第38話 覚醒――如月理央 1

文字数 3,320文字

 五月二十日 午後二時
「澄人君は創君のところへ向かうのね。それじゃ私は橋を破壊すればいい?」
 理央は類にたずねた。実の弟に負けないくらい可愛がっていた澄人が感染症から回復したというしらせは、本当に嬉しかった。たった十四歳で、特殊な武器を背負わされ、無理してバイオアーマーとして働いてきた彼を理央はずっと痛々しく思っていた。
 遥馬と最後の三度目の交渉を終えた類は、すがすがしい顔をしていた。
「遥馬から情報が来た。橋梁入り口の逃亡防止システムは、監視者の学生が管理しているわけではく、避難完了した段階で自動的に発動されて管理は本土のトゥエルブ・ファクトリーズが行っているらしい。つまり、監視者達も逃げ出さないようこの島に捕らわれているんだ。破壊しなければ止めることはできないらしい。橋の破壊には監視者達もプラスチック爆弾を使用すると言ってくれている。ただ、威力はあまり期待できない。理央、君はすでにわかっていると思うけど、ガウスガン以外、彼らは監視者にあまり建造物に威力のあるような武器を装備させていないんだ。もともとこの狭い島の中で対プラチナベビーズとの交戦しか想定されていなかったし。このメガフロート自体を破壊しないようにという配慮だと思うけど」
「じゃ、私が頑張らなくちゃね」
 理央はややオーバーアクションに胸をたたいた。
「橋の付近は危険だ。僕も一緒に連れて行ってくれ。君たちが撃たれないよう役に立てると思う」
 類はそれからリルハに向き合った。
「リルハはもう一度地下にもぐってエンジンルームにたどり着き、マニュアル操作でディーゼルエンジンを走行モードに切り替えてくれ。やり方とパスワードは、神田さんから送られてきたデータを見て確認したよね」
 リルハはにっこり営業スマイルで応じた。今日もメイクはばっちりだ。誰に見せるというわけではなく、これは彼女がじぶんらしさのためにやっていることなのだろう。
 類は少し言いにくそうに言葉を継いだ。
「一人で大丈夫か? あそこには……まだ虹太君がいるんだろう?」
「大丈夫。行き方も覚えてるし、銃器をつかわなければ、あそこのセンサーは反応しないってわかってるし。私、もう一度シバっちゃんとお別れしてくるよ」
 けなげな強がりを、とびきりの笑顔で飾って見せた。
「澪と一草はここで待機しながら、監視者との連携をとる。彩乃に画像データ送信の妨害電波を流すタイミングを指示してくれ」
「私はこっちを見てるわ」
 真尋が言ったのは、監視者から送られてきた海中の映像だった。
「うまくメインコントロールシステムに干渉して海底ワイヤーを巻き上げられるか、遥馬君のお手並み拝見ね」
 完全に上から目線だ。遥馬は恋人の部下というところか。
「あとは、創君の保護だけど……」
「私、ゆうべ寝ている間にみつけたよ」
 おかっぱ頭の澪が、夢見るような顔で言う。
「ハジメ君もスミト君も。二人は似たもの同士。きっと仲良くなれるよ」
 ふふふ、と含み笑いをした。
「澄人君が突然創に同情してくれた件だけど。澪、ひょっとして君が眠っている澄人君の心に干渉したんじゃないのか? 僕はそれを疑っているんだけど」
類が斜に視線を送ると、澪ははぐらかすようにそっぽをむいた。

 理央はエレベーターで類の自宅の地下に降りた。驚くべきことに、ここには監視者施設とほぼ変わらない仕様の殺菌室が用意されていた。類の父親という人は本当に息子に惜しみなく与える人なのだ。バイオアーマーである自分が類に寝返ると知った時から準備してくれていたのだろう。
 理央はポケットからテディベアのプレートのついたキーホルダーを出した。つながる銀色のリングには、自宅アパートの鍵、そして七色に光るホログラムキーが下がっている。自分専用のガウスガンのロッカーキーだった。

 一年前――
 ガウスガンの暴発事故から一ヶ月たった頃のことだ。
「理央さんの彼氏かな? 北高校の制服の男の子が来てナースステーションにノート預けていったけど、持ってこようか」
 ポケットにつるした懐中時計を持ちあげ、水滴の落ちる数と見比べて、点滴の早さを調整していた看護師が言った。
「彼氏? 弟じゃなくてですか?」
 皮膚組織の移植が進み、火傷のひどい痛みは無くなったが、まだ体のあちこちにひきつるような違和感があった。それでも明日からリハビリを始めなくてはならないらしい。
「うん、車椅子の子だったけど」
「ああ、類か」
「うわあ、下の名前で呼んじゃうんだあ」
 看護師の冷やかすような口調にあわてて手を振った。
「彼氏じゃないですよ。ただのクラスメイトで……」
 言いよどんだ理央を横目に、看護師は意味ありげに目で笑いながら病室を去っていった。
(どういうつもりなんだろう。監視対象者から、監視者にコンタクトしてくるなんて……)
 ナースステーションに預けられたというノートが理央の病室に届けられた。見た目は普通の大学ノートだ。しかし授業のノートだとは思えなかった。
(類からのメッセージだ。彼はクラスメイトの私が監視者のひとりだと知っていたんだ)
 めくる手は緊張していた。内容は――お互いの弟妹の命を守るために、自分の『戦闘放棄』を支持してほしい、という懇願だった。そしてそれは、理央にとって、監視者の仲間を裏切るということだった。
 理央と類は二人とも、自分の弟妹の未来を守りたいと思っていた。年功序列など今時流行らないし、姉だとか兄だとか言っても大して意味なんかないのかもしれない。生まれた順番が少し先だっただけだ。理央だってまだ子供で、遥馬に対してどこまで責任があったのかわからない。それでも守ってやりたかった。
 同伴者派遣ビジネスだと言いくるめられて、刺激が欲しい連中に金で体を投げだすことも。遥馬のためだからやれた。法外な報酬のかわりに体験することは全て、痛くて恥ずかしくて屈辱的だった。自分のことだけを考えたら、早々に逃げ出していただろう。弟の遥馬に自分が必要とされていて、自分しか守ってやれないと思ったから、それでも続けられた。
 それなのにその弟は、学校をさぼって犯罪に手を染めていた。遥馬はいつの頃からか、お金を欲しがらなくなった。おかしいと思った理央は、朝家を出る遥馬をつけてみた。そして彼が病院の駐車場で車上荒らしに精を出しているのを発見したのだった。
 駐車場の柱の影に身を隠した理央は、静かな、それでいて全身の血が逆流するような怒りに震えた。帰ってきたら問い詰めてやろうと、憤然と帰宅した。
 しかし、実際に遥馬を前にすると、何と言って責めるべきかわからなかった。
「自分はどうなんだよ」
 遥馬にそう言われれば、もう何も言い返せない気がした。
 そうか。理央は台所の椅子に腰掛けて、ほおづえをついたまま悟った。自分のしていることは、そういうことだったのだ。遥馬だって、たった一人の姉を守りたかったのだ。
(あの子だって、我慢に我慢を重ねてきたはずだった。それでも、今まで人の物に手をつけたりしたことはなかったのに)
 とうとうそれをやってしまったのは、おそらく理央の足手まといになりたくない一心からだ。遥馬のプライドの高さが裏目に出たのだ。
(私たち、すくわれないな)
 一人で寂しく笑っていた。相手のためにと思いながら、一人よがりの正義感で相手を裏切ってしまう。お互いの気持ちを踏みにじってしまう。
(私たちはなんて未熟なんだろう。いや、大人だって変わらない。母さんだって同じだった)
 母親も正しいことをして、自分達を救うはずだったのだろう。人生が思うよういかなくて、苦しんで悩んで、ほんの少し、判断力がにぶったところを、巧妙な連中に食い物にされてしまった。
 自分と遥馬の説得に最後まで耳を貸さなかった母のことを思った。あの人も、いつか気づくだろうか。自分の信じた正しさの裏で、大切な人を裏切っていたことに。「いいこと」をしているつもりで、どんどん道をはずれてしまっていたことに。

 理央は病室で一人悩み、そして決断した。
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