第12話 内部告発者――芝 虹太 6

文字数 7,210文字

「一度学校に戻る。それから、ちゃんと脱出計画を練ろう」
 病院を出てリルハに告げた。
 海沿いの外周道路を歩いた。虹太はなんとなく動悸を感じて速度をゆるめた。制服のワイシャツの左胸をそっとおさえる。神経質になっているだけだと、自分にいいきかせていた。
 そんな虹太に、リルハは黙って歩く速度を合わせている。
「ねえ、シバっちゃん。ききたいことがたくさんありすぎるんだけど」
 おそるおそる顔色をうかがってくる。
「いいよ。順番にどうぞ」
 笑顔で答えた。そして、自分のこういうところが「一人でカッコつけて」ることになるのだろうか、と考える。自分の不安にはすぐ蓋をして、余裕のあるフリをしてしまう。
(まあ、いいじゃないか。俺だって男なんだし、カッコつけさせろよ)
 なんとなく自分に言い訳をして、リルハに顔を向ける。
「さっきの、病院をぬけだしたプラチナベビーズって、なんで危険なの?」
「俺が以前に見た記録だけど、名前は『宇津木創』。彼は今年十歳になる。能力は推定だけど、『発火能力』もしくは『爆破能力』」
「おそらく……? 監視者にもよくわからないの?」
「彼は帝王切開で生まれた。誕生した途端に、手術室の酸素ボンベが謎の大爆発を起こして、手術中だった母親、執刀医、麻酔医、助産師二名が亡くなっている。他にも、病院内で原因不明の事故が続いて、結局彼を眠らせたまま養育をすることになった。彼が意識を失っている間は不審な事故が起こらないんだ。そのうち研究が進んで、脳の一部を眠らせておけば能力が制限できることがわかった。それで、ひたすら薬を投与して脳の一部を眠らせている。その状態で病院で監視されて、十年間だ」
 リルハが細い眉を寄せた。
「……可哀想。その子は、自分がなんでそんな生き方をしなきゃいけないか知ってるの?」
「彼には、本人への告知の許可が出ていない。自分に不思議な能力があることも知らないし、自分の母親の死因も知らされてないだろう。病院で暮らさなければならないことは、たぶん『難しい病気だから』とか言いきかされているんだろうね。それも、まあ……意識混濁を起こす薬を投与され続けていて、本人がどのくらい理解できているのかわからないけどね」
 虹太の胸の中に、ベッドから窓の外を眺める十歳の少年の姿がうかんだ。ぼうっと霞む意識の中で、彼は毎日何を考えていたのだろう。自分がみんなとは違うこと、同じように生きては行けないことを知るのは、必要のないことだろうか。なにも知らずにただ生かされているほうが、幸せなのだろうか。いや、違う。自分がなんなのか知って、そこで初めて始まる人生がある。
 虹太が病によって与えられたのは、決して絶望だけではない。監視者を外されて、客観的にこの島で行われていることについて考え、自分の使命を決めることができた。今でさえ、何も後悔していない。自分は横暴な軍需企業と自分のやり方で戦っている。未来の戦争をここでくいとめるために。
「創くんだっけ。その子は今、初めて自由になっているのかな?」
 リルハの言葉で、現実にひきもどされた。
「うん。階段で死んでいたのは、創の監視者の小児科医だった。俺の推測だけど、監視施設の爆破によってみどり大橋でパニックが起こっただろ? あれと同じことが、病院内で起こったんじゃないかな。そして、彼を管理していた監視者は事故で亡くなった。数時間後に、薬の効き目が弱くなった彼は、完全に意識をとりもどして自主的に行動を始めた……」
「どこに行ったんだろう」
「さあ。一人かどうかもわからない。誰かが連れ出したのかもしれない」
「監視者の誰かが、すでに施設か研究所に連れていったんじゃないの?」
「もちろん、それも考えられる」
 リルハは空を見上げてため息をついた。
「何が正しいのか、もうわかんないや。私はなんだか、その子が自由になっててほしい気がする」
 虹太はしみじみと海のほうをみた。風があるわりに海は凪いでいる。水平線から皮がむけるようにこちらにやってくる白い波を眺めた。
「自由か……自由はないんだ。プラチナベビーズにはみんな発信機が埋めこまれてる。監視者サイドはもう彼がどこにいるか、つかんでいるかもしれない」
 リルハは複雑な顔をした。
「だから、病院のまわりは危険なの?」
「そう。そういうこと。このあたりを創がふらふらしていたら、いつ特殊武装班との戦闘が始まるかわからないんだ」
 二人は顔を見合わせた。リルハが心持ち歩く速度を上げる。
「もう一つ質問。なんでみんな子供ばっかりなの?」
「子供ばっかり?」
「だってそうじゃない? 監視者ってなんで子供ばっかりなの?」
「大人もいるよ。さっきの小児科医の例だってあるだろ。監視者の学徒班にも管理する大人はいたんだ。それが今はなぜか姿が見えない。俺も何か事情がありそうな気はしている」
「でもさ、特殊武装班って如月遥馬が班長なんでしょ? あの子、うちの学校の特進科の二年生でしょ。私たちと同じ高校生じゃん。シバっちゃんが言うとおり、これが兵器実験なんだったら、なんでわざわざ高いお金払ってあんな素人の学生雇うの?」
「プラチナベビーズはみんな子供だからね。学校に潜入して行動を監視するには、同年代の学生を仕込む必要があったんだろ。それにトゥエルブ・ファクトリーズが、十代の子供を兵器実験に参加させる理由はちゃんとある。戦争が職業軍人――特殊なプロフェッショナルの世界だというのは、先進国で軍備にお金をかけられる少数の国の考え方だと思う。世界には十代から兵役のある国もたくさんあるんだよ。アメリカではイラク戦争に従軍した女性の予備軍人が、退役後にあいついで育児放棄をしてひそかな社会問題になった。彼女たちは、イラクで少年少女兵と戦った経験がトラウマになっていると語った。そのくらい、十代の子供は戦場で活躍しているということだよ。ここで彼らを短期間のうちに兵士として養成し、最新の兵器を使わせたことは、すごく貴重なデータになるだろう。そして――あんただって、その目で見ただろ。この国の子供たちだって、それなりの報酬さえ積まれれば、ああやって従順な兵士になるんだ。俺は実感として思うんだけど、金は動機のひとつに過ぎない。あそこで居場所ができてしまうと、もうひきかえせないんだ。貧しかったり寂しい思いをした子供たちの望むものが、あそこには揃っている」
「望むもの?」
「仲間とか。使命とか。信頼関係とか」
 リルハは黙る。
「それを失え、と誰が言えるんだろう。俺はやっぱり『裏切り者』だったのかもな」
「あの子たちの目標って、プラチナベビーズと戦ってお金をもらうこと?」
「そう。そして、生きたかった人生を悔いなく生きること。夢を叶えるには、お金がかかるよな」
 虹太は苦笑した。
「でもそのために関係ない人をたくさん犠牲にしていいとは……俺にはやっぱり思えないんだ」
 歩道の白線をたどるように歩いていたリルハは、ぐらっとバランスを崩し、よろめいて虹太を振り返った。
「あの時の遥馬は、この世界が嫌いみたいだったね。この世界は残酷で人が殺しあうようにできてるって、信じているみたいだった」
 怖い思いをしたのが脳裏によみがえったのか、リルハは寒そうに肩をすくめる。
「そういう人を変えられなければ、戦争はなくならないんだろうな」
 うつむく虹太の視界に、両手を後ろにまわして上目遣いにのぞきこむリルハが入ってくる。
 こんなアングルは何度目だろう。もう見慣れた。それなのに、リルハがにっこり笑うとかたちのいい唇からのぞく歯の白さに、どきり、とする。俺はどうしたんだろう、と少し心臓が心配になる。
「シバっちゃんはもう充分頑張ったよ。あとは、眠くなる前にここを脱出することを考えなくちゃ」
「うん、もうひと仕事だな」
 早くなる鼓動をごまかすように、虹太はリルハを追いぬいて歩きだした。
 学校への帰りに二人は複合商業施設ミナトタウンに寄ることにした。
 病院から島のほぼ中央に位置するランドマークツインタワーの前を通り抜ける。タワーと言っても三十階建てだ。高層マンション程度の高さで、細い建物が二つ並び立っている。てっぺんには平たい円柱が二つの建物を繋ぐように乗っかっていた。ちょうどつばの広いカンカン帽をかぶったように見える。
 一番上の円柱形は展望台だと聞いていたが、いつでも準備中で今まで一般住民は誰も上がったことはない。作ってはみたものの、結局海風が強すぎて安全面から運用できなかったのではないか、と囁かれていた。
 このあたりには監視カメラがあったはずだと、虹太は一応確認するように見まわした。人が集まる場所だからカメラを設置したのか。それとも、この場所になにか特別な意味があるのだろうか、と歩きながら虹太は思案する。
 以前から多少気にはなっていた。人の立ち入らない展望室に実際は何があるのか。このツインタワーについての資料は、虹太にもみつけられなかった。この機会に立ち入ってみたい気はする。しかし今は時間がない。横目に通り過ぎた。
 正面に、この島の主な一般住民二百世帯が暮らしている低層マンションの三棟が見えてきた。その前にある巨大なスクリーンがついた建物が、複合商業施設ミナトタウンだ。映画館、カラオケルームなどを併設している。自動ドアをこじ開けて中へ入ると、内部の店のシャッターは降りていなかった。
 二人は食料を探した。すでに島が封鎖されて二日経っている。弁当やお惣菜、生鮮食料品はあきらめるしかない。
「あと何が食べられるの?」
「うーん、パンはもういいか。レトルト食品とかカップラーメンとかかな。お菓子でもいいんじゃないか。今はうるさくいう人もいないんだし」
 リルハが眉間にしわを寄せた。
「お肌に悪そう」
「じゃ、スーパーのほうに戻って野菜か果物でも取ってくる?」
 リルハは素直にスーパーの野菜コーナーに向かうと、リンゴとトマトを一つずつ取ってきた。
「そんなんでいいの?」
「だって太るもん」
 そう言うわりには、お菓子の袋は手放さない。虹太は、女子ってわかんねーな、と思いながら、レジ台に小銭を置いて店を立ち去った。
 学校に戻ると、家庭科室に行って虹太はカップラーメンを調理した。病院でショッキングな場面を目撃したので少し心配していたが、リルハはリンゴとトマトを流しで洗っておいしそうにかじっていた。なんだ食欲はあるのか、と虹太は少しあきれまじりに安堵した。
 綺麗に並んだ白い歯が、赤い実の表皮を噛み破る様子はどこか蠱惑的だった。
「で? どうするのこれから」
 リルハはトマトの汁で汚れた手を洗っている。
「夜になって睡魔に襲われる前に、本土に逃げたい」
 リルハはぎょっとした顔つきになった。
「ええー、あの橋を突破するの? 私もうトラウマだよ」
「いや、あれはやめとこう。橋の手前を突破して橋へ出たからって、そのあとは安全だという保証もない。海底ケーブルのトンネルを使おうと思うんだ」
 リルハが不思議そうな顔をした。
「海底ケーブルなんてあるの? この島に電話線なんてひかれてないでしょ? だからみんなタブレット使ってるんでしょ」
 リルハが反論してくるのは想定外だった。
「へえ、この島のインフラについて、結構知ってるの?」
 虹太が感心したのを見て、リルハは気をよくしたようだった。
「あー私、ちょっと詳しいよ。だってこの島に移住する時、ママと一緒に説明会参加したもん。イベントのリハーサルがあるって言われてたから学校休んだのに、本科のスパークルドールズのリハが延びちゃって、私たち候補生は予備日に延期されたんだよね。それで暇になっちゃったから、ママについてきたんだ」
 虹太は眼鏡をちょっと持ち上げて、挑戦的に言った。
「そう。リルハの言うとおり、電話線は引かれてない。でも、電気ケーブルがあるだろ? メンテナンスのことを考えれば、ケーブルを通すトンネルは人が入れるくらいの広さには作るはずだ」
 リルハはふっふーん、と鼻を鳴らした。
「電気? この島の電気はですねえ。海流を利用した海洋発電と、それを補う地下の予備発電機。そしてゴミ処理の熱を利用した小規模な火力発電の三つでなりたっているのです。本土から引いたりしていないのです」
「本当にそうかな?」
 虹太はリルハの得意満面な顔を、面白そうに見下ろした。
「だって説明会の時そうきいたもん」
「じゃあ、これは知ってる? そもそも、この島は本当は埋立地でも人工島でもなくて、巨大浮島(メガフロート)なんだってこと」
 リルハは、きょとんとした顔で一瞬停止した。
「え? 何、メガフロートって?」
「浮島だよ」
 リルハは、ぽかんと口を開けた。
「ここ、浮いてるの?」
「そう、海に浮いてるんだ」
「で、でも揺れてないし」
「揺れているよ。でも浮体自体があんまり大きいから感じないだけだよ。本当は毎日潮の満ち引きに合わせて、海抜高度も微妙に変化している。ここは、日本の海域ではあるけれど、島ではないから領土ではない。すごく微妙な場所なんだ。だからこそ、日本の法律を超越した実験なんかが許されたんだと、俺は思っているよ。そして、何か国民から避難を浴びるような重大な問題が起きたら、このメガフロートを丸ごと海に沈めて、全てなかったことに出来る。そういう場所だ。ところがそのことについて、住人にはちゃんと知らされていない。一般住民は埋立地でできた人工島だと言われているからね。他人が言うことを全部丸呑みにしてちゃ、生き残れないよ」
 リルハは不服そうな顔をした。
「シバっちゃんはいつでも偉そうに言うよね。なんでも知ってますって顔しちゃって。そういう資料も職権濫用で盗み見たの?」
 虹太は苦笑する。
「うん。俺がみつけたのは、あくまでトゥエルブ・ファクトリーズの幹部用の資料だけど」
 虹太は席を立って、カップラーメンの汁を捨てた。容器をゴミ箱に投げ入れる。お腹が膨れて、少し体が火照ってきた。眠くなっているのだろう。頭は危機を察知して目を覚まそうと回転し続けているのに、手足のだるさは変わらない。まばたきも多くなってきた気がする。無意識に瞼が重く感じているのだ。
「これを見てくれ」
 虹太はタブレットをとりだし、ロックをかけていたファイルを開いた。リルハが歩みより、手もとをのぞく。
「何?」
「このメガフロートの設計図。実際に製作に携わった神田造船から、トゥエルブ・ファクトリーズの幹部あてに送られた文書だ」
 濃い緑色の画面に白い線で描かれた3D図が浮かび上がる。全体像は巨大なキノコがかさを広げたような形をしていた。平べったくてじくの短いキノコだ。
「この丸い形がこの島なの?」
「そう。これがベースの形。海上に出ている面は微妙な楕円形だ。これは上の建物をつくる前の段階、メガフロートの根幹の部分を表している」
 虹太は画像を拡大した。人差し指と親指の動きに合わせて島が大きくなると、あちこちにびっしりと細かい情報が書きこまれているの見えた。
「これによれば、この海中に伸びている軸みたいな部分は、おおまかに分けて三つの階層に分かれている。最上層は物流のための大型倉庫や、監視者の施設に利用されている。中層に島のインフラ整備のための海洋発電所、発電機、給水施設、下水処理施設。最下層は、必要に応じて海水を入れて浮力を調節するバラストタンクになっている」
 リルハは画像から目をそらさずたずねた。
「これのどこに、脱出経路があるの?」
 虹太は地下中層を拡大した。
 鍵の形をしたアイコンが見える。タップすると、パスワードを要求する画面が現れた。虹太はパスワードを打ち込み、ロックを解除した。
「二重施錠されているんだ」
「シバっちゃん、幹部用のパスワード知ってるの?」
 リルハが感嘆の声をあげた。
「いや、前に丸二日かけてパスワード解析した。何が仕掛けられてるかわかんなかったから、すげえ慎重にやったよ。これだけ厳重に管理されてるって、どんな情報なんだろうって思ってさ。それがこんな形で役立つとは思ってなかったけど」
 新しい画面が開いた。先ほどの地下中層の設計図だ。描かれている内容は最初のものとはかなり違っていた。一番違ってたのは、海底ケーブルで最下層からつながっている、電気ケーブルの存在だった。
「……電気ケーブル」
「そう。それから、これ」
 虹太は今度は画面を縮小した。島から少し離れた外周に、取り囲むような円が描かれている。四、五重になっているようだ。
「ここにある説明どおりなら、これはこのメガフロートが波の影響で揺れないようにするため消波ネットだ。ネットが何重にもはりめぐらされているんだ」
「波を消してるの?」
「だからあまり揺れない」
「あ、でも、じゃあ海流の力で発電する海洋発電って」
 リルハは目を見開いた。わが意を得たり、と虹太は笑った。
「そう。この島の周辺では大きな波は消されている。海洋発電なんてできっこない。だから、ケーブルで本土から電力を供給することが必要になる」
「なんでそれを住人に隠してたの?」
「そりゃ、プラチナベビーズにも、地下にこういう脱出経路があることを知られたくなかったからだろ。この存在をふせておけば、二つの橋だけを監視すればいいわけだし。とにかくもう午後だ。立ち止まって考えてる時間は無い。行動を開始しよう」
 二人は荷物をまとめた。
「少し準備がある」
 と言う虹太に従い、二人は学校の武道場の奥にある弓道場へ向かった。
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