第11話 内部告発者――芝 虹太 5

文字数 5,171文字

 二人は身支度すると、病院を目指して歩き出した。ペースメーカーの再調整が済むまで二度と眠ることはできない。体力の配分に気をつけなければ、と虹太は思った。
 北高校から島の外周道路に沿って歩いていった。島をぐるりと囲む道路は一周で六キロほどある。その四分の一ほどの距離を歩いていった。
 晩春の日は、もう初夏かと思うほど熱を持っていた。海からの強い風は、独特の生臭さと懐かしさをともなって二人を包んだ。左手に海。右手の奥にはタイル張りの学生寮が見えてきた。やがて、昨日行った監視施設の複合ビルが眼前にそびえたつ。道のカーブに沿って右に回りこんでいくと、病院があった。白く長い四階建ての建物だ。左手は駐車場になっている。
 二人は病院の向かい側を歩いていた。外周道路をわたって門を入れば病院につく。駐車場に車はあるものの、やはり人影は見えなかった。
 虹太は足を止めた。道路沿いにある調剤薬局をみつけたのだ。
「リルハ。俺、寄るとこ思いだしたわ。そこでちょっと目をつぶって待っててくれ」
「何? 目をつぶってって?」
「うん。お前はなんにも見てない。聞いてないってことで頼む」
虹太は薬局の自動ドアに近づいた。自動ドアは開かなかった。電源が落とされているのだ。のぞきこむと、内部は照明が消えていて、患者らしき人も薬剤師らしき人も見えなかった。
 虹太はパーカーのポケットから、拳銃を出してマガジンを押しこんだ。
「ちょっ、何すんの」
 リルハが追いかけてくる。
 虹太は自動ドアを固定している機械を銃で破壊した。ガラスドアの隙間に指をねじこみ、おしあけた。
 待合室を走りぬけ、片手をついて投薬カウンターを乗りこえた。調剤室の中は、両側を棚にかこまれて狭くなっていた。天井近くまで、ぎっしり薬の見える透明なひきだしが並ぶ。入り口近くの足元には、ラベル印刷機と分包マシン。奥にあるのは冷蔵庫と麻薬用の鍵つきロッカーだ。
 虹太は眼鏡を一度押しあげて、薬棚のラベルを読んでいく。ある棚に目をとめた。
 先ほどの投薬カウンターからレジ袋を取り出して戻り、目をつけていたひきだしを次々ひっぱりだしては、中身を袋の中にあけていった。
「何? 銃の次は、薬泥棒なの?」
 リルハがいつの間にか、調剤室の前に立っていた。
「これは賭けだ。いちかばちか、あたれば俺たちを助けてくれるかもしれない」
「賭け?」
 リルハの問いに、虹太はにやりと微笑む。
「そう。澄人に一矢報いてやらないとな」
「澄人って、あの中学生?」
 虹太は作業を進めながらうなずいた。
「そう。あいつのせいで俺は……でもあいつ、結構かわいそうな境遇なんだよ。『バイオアーマー』研究者たちはそう呼んでるけど。あの子は、生活用の義手義足と、ガウスガンを使うための強化モジュールとを付け替えられるように身体を改造されているんだ」
「うわ、サイボーグ?」
「ううん。メカとはちょっと違うかな。『バイオアーマー』は澄人のほかに、先例として女子高生が一人いるんだ。で、適応率の高い成功例は、女性のほう。つまり女子高生のほうらしい」
「え……じゃ、澄人って子は失敗作なの?」
「俺は、データを盗み見ただけだから難しい理屈はわかんないんだけど、自分とは違う生体を受け入れるわけだから、やっぱ女性のほうが有利なんじゃないの? ほら、女性は子供宿すでしょ。で、男子のほうは女子よりずっと適応率が悪いらしい。特に強化モジュールとの相性が悪いんだ。それを強力な免疫抑制剤を使うことで、拒絶反応が起こらないよう抑えている。しかしそのままじゃ、あまりにも感染症に対して無防備だから、強化モジュールを使用している間、彼は数種類の抗生物質を飲み続ける。この期間が長くなると、どういうリスクが生じるかわかるか?」
 リルハが首を振る。
「耐性菌の発生だよ。澄人が飲んでいる抗生物質がきかない突然変異の細菌が誕生する。もともと備わっている免疫は抑制剤のせいで働かない。そして対抗する他の細菌は、抗生物質のせいでほとんど体内に存在しない。澄人はなす術も無く、早ければ数時間で瀕死の状態になる。そして……おそらく遥馬は澄人を見殺しにはできない」
「それで?」
「ここに、この薬局にある全種類の抗生物質がある。この中に、澄人が常用しているものと違う性質のものがあれば、あるいはその耐性菌に効力を発揮するかもしれない。澄人が耐性菌感染症を発症した場合、これは彼の命綱になり、同時に俺たちが遥馬と取引できる貴重な材料になる。リルハ、よく覚えていてくれ、これを使うのは俺じゃなくてお前かもしれない」
「やだ……変なこと言わないでよ」
 リルハは眉をひそめた。
「本当のことだ。考えておいたほうがいい」
 そう言って虹太は、レジ袋の口を結んで自分の学生鞄に入れた。
「さ、行こう。病院のスタッフがみつかるといいんだけど」
 奮い立たせるように言って、薬局を後にした。それは自分自身に希望を持たせる言葉でもあった。
 車寄せを通り抜け、病院の入り口の自動ドアに近づく。やはりその内外にも人の姿はなかった。
 自動ドアのガラスは、大人一人が通り抜けられるくらいの隙間があいたままになっていた。停止した後、誰かがこじ開けて通り抜けたのかもしれない、と虹太は思った。
(だとしたら、中へ? それとも外へ?)
 照明の消えた内部をのぞきこんだ。がらんと静まっている。ロビーにずらりと並んだ長椅子にも、「受付」「会計」などと掲げられたカウンターの中にも、人影はなかった。
「やっぱり医療スタッフはいないな」
「まだ、わかんないよ」
 リルハは怒ったように言った。
 二人は病院の中に入った。
「小児病棟に行ってみよう」
「循環器科じゃないの?」
「小児病棟には、プラチナベビーズの一人が入院してる。その子はまだこの島に残っているはずだし、その子についている医療スタッフも一緒に行動していると思うんだ」
「ここに残っているの?」
「その可能性があると思ったから、来てみた。その人たちなら、他の病院スタッフの行方も知ってるかもしれない」
 二人は柱に貼られた案内図を見て、小児病棟の場所を探した。
「東棟の3階だ」
 エレベーターホールを通り抜け、階段を上がる。
「ねえ、シバっちゃんは、どうしてなんでも知ってるの?」
「だって俺は、盗聴、盗撮魔だぜ」
「うーんと、そうじゃなくってさ。さっきの薬のこととか。あと戦争のこととか。あ、そっかシバっちゃん頭いいんだよね」
 虹太は照れくさそうにいった。
「あのさ、俺、別に成績がいいことが偉いとは思ってないんだ。でも、世の中に対する知識はあるだけあったほうがいいと思うんだ。そのほうが、狡猾な人間の食い物にされないですむ」
「そっか。私ももう少し勉強するかなぁ」
 大してその気もなさそうにリルハがつぶやく。踊り場を通り抜けて、さらに階段を上っていった。
「シバっちゃんさあ。彼女いなかったの?」
 いきなりふられた話題に、虹太は足をとめ、驚いてリルハの顔を見た。
「彼女? いたことねえよ」
「本当? 好きな子は?」
「あのね。俺、心臓の治療が終わるまでは、毎晩びくびくしながら眠りについてたわけ。もしかしたら明日、俺は目が覚めないんじゃないかって。いつそうなってもおかしくないって思ってたから。今まで、朝が来れば目が覚めるのは当たり前だと思ってたけど、俺にはそれが当たり前じゃないんだ。そりゃ怖かったよ。お前だったらどう? そういう恐怖に、好きになった相手を巻きこもうって思えるか? 相手にも心配かけて不安にさせるんだぞ。好きになった相手にそんなことできるか?」
 リルハは黙った。しばらく考えてから言った。
「そんなの……一緒に不安になってもらえばいいじゃん。心配してもらえばいいじゃん」
 虹太はリルハの顔をまじまじと見た。照明の消えた暗い階段で、黒目がちの目が自分を責めるようにみつめるのを見た。
「シバっちゃんは、いっつも一人で格好つけてばっかだし。なんか、隙がなくてむかつく」
 怒ったように言うと、虹太をおいぬかして階段を駆け上がっていった。ツインテールの跳ねる後姿を呆然と見ながら、自分は何か怒らせるようなことを言っただろうか、と虹太は首をひねった。
 リルハは踊り場まであがり、くるりと半回転する。カーブを曲がって、上を見上げたリルハがぴたりと停止した。無表情に固まっている。
 虹太は階上を見上げた。上がりきった廊下のつきあたりに、医療品を運ぶためのステンレスのワゴンが止まっていた。斜めに転げている。そして、廊下の壁と傾いたワゴンのほんのわずかな隙間から、だらり、と血の気のない人の手が突き出ていた。そこから階段を、赤茶色の液体と透明の液体が混ざり合って流れ落ちてきていた。
 一瞬置いて、リルハが絶叫した。空気をびりびり震わせる声が響き、虹太は思わず耳を塞いだ。
 うるさい、というよりも、恐怖に引き込まれないようにそうしたのだった。異様な光景を前に冷静さを失いたくなかった。
 虹太は階段をかけのぼった。血で汚れた部分を避けて、数段とばしで上がっていった。
 おそるおそるワゴンをどけると、壁とワゴンに挟まれていた人は、どうっと倒れた。
 運悪く階段を転がり落ちてきたワゴンに挟まれてしまったのだ。女性の医療スタッフらしい。胸の部分を直撃されたのだろう。肋骨のあるべき場所は、ワゴンの棚の形そのままにべっこりとへこんでいた。
 虹太は念のため手首に触れたが、すでに冷たくなっていた。
「し、し、死んでるの?」
 リルハはこれ以上目を見開くと、大きな目がこぼれおちてしまいそうに瞠目していた。
「うん、そうだな。もう冷たくなってるから、亡くなったのは結構前のことなんじゃないか?」
 虹太はなるべく落ち着いた声を出そうと努めたが、声は震えていた。
 虹太の脳裏に、昨日のみどり大橋でのパニックが思い浮かんだ。監視施設爆破の轟音による、一般市民の恐慌状態。それがここでも起きたのかもしれない。混乱した患者やスタッフが病院内で逃げ惑ったあげく、こんな悲劇が起きてしまったのか。
 ワゴンの棚から、身分証がぽとりと落ちた。思わず目で追った。笑顔の顔写真が付いている
 ドクター 中島 文香
 小児科(PB)担当
 PBの文字の上で、虹太の目がとまる。PBとはプラチナベビーズの略称だったはずだ。そして、身分証の右端に印字された、十二角形の社章。
 虹太はその場にへたりこんだ。プラチナベビーズを担当していた小児科医は、不慮の死を遂げていた。
「リルハ、そこで待ってろ」
 言い残して、三階の廊下を進んだ。
「待って! 一人にしないで」
「危険かもしれない。頼むからそこを動くな」
 虹太の声に潜む苦渋を聞きとったのか、リルハは黙った。
 虹太は走った。左右に並ぶ、病室のドアに掲げられた名前を確認し、次々開けていく。倒れた点滴台、開けっ放しの窓。人影は無かった。
 さらに奥へ。がらんとしたナースステーションの正面の病室の札に、その名を発見した。
「宇津木創(うつき はじめ)」
 ドアは薄く開いていた。
 虹太は体をドアの陰に隠してのぞき見た。そこもすでにもぬけの殻だった。ベッドの上は、ちょうど子供が一人寝ていた形に布団がふくらんで端がまくれていた。クリームの入っていないコロネパンのようだ。
 プラチナベビーズの一人が行方不明になっている。それだけはわかった。彼の主たる監視者は事故で死んでいる。
(あの女医が死んだから逃げ出せたのか? それとも、誰かが彼女を殺して創を連れ去ったのか?)
 虹太は記憶を総動員した。以前に盗み見た、監視者幹部の資料を思い出す。病院内で完全に管理されているプラチナベビーズ。彼の能力は――
 虹太はひきかえした。リルハの元に戻る。リルハはそこで、足が動かなくなってしまったように硬直していた。
「ここを離れよう。この状態で他に誰かいるとは思えない。それに、あるプラチナベビーズが監視から開放されている。そいつは暴走すると危険な奴なんだ」
 早口で言った。
「え? もういいの?」
 リルハが震える声で言う。
「とりあえず、早めにこの周辺から離れよう。一応、院内薬局だけは寄っとくか。別な種類の抗生物質があるかもしれないからな」
 二人は急いで階段を降りた。いつの間にか手を取り合っていた。一階の薬局に寄り、さっきの薬局と同じようにありったけの種類の抗生物質を手に入れた。虹太はそれをリルハの鞄にしまわせた。
 二人は病院を出て、来た道を戻りはじめた。
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