第3話 国追われた王子――睦月 澄人 2

文字数 4,388文字

「さっきのあの男は、母国の友人の兄です。僕の顔が見分けられるので、暗殺者として雇われたんでしょう」
 一度落ち着くと、不思議と淡々と語ることができた。
 寮の中の澄人の個室だった。夕食時に澄人が食堂に来なかったのを心配して、太一と遥馬が訪ねてきてくれたのだ。
 個室には、ベッド、勉強机、壁に作りつけの棚があった。生活用品を置くとそれだけでもう移動するのが精一杯の広さだった。蛍光灯の明りの中、シャワー後の濡れた髪のままの二人は、ベッドに腰掛けて澄人の話を聞いてくれた。
「助けてもらったのに、取り乱してすみませんでした。事件の報告も、おまかせしてしまって」
 澄人は勉強机用の椅子にかけて、力なく言った。
「僕の父は、母国では特権階級といえる政府高官で、僕も裕福な生活をしていました。でも、党内の内部抗争や軍部の干渉で失脚して、一家で日本に亡命してきたんです。母国では、今までやたらとこっちの顔色をうかがっていた人たちが、手の平を返したように、僕らをののしったり、あざけったり。あげく、さっきみたいに命を狙って追いかけてくるし。きっとみんな、僕を殺したら英雄になれると思っているんでしょうね。こっちでは毎日いじめられるし。僕のせいで、親友を死なせてしまったし。もう、なんのために、どうやって生きたらいいのかわからなくなっちゃって……。この世界に、僕の居場所なんてないんだなって実感してしまって……」
 弱音ばっかりですみません、と澄人は片頬で笑った。
「お前、それにしては日本語うまいよな」
「僕の家庭教師は元日本人だったんですよ。小さい時からその人に教わっていました。日本に留学することは、当時から僕の夢だったんです。その人の協力もあって、亡命することができたんです。僕の両親は今、山荘でひっそり暮らしていますが、公安の監視がついていて、事実上軟禁状態です。僕は……僕がこの実験に参加して監視者としての契約を全うしたら、報酬として日本国籍をもらえるっていわれたんです。新しい名前と戸籍をもらって、人生をやりなおせるって。つまり――このプロジェクトには、政府の有力者も関わっているってことなんですよね?」
 すがるように、澄人はたずねた。
 太一と遥馬は顔を見合わせた。慎重な口調で太一が答える。
「いや、直接は関わっていないと思う。ただこの実験の主催者が、政治家もしくは政府高官に圧力をかけられるような、なんらかのパイプを持っているんだろうな。でなきゃ、こんな特殊な実験が許可されるとは思えない」
「……そうですか」
 澄人は少し不安げに自分の手許に視線をおとした。
「お前は日本人になりたくて、この実験に参加したのか」
 遥馬が問いかける。澄人はぎゅっと両手を握りしめた。
「生きられる場所が欲しかったんです。僕の父には、妻が四人いました。一緒に逃げることができたのは僕の母だけで、残りの三人は公開処刑されました。広場ではりつけにされて、石をぶつけられたり、唾を吐き掛けられたりして。そのまま、何日もかけて糞尿を垂れ流して衰弱して死んでいくのを、ずっとさらしものにされたんです。だから、さっきも……鉛玉一発で死ねるなら楽だなって、一瞬考えたんですよ」
 母国を追われてから今まで、幾度となく考えていた。何が自分の罪なのかを。何のために、殺されなければならないのかを。生まれた時から与えられてきた裕福な生活を、何の疑いもなく享受してきたことが罪なのか。幹部の息子という立場で、内政に関心を持ってこなかったことが罪なのか。友人を犠牲にしてまで生き残ってしまった、今の状態こそが罪なのか。
 答えはいつも出せなかった。何か理由を仕立てて生きるのをあきらめてしまうのは、簡単に思えた。それでも、それはひどく卑怯にも思えた。
 だから生きよう、と思った。自分が生きていることは罪なのか。この答えをいつか知るために。正しい生き方をいつか選び取るために。今を生き延びたい、と思った。そのためには体裁などにこだわらず、とにかく前へ進むのだ、と。
 澄人は、きっぱりと顔を上げて二人の顔を見た。
「やっぱり、僕は生きたいです。僕が生きたいと思っていいのなら、生きたいです。そのために、決心してこの実験に参加したんですから。それに……この国には、こうして僕を助けてくれる人もいるんだってわかったし」
 照れくさそうに二人を見て、さらに澄人は目を輝かせた。
「この国はすごいですよ。豊かで、自由で。職業は自由に選べるし、大人になればみんなに選挙権があるし。十六歳になったら、アルバイトができるんですよ。時給千円なんてすごくないですか? なんの職業訓練も受けてない子供がですよ? 夢みたいだ!」
 遥馬はふきだした。
「お前、面白いな」
 そして右手で拳を作り、澄人の前にさしだした。
「ここは、お前みたいに、なんとか新しい人生をつかもうとしてる奴ばっかだ。だから、いじけて腐るよりも俺たちと手を組もうぜ」
「手を組むって、僕みたいな新人とですか?」
 戸惑う澄人に、今度は太一が片手を握って差し出す。
「一緒にやろう」
 澄人はあっけにとられて二人の上級生をかわるがわる見た。あわてて自分もならって右手を拳にした。太一と遥馬は軽快な動きで、拳同士を軽くぶつけ合わせる。
 二人の上級生は、昔からの友達のような笑みをこぼし、澄人もいつの間にかうちとけた雰囲気に取りこまれて笑っていた。

 五月十七日 午前十一時
 特殊武装斑班長、春待太一が弥生真尋の逃走を幇助した件について、管理官室で聞き込み調査が行われていた。
「もう一度、当時の状況を整理しよう」
 直立不動の姿勢をとる遥馬と澄人の前で、上官は書類から顔を上げた。
 今二人の目の前にいる上官とは、特殊武装班の管理官であり、監視者組織のトップに位置する人物だった。オールバックにした髪に白いものが混じる壮年の男性は、眼鏡の奥から値踏みするように遥馬と澄人を見た。
 ぴったりと採寸された隙のないスーツの左胸には、身分を表す記名章と、プラチナベビーズの人権擁護ための公益法人を表すPとBの字を組み合わせた銀色の徽章が輝いていた。
 遥馬が口を開く。
「先ほど申し上げた内容に間違いありません。春待太一は弥生真尋が逃走する際、人質にとられ負傷しました」
「人質?」
「彼女に脅されて利用されたんです」
「君たち学徒隊のリーダーはそんなにか弱く、隙だらけだったのかね」
 管理官の声音には挑発的な響きがあった。
「事実を確認する。空中廊下で拳銃を発砲したのは、春待太一か? 弥生真尋か?」
 澄人は隣にいる遥馬の横顔を不安げに見上げた。前髪からのぞく額にうっすら汗がにじんでいる。なんと言い張っても、硝煙反応などの検証データはごまかしようがない。実験棟の廊下には監視カメラもあったはずだ。
「発砲したのは、春待班長です」
 遥馬がしぶしぶ証言した。
「自分の意志で撃ったわけだ。彼は、職務に反して、プラチナベビーズの逃走に手を貸した。つまり、契約違反を行ったということだ」
「太一さんは、今まで学徒隊の誰よりも組織に貢献してきました。この実験の犠牲者です。それは間違いありません」
 必死でくいさがる遥馬を、管理官は見下すように一瞥した。
「身内をかばいたい気持ちはよくわかるよ」
 次に管理官の視線は隣の澄人に移動した。
「君はどうだ? 何を見た?」
「遥馬さんと同じです」
 澄人は、こわばった口をむりやり動かして答えた。
「なるほど、君たちの結束は固いな」
 管理官は、ふん、と面白くなさそうに息をはいた。
 遥馬が急に堰をきったように話しだした。
「管理官、プラチナベビーズの中には、テレパス――人の心に直接語りかけられる人間がいると聞きました。たとえば、弥生真尋にもそういう資質があり、それが太一さんに働きかけていたと考えたらどうでしょうか? マインドコントロールとかそういうものです」
 管理官はあきれたように大仰にため息をついた。苦し紛れにそんなことを言い出しても時間稼ぎにもならない、そういいたげな様子だった。
「弥生真尋に関してそういう報告はあがっていない。まあ、可能性がゼロとは言わんが……とりあえず、この件は午後からの役員会にかけて決定する」
「もし……もし契約違反を犯したということになったら、太一さんに契約金は支払われないんでしょうか」
「もちろんだ。君達も契約の際に説明は受けているだろう。君達と直接契約を締結しているのは、プラチナベビーズの人権擁護公益法人ではなく、出資している『トゥエルブ・ファクトリーズ』の日本支社CEOだ。今回の件についての最終判断は『トゥエルブ・ファクトリーズ』の役員会で決定する。いいな」
 遥馬と澄人は声をそろえて「はい」と答えた。
 澄人はちらり、と遥馬を盗み見た。遥馬の瞳は落胆にかげっていた。それは一瞬のことで、次にみつめた時には凛然とした覚悟を秘めた鋭い視線を取り戻していた。
 管理官が、デスクのファイルを引き寄せ、事件報告書とは別の書類を取り出した。
「如月遥馬。君を、暫定的に学徒隊特殊武装班の班長に任命する。本日の午前七時をもって、弥生真尋が逃走してから十二時間が経過した。未だ消息はない。そのほかのプラチナベビーズとの接触も案じられる。正午をもって、本島から一般人の緊急避難を開始する。特殊武装班は、装備レベル5で橋梁での検問の警備にあたってくれ」
「承知しました」
「少し早いが、今すぐ隊員の昼食を済ませてすぐ装備に入れ」
「了解です」
 機械的に答え、二人は管理官室を後にした。
 澄人は早足で歩く遥馬に必死でついていく。廊下に人気のなくなったところで、遥馬は立ち止まった。勢いのままぶつかりそうになって、あわてて澄人も足を止める。遥馬が振りかえった。
「昼食後、特殊武装班全員でミーティングだ。……あれをやる時が来た」
 低い声で言う。
「わかりました」
 澄人の声は、心持ち震えていた。遥馬がさらに声をひそめる。
「この作戦は自由参加だ。降りてもいいんだぞ」
「僕には居場所なんてないんです。最後まで遥馬さんの仲間でいさせてください」
 澄人は即答した。
「そうか。ガウスガンのデモンストレーションをする。お前にしかできないことだ。準備を頼む」
「はいっ」
 頼りにされたことが嬉しくて、澄人は満面の笑みを浮かべていた。
 遥馬はその髪に手を伸ばしてきた。どこかぎこちない様子に、澄人は不思議そうに遥馬を見た。
「いや、太一さんなら今、お前の頭くしゃっ、てやったよなって思って。俺には太一さんの真似はできないな」
 寂しげに苦笑して、遥馬は手をひっこめた。
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