ったんだよ。治療の間、五ヶ月間、一度も自発呼吸が止まらなかった。先生も看護士さんも、みんな褒めてたよ。この子、すごく頑張ってるって。すごく生きようとしてるって。澄人君、生きたかったんだよね。生きるためにやったんだよね」
 毛布のカバーに水滴が落ちた。一度堰を切ると、止まらなくなってぽろぽろと涙がこぼれた。理央が困ったように笑って、澄人の頬を指先でぬぐった。
「今日はもう、何も考えないで休んで。明日のプリンだけ、楽しみにしていてね」

 次の日、理央は約束どおりスーパーの袋に入ったプリンをさげて病室にやってきた。
 理央の説明によれば、二人が受けた特別な治療の内容とは、新しく培養された人体組織の移植だった。プラチナベビーズの中に『生体複製』と名づけられた能力を持っている者が存在し、その能力を応用して、皮膚や体の一部を作り出して移植する方法だという。
「結局ね。『生体複製』能力の根本的なしくみは解明できないけど、研究していくうちに応用することには成功したらしいんだよね」
 澄人と理央は両手足と皮膚の一部の移植を受けたとのことだった。
「よく見ると、違和感あると思うんだ。澄人君は、すでに腕をなくしてしまったから、同じくらいの年恰好の子からつくりだしたんだって聞いたよ。それでかわからないんだけど、一度拒絶反応が起きて、危険な状態になってね。だから私より回復が遅れたんだよ」
 それについては、午前中に主治医から説明を受けていた。澄人の場合、数年であと十センチ以上身長が伸びることも加味して、替えの手足を用意している、とのことだった。
 両手があることには、感謝しなくてはいけないのかもしれない。しかし、まだ根本的に解明されていないプラチナベビーズの能力を利用するなんて、ずいぶんリスクの高い治療を受けさせられたのだと澄人は思った。
「理央さんのご両親は、こんな治療に同意されたんですか?」
 理央は首を振った。
「私も意識が戻ったら、すでにこうなっていたし。私も澄人君と一緒なんだよ。治療方法だとか方針だとかをきいて、まともに判断できる状況の親がいないの。というかその可能性まで考えて、私たちみたいな子をわざと実験に参加させたんじゃないかって、私は疑っているんだけどね」
 これは内緒ね、管理官に聞かれたら怒られちゃう、と理央は笑った。澄人はうなずいて、プラスチックのスプーンを口に運んだ。
「今日の夕方、たぶん太一君も来てくれるよ。昨日は監視業務に入ってたからね。澄人君の意識が戻らないうちから、何度も様子見に来てるんだよ」
 やっと会えるね、と理央が笑う。
「あー、それに比べてうちの弟はほんとしょうもない。そこまでは来てるんだよ。廊下まで。でも、病室に入る勇気はないらしいんだよね」
「あの……理央さんの弟って……」
「遥馬だけど」
 澄人は目を丸くした。
「遥馬さんのお姉さんだったんですか!」
「姉っていっても、一つしか違わないけどね。遥馬は一度、ガウスガンの実験を断ってるの。まあ、私が断らせたんだけど。自分が断ったから澄人君が実験やらされるはめになったって思いこんで、変なふうに責任感じてるんだよね。だからこんなことになって、なんて声かけていいのかわからないんでしょ。それ以前に、澄人君の痛々しい姿を見るのが怖いのよ。心配でしょうがないくせにね。ま、面倒くさいと思うけど、そういう子だから、寮に帰ったら君のほうから声かけてやってくれる?」
「はい」
 澄人は、理央と顔を見合わせてくすくす笑った。日常生活がすぐそこまで戻ってきている気がしていた。
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