第37話 僕らの船 2

文字数 3,022文字

『奇遇だな、こちらからも通信をするつもりだった』
 陰りのある黒瞳が、ほんの少し晴れやかないろを見せたのは、澄人が順調に回復している証だろうか、と類は思った。
「遥馬、こちらの保守回線を使わせてくれないか。大事な話がある。こちらからの最後の交渉だ。トェルブ・ファクトリーズの幹部を遮断したところで話をしたい」
 ゆっくり丁寧に類は話した。遥馬は身をのりだしてきた。
『プラチナベビーズサイドに、保守回線があるのか?』
「僕の父を誰だと思ってるんだ。この計画のもと大ボスだぞ。まあ、金の力でトェルブ・ファクトリーズに乗っ取られたけど。つなぎ方はお前に渡した春待太一君のタブレットの中に仕込んでおいた。中の通信用アプリケーションを、監視者のネットワークからスタンドアローンのパソコンに落として指示に従ってくれ」
 遥馬は浅くうなずいた。
『了解した。少し待ってくれ』

「了解だってさ。遥馬も素直になったなあ」
回線が切れると、一草がしみじみ言って両手を頭の後ろにやった。
「そうだな、とげとげしい雰囲気が少し変わったかな。そんなふうに彼を変えたのは、君の能力のおかげじゃないのか? 僕はそう考えてるけど」
「は? 俺の?」
 不思議そうな顔をする一草を、類は面白そうに笑った。
 やがて、再び遥馬から通信があった。
「早かったな」
『優秀なオペレーターがいるからな』
 類は亡命計画を説明した。
『メガフロートを船舶とする条件はなんだ? 本当にそんなこと可能なのか?』
 やはり遥馬は慎重だった。類は説明をくり返した。
「まず、自力走行できることだ」
『自力走行? ディーゼルエンジン一基で、こんなでかい島が動くのか』
 類は自信を持ってうなずいた。
「大型ディーゼルエンジンは、全長一キロ以上、建築物でいうなら五、六階建てに相当するような豪華客船によく採用されている。同系統のエンジンで出力が二、三倍あれば充分実現可能だと僕は思っている。そして、そういった客船でディーゼルエンジンが採用されているもう一つの理由は、これが安定した電力を供給する発電機としても利用できるからなんだ。
 この島の最深部にあったディーゼルエンジンは、おそらく島の巨大発電機として今も機能している。本土からケーブルで電力を補給していない分、これで発電していたわけだ。神田社長の話では、これをマニュアル操作で走行モードに切り替えなくては動力を得られないらしい。その操作を、一度エンジンルームまで下りたことのあるリルハに頼もうと思っている。
 そして自立走行可能な状態ということは、つまり海底や沿岸に係留されていてはいけない。ここからが大がかりな仕事になるけど、まずみどり大橋、ガーデン大橋の二つの橋を破壊して島から切り離すこと。それから海底に固定している三十六本のワイヤーを巻き上げること。この状態にして船主、船長、海技技師の登録を行い、パルマ共和国の船籍を取って初めてこの島は船となる。
 橋の破壊には時間がかかると思う。ガウスガンを使える理央が名乗りをあげてくれているけど、できれば大幅な援護が欲しい。それまで創を止める人間も必要だ。監視者の君たちも協力してほしい」
 遥馬はしばらく黙っていた。
『パルマ共和国が本当に俺たちを受け入れるという保証があるのか? お前の父親の話を信じて、危ない橋をみんなで渡ろうというのか? お前達はもともと俺たちと敵対する立場だろう。俺たちがこの話に乗る必要はあると思うか?』
「もう気がついているだろう。理央は、君の安全のために僕の側についた。僕が最後まで戦う意志を持たない、と信じてくれた。戦いを避けよう。命を危険にさらすことはない。ここで僕らが、金のためにつぶしあう意味はないだろう。
 遥馬、知っていると思うけど僕は過去に事故を起こしてしまった。人を傷つけてしまった。そのせいで僕自身もペナルティとして移動制限を受けているし、プラチナベビーズのみんなにも不自由な生活をさせている。僕はプラチナベビーズの仲間を守りたかった。僕の武器は特殊能力なんかじゃない。知識と情報だ。そう思って、今までためこんできた。それでも足りなかった。君の話を聞いて、自分の視野が狭かったと痛感した。実際のところ僕は、経済的に余裕のある暮らししか知らないんだ。今となっては、君が、そんな僕とは理解し合えない、と言った気持ちもなんとなくわかる気がしている」
 類は恥ずかしそうに自嘲して言った。視線を落とすと、そこには動かなくなった細い両足の腿と、車椅子のハンドリムがあった。
「僕はね。この足になってしまってから、人の手を借りないと生活できなくなった。父、ヘルパーさん、学校のボランティアスタッフ、友人。いつも周囲の人の力に支えられて生きてきた。みんなが差しのべてくれる親切な手が、いつもとっても有り難くて――同時に、はらわたが煮えくりかえるほど嫌いだった。どうして僕は、いつもほどこされる側なのか。僕だって、好きでこんな体になったわけじゃないよ。それでも僕はその手にすがって今まで生きてきた。周囲に支えられなくては生きられなかったから」
 類は右手をパソコンの画面にさしだした。すくい上げるように、遥馬に手のひらを見せる。
「だから、君もこの手をとってくれ。僕のことを大嫌いなままでいい。それでも僕ら人間は、立場の違いと個人的な感情をのりこえて、手をとりあえる。今だけ、君のプライドを捨ててそれを証明して見せてくれ。君たちは『戦場の金にたかるウジ虫』なんかじゃないだろ。遥馬、人になれ――共に生きよう」
 遥馬は目を閉じた。口元に今まで見たこともない、清らかな笑みがうかぶ。皮肉なかげなど一片もない、素直な十七歳の少年の笑顔だった。類ははるかな天体の輝きを見るように、胸をつかれて見守った。
 再び開いた瞳は静かな決意を告げていた。
『類、俺たちはもう――とっくに手をとりあっている。澄人が回復した。それで、宇都木創と友達になりたい、と言うんだ。彼の境遇が自分みたいだ、と言うんだ』
 遥馬は掛け値無しに笑っていた。切れ長の目は細くなり、少し幼い印象になった。
『類。監視者サイドの工作はまかせてくれ。それから、澄人を創の制圧に向かわせる。できる限り平和的に、な』
 ほう、と類も息を吐いた。
「澄人君が……ありがとう」
 通信の切れた画面からゆっくりと視線をずらし、類が隣にいた一草に囁いた。
「……一草。ひどいことを言ってすまなかった」
「え? ひどいこと? 俺に?」
 一草は面食らった顔をしている。
「君は共同生活をするうえで、たびたび僕を手助けをしてくれたのに。それを……交渉のためとはいえ、あんな言い方して」
 一草は破顔した。こちらも一点の曇りもない、磊落(らいらく)な笑顔だ。
「よせよせ。スッキリしただろ。これでやっと俺達は対等か?」
「一草……」
 類は、自分らしくなく声がうわずるのを止められなかった。
「……泣くなよ。類」
 類は両手で顔を覆っていた。
「怖かったんだ。これを、口に出すのが、ずっと、怖かったんだ」
「類は今までみんなを守るためにすごく頑張ってきただろう。俺は尊敬してんだよ。少しくらい愚痴こぼしたからってなんだよ」
 ばん、とあたたかく肉厚の手の平で背中を叩かれて、類は咳きこみ、むせび泣きながら微笑んだ。
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