第27話 孤独な兄――文月 恵吾 6

文字数 4,040文字

「協力してほしいな。でないと、力ずくになっちゃう」
 スカートをまくり、スパッツの上から身につけている太もものホルスターから自動拳銃を抜いた。
「真尋さん……!」
 ショートカットの少女は口角をつりあげた。酷薄に笑って見せているつもりなのだろう。
(真尋さん、うまく笑えていませんよ。あなた、本当は優しい人じゃないですか。敵であったはずの監視者を、それでも好きになった人じゃないですか。こんな敵対関係に意味なんかないって、一番痛感してる人じゃないですか)
 真尋は拳銃を右手で構え、左手でスライドを引いた。弾丸が装填される音が不気味に響く。
「文月君を、撃ちたくないな」
 哀しげに言う。
「俺もあなたには撃たれたくないです」
 震える声で答える。
 突然けたたましく女性シンガーの声が聞こえた。聞き覚えのあるラブソングのサビのメロディーだ。「別れたくない」と叫んでいる。真尋はすっと拳銃をさげて、椅子に置いたままになっていた自分のタブレットを振りかえった。
「類か」
 着信音だったのだ。交渉の邪魔されていらだつような、それでいてどこかほっとしたような声だ。
「ごちそうさまでしたー!」
 創の律儀な挨拶が背後から聞こえ、恵吾も我に返った。真尋もすばやく拳銃を隠していた。

 恵吾は創のパンの残りをもらって朝食をとり、トイレの手洗い場で顔を洗った。あごの先だけ少し髭がのびて、ざらりとした手触りだった。
 鏡を見ると、いつも決断から逃げてばかりの意気地なしが青白い顔をしていた。
(こんな実験クソくらえだ)
 真尋のその言葉だけは全面的に賛成だった。
 恵吾が身支度を終えて戻ると、それを待っていたように真尋は類に連絡を入れた。やがて対話途中で真尋が黙り、タブレットから耳を離して恵吾に尋ねた。
「ね、君の監視対象だった葉月一草が類の所にいて、君と話したがってるって、どうする?」
 恵吾は迷った。一草はもう自分たちの関係が親友なんかではなかったことを知っているのだろう。何も知らされず周囲から不当な扱いを受けていたことも。当然怒っているだろう。そして、悲しませてもいるだろう。
「出ます」
(一草、お前は悪くない。卑怯なのはたぶん、俺たち監視者のほうだ)
 せめてそれだけは伝えてやりたかった。こんな運命でしか出会うことのできない偽物の親友だった。でもどう悔やもうと、自分たちにはそういう道しかなかったのだ。
(それでも俺はお前といられて楽しかったよ。『幻の中華丼』の食券、二人分買ってくれてありがとうな)
 恵吾はタブレットを受け取った。白地に黒の大きなドット模様がついたプラスチックカバーがかかっていた。
 ――怒れよ。怒って、二度と口もききたくないって言えよ。
 泣きそうになるのをこらえてたたきつけるように言った言葉は、どこまでいっても誠意などではなく、自分の甘えのように思えた。
 ――恵吾。よかった。お前を怖がらせてなくてよかったよ。
 親友は、バカなほど心の広いお人好しだった。
 その後、電話口に出たのはプラチナベビーズの霜月類だった。初めて話す類は噂どおりの平和主義者だった。彼は人間に友好的な態度を示して、プラチナベビーズの模範になろうとしているようだった。変わった能力のことで様々な問題を抱える弟妹たちの人権を得るために、できる限りの「いい子」を演じるつもりなのだろう。
(立派な自己犠牲の精神だ。俺には真似できない。いや、できなかった……)
 恵吾は類に言葉にできない嫉妬と反感を抱き、そんな自分にまた嫌悪感を持った。
 ――さあ、どうしようか文月君。
 類との通話を終えてタブレットを返すと、真尋の目がそう問いかけていた。
 恵吾はちらりと創の様子を見た。風車とミツバチの人形が針金の先についた園芸用のスティックを持って、ぶんぶん振りながら店内を散歩している。
 真尋に手招きしてソファの隣に座らせた。小さな声で密談ができる。そしてこの至近距離では拳銃を撃ちにくくなるだろう、とも計算していた。
「真尋さん、気になったことがあるんですが。さっきの話に出た『泣いた赤鬼計画』ってなんですか? 霜月類がもともとの発案者なんですか? 俺、今まであなたの狙いがよくわからなかったんです。あなたは戦闘に有利な能力があるわけでもないのに、たった一人で特殊武装班に抵抗しようとしている。でもその自殺行為が、どうしてこの実験を終わらせることになるんですか?」
 真尋は少し迷い、やがて言った。
「文月君、『泣いた赤鬼』って民話知ってる?」
 恵吾はうなずいた。
「人間と仲良くなりたいんだけど、どうしても怖がられてしまう赤鬼がいてね。その友達の青鬼がわざと粗暴なことをして嫌われ者になる。そしてそれをいさめた赤鬼は、人間たちの味方として歓迎される、ってのがだいたいの筋。類は小学生の時にこれをやろう、って思いついたらしい。プラチナベビーズの中から、一人青鬼役を作って、人間達を脅かす。そして、残りのみんなが人間の味方をして戦えば、きっと人間に有益な存在として受け入れてもらえるようになる。そんな筋書き。たぶん、たぶんね。類はその時、自分が青鬼になるつもりだったんじゃないかな。自分を責めていたんだと思う。一度人を傷つけてしまい、みんなに迷惑をかけた自分を。
 そして、類は澪っていうプラチナベビーズの能力を利用して私にこの計画を知らせてきた。澪は『千里耳』って言われているけど、彼女の能力はそれだけじゃない。眠っている間に他人の意識の中に入りこめるの。でも、私はずっと協力を拒んできた。一人を犠牲にして残りのみんなが楽しく生きるなんて、私にはできなかった」
 真尋はそこで力を入れて目を見張った。泣きたいのをこらえているように見えた。
「でも、それしか方法がないなら、それでもいいかなって。そのかわり、犠牲になるのは私じゃなきゃいやだって、そう思った」
「それが、うまくいくと真尋さんは思ってるんですか」
 真尋は組んだ足の上で両手を握り合わせた。
「他に方法がないなら、仕方ないでしょ。昔は、もっと他の解決があるんじゃないかって思っていたけど……。でも、私たちの行動観察実験の合格基準てなに? 君たちみたいにセンサー式の計測器がはかってくれるわけでもない。エフェクトチップの色が教えてくれるわけでもない。私たちが人間だという決め手はなんなの?」
 恵吾は黙った。
「無い、でしょ。ただ、減点方式で監視を続けているだけ。トゥエルブ・ファクトリーズが出資して、この島を管理するようになってから、この実験の目的は変わってしまった。プラチナベビーズを敵として戦うことが前提の軍事演習になってしまった。ただ、攻撃の理由が欲しいからひたすら私たちを監視しているだけだよ」
 吐き出すようにいって、真尋は息をついた。
「だったらこっちだって、捨て身で戦ってやろうじゃん。私だって本当はこんな計画嫌いだ。青鬼っていう存在が出てきた途端に、今まで嫌ってた赤鬼にすり寄る人間なんて嫌いだ。共通の敵ができたとたんに仲良くなるなんて、イジメの構図みたいじゃん。『一緒にあいつやっちゃおうぜ』って決まるとすぐ結託する。でもさ、考えてみて。これって少年漫画なんかによくある共闘シナリオなんだよ。どうしてもかなわない第三勢力が現れた途端に、今まで敵だった奴と手を組んで戦おう、みたいなの。それがみんなにとって共感しやすい筋書きだっていうのなら、それを演じてみてもいいんじゃない? それでみんなが納得して、プラチナベビーズって本当はいい奴だったんだね、ってなれば、めでたしめでたしじゃない?
 結局、私たちが手を取り合うために必要なのは、平和主義の思想や博愛の精神なんていう綺麗なものじゃなくて、共通の敵なのよ。戦闘さえあれば、君たちは報酬を稼げるんだし、データがとれればトゥエルブ・ファクトリーズだって実験を続ける必要がなくなるし。みんなが幸せになる結末を、最低限の犠牲で手に入れようって提案なんだよ」
「それを……あなた一人の死によって?」
 真尋はうなずいた。
「ダメですよ」
 反射的に恵吾はそう言っていた。
「そんなのダメですよ」
 真尋はあでやかに笑った。
「私は大丈夫。あっちで彼も待ってるから。これは恋の成就でもあるんだ」
 恵吾はまた微妙な食い違いを感じた。おそるおそる尋ねる。
「すみません。――真尋さんの彼氏って、ひょっとして春待太一さんじゃないですか?」
 真尋が驚いたように少し眉を上げ、やがて小さくうなずいた。
「君も……私が彼をだました、とか、おとしいれた、とか思ってる?」
 小さな声で問いかけてきた。
「いいえ。そういうことじゃなくてですね。あの、ちょっと誤解があるみたいで……太一さん、まだ生きてますよ」
 ごく、と真尋の喉がなった。ふるふると握り合わせた手が震える。
「うそ……だって。あの時、むちゃな姿勢で飛び降りて……」
「全身打撲と両足の複雑骨折で全治二ヶ月の重傷です。本土の病院に搬送されました。でも、命に別状はないはずです」
 真尋が両手で口元を覆った。まるで奇跡を見たように目を見開いている。大きく開いた目はみるみる充血して、下まぶたの上に大粒の涙が盛り上がってきた。こらえようとしているのか、それでも肩はひくひく震えて止まらない。
「……よかった……」
 そう言ったあとは言葉にならず、ひたすら涙をこぼした。
「……私が……巻き込んでしまった……私が……彼の運命を変えてしまった……」
 赤いスカートに水のしみた黒っぽいシミができ、いくつもいくつも重なっていく。
「あの……太一さんに会わなくていいんですか? このまま真尋さんが死んじゃうなんて、太一さんにとって、あんまりじゃないですか」
 真尋がいっそう苦しげに喉を詰まらせて泣き出した。
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