第36話 僕らの船 1

文字数 4,564文字

 五月十九日 午後十時
 その夜、類は資料室にこもっていた。
 昼間、類は遥馬との二回目の交渉を行い、抗生物質を一草に託して届けさせた。万一のことを考えて少し離れたところから理央を護衛につけたが、心配はいらなかったようだ。
 類の手元には、芝虹太のタブレットがあった。
「これが何か知りたいの。あんたならわかるんじゃないかと思うの」
 類の家に保護されたリルハは、類と話している最中に鞄の中からタブレットを取りだした。画面には、ある装置の写真が映しだされていた。
 リルハは興奮気味に言った。
「これ、これだけじゃ大きさがわかんないと思うけど、二階建てのアパートくらいの大きさがあるの。この黄色いとこ、階段なの。人がのぼれるようになってるの。これはなんだろう。シバっちゃんは、『これこそがプラチナベビーズのための脱出経路だった』って言ったんだけど」
 虹太のタブレットには、監視者にとってもトップシークレットに属するのではないかと思われる情報が含まれていた。彼はかなり情報を集めていたようだ。小説を書くような人間は、やはり普通の人間より想像力がたくましいのかも知れない。ふと興味を持って、虹太の小説投稿サイトにアクセスしてみた。自動ログイン設定にしているようだ。あっけなく彼のアカウントにアクセスできた。
 白とライトブルーを基調としたサイトデザインの上部に赤いエクスクラメーションマークがともっていた。虹太への新しいコメントが届いているらしい。類は虹太が死ぬ二日前まで書き続けた小説とそこへ寄せられたコメントを開いた。

 五月二十日 午前八時
「みんなに伝えたいことがある」
 朝食の後、類はみんなにダイニングに残るよう指示した。
 ダイニングのテーブルに、一草、理央、澪、真尋、リルハがついている。類はみんなが見渡せるよう、長方形のテーブルの辺の短いほうに車椅子を寄せていた。類の正面にリルハが座っている。理央と澪はいつもどおり隣あわせに座り、一草のとなりに真尋がかけていた。
「話が長くなるから、リラックスしてきいてもらえるといいんだけど」
 類はノートパソコンを取りだした。
「虹太君のタブレットに残っていたデータと、もともと僕が父からゆずり受けていた情報のすりあわせをしてみた」
「何かわかった?」
 リルハが待ちきれないように乗り出した。類はいつもどおり、落ち着いた笑顔でうなずいた。
「まず、この島が人工島ではなく巨大浮島(メガフロート)だということ。僕は知っていたけど、初耳のメンバーもいるよね。」
「メガフロート?」
 一草の問いに類は、パソコンの画面に島の設計図を表示させた。以前に虹太がリルハに見せたものだった。
「うん。海底まで地続きでつながっている島ではなく、海面に浮かんでいる浮島なんだ。潮流に流されないよう海底に打ち込んだフックに三十六本の極太ケーブルで係留されている状態なんだ。島の沖三十メートル四方は消波ネットがはりめぐらされて、波の力で揺れないようになっている」
「こんなでかいものが、海に浮かぶのか?」
 いまだ狐につままれたような顔をしている一草に、類は確信を持ってうなずく。
「うん。あまり知られていないけど、海に囲まれたこの国は、この方面の技術にすごく長けているんだよ。羽田空港新滑走路設置が取りざたされた時に、埋め立て工法ではなくこのメガフロート工法が検討された。その後、横須賀沖で一キロメートル級の実証浮体が建造され、軍事用機体による離着陸試験が行われた。この時のデータによって、四キロメートル級のメガフロートを建造し空港として利用可能だと報告されている。さて、この島の外周道路の道のりが六キロちょいだから、島の直径四キロくらいか? ぴったりこのデータに一致するとは思わないか」
類は自信たっぷりに微笑んだ。
「これがその設計図ってことか」
「そうなっている。これがこの島の建造を請け負った神田造船の設計者、神田奈月からトゥエルブ・ファクトリーズの幹部へ送られた設計図のデータだ。ただし、この設計図にはこの島の実際の構造とかみ合わない部分がある。その真実にぎりぎりまで気がつかなかった虹太君は残念ながら犠牲になってしまった。だけど、彼のおかげで僕らにはこうして情報がもたらされた」
 リルハが下唇をきゅっとかみしめた。
「昨日、虹太君の小説にレビューがついた」
「レビュー?」
「虹太君はインターネットの投稿サイトに自作の小説を連載していた。このうちの一つに暗号がしこまれていて、この島で行われている実験について外部告発するための文書になっていたんだ。それを解読していた愛読者が現れた。彼女はここ数日、虹太君の作品が更新されないのをとても心配している。アカウント名Octorverさんだ。ピンと来ないか? 十月、つまり神無月。設計者、神田奈月、その人だ」
 理央が言いにくそうに口を開いた。
「でも……それだけじゃ確信は持てないでしょ」
 類は同意を示して微笑んだ。
「そのとおりだ。だから裏をとった。昨夜、本土に避難している父にこの事実を告げて確認をとってもらった。間違いない。プラチナベビーズの人権擁護団体がメガフロートの設計を依頼した、神田造船の女社長にして設計者、神田奈月本人だった」
 類はパソコンを操作し、今度は画面に大きな灰色の装置を映し出した。
「そして彼女と通信できたおかげで、虹太君が撮ってきたこの写真の謎が解けたんだ」
 二階建てのアパートほどの大きさがある、とリルハが言っていたものだ。大型のロッカーをブロック状に組み合わせたような外観で、あちこちにパイプが走っている。メンテナンスを行う技術者のためにか、黄色く塗られたスチール製の階段がつけられていた。
 今まで見たこともない装置の写真に、全員が身をのりだして画面をみつめた。
「これは?」
「これは、エンジンだ」
 類はもったいつけるように全員を見まわしてから告げた。
「この島が自力航行するための大型ディーゼルエンジンだ。バラストタンクの一部が、海水ではなく燃料タンクとして機能するようになっている」
 そして類はパソコンの画面に視線を移した。
「神田さんは、プラチナベビーズの支援者だった。僕らの境遇に理解と同情を寄せてくれる人だった。プラチナベビーズの行動観察実験に、共同出資してくれていた。ところが大型出資者トゥエルブ・ファクトリーズが、巨額の出資とともにこの実験の運営権を一手に掌握してしまった。神田さんはそのことを危惧する一人でもあったわけだ。それで彼女はトゥエルブ・ファクトリーズの幹部に知らせずに、この島にある仕掛けをしこんでおくことにした。有事の際、これがプラチナベビーズの命綱になるかもしれない、と。施工完了したメガフロートがトゥエルブ・ファクトリーズにひき渡されたあとも、浮体そのもののメンテナンスはひき続き神田造船の技術者が行っていたから、発覚することなく今まで秘密は守られてきた」
「エンジンで航行できるとなんなの?」
 真尋がけげんな顔で問う。
「よく訊いてくれた。大事なのは、海上を航行することじゃないんだ。このメガフロートを『島』ではなく『船』にすることが重要なんだ」
「船にする?」
「そう。船にする。そしてこの国のものじゃなくするんだ。便宜置籍船、という言葉を知ってるかな?」
「べんぎちせきせん?」
「そう。税制などの優遇を期待して、わざと外国に船籍を申請することだよ。時々テレビで話題にあがる観光用海上カジノ計画は、これを利用してこの国の法律が及ばないようにしようという考えなんだ。同じことを僕らがやってやろうということだよ」
 類は瞳をきらりと光らせた。
「この島を外国船籍の船にすると何が出来るの?」
 理央の問いに類が続ける。
「難民申請だ。僕らプラチナベビーズにはまだちゃんとした戸籍がない。まだ人間として認められてないからね。パスポートやビザ無しで他国へ逃れる方法は、難民申請しかない」
「そんなにトントン拍子にすすむかしら?」
 真尋の口調は辛辣だった。
「障害はあるかもしれないけどね。僕の父は国際弁護士だから、すでに各方面に準備とねまわしを進めている。船籍はパルマ共和国で申請しようと思っている。便宜置籍先としてすごく人気のある国だ。この国は税金が安くて、なにより手続きが簡単だからね。すでに父は僕を船主としてペーパーカンパニーの設立を申請してあるそうだ。あとパルマの海技免状のある乗組員が必要なんだけど、それも神田造船の神田社長がひき受けてくれることになった。このフロートに遠隔操作可能な設備あることと、神田さんが日本の海技免状を所有していることを申請すれば、パルマでは通るそうだ。
 この島が外国籍の船になった場合、公海すなわち日本の領海十二海里を超えて航行すれば、『旗国主義』が採用されてこの船内はパルマの国法が適用されるようになる。そこで難民申請が通れば、パルマは軍隊を持っていないが、屈強の武装警察を持っているから、武装ヘリで保護してもらえるはずだ。この国とパルマ共和国の間には『犯人引渡条約』は締結されていない。万が一なんらかの方法で法的に引渡を求められても、応じることはないんだ」
 まだ話についていけずぽかんとしている一草とリルハ。なんとなく一生懸命聴いている理央と、隣で最初から知っていたという顔の澪。まだ疑り深い顔をしている真尋。
 一同をみまわして、類は鼓舞するように笑いかけた。
「あとは、僕らが力を合わせてこの島を船に変えることだ。もう一つ。この計画は本来プラチナベビーズに生きる道を開くための逃げ道だった。でも、今それを監視者のみんなとわかちあいたい。彼らも一緒に生き残るんだ」
 理央がすがるように類を見た。類はうなずく。
「命に変えられるものはない。ここに残った全員、無事に脱出する」
「でもそれは……結局、あいつらに契約金をあきらめさせることになるんじゃないのか」
「一草、契約金の条件を思い出せ。本人死亡でもいいんだ。監視者は全員ここで僕らと戦って死ぬんだ。そしてあかの他人に生まれ変わって新しい国籍を得るんだ。ただそれを、トゥエルブ・ファクトリーズの監視データ上で誤魔化す仕掛けさえできればいいんだ」
 がたっと音をたてて一草は立ち上がった。
「それじゃ、恵吾は犬死ににならないんだな。弟を救えるんだな」
「うん、うまくいけば」
「そしたら、シバっちゃんががみんなの命を救ったんだってことになる?」
 リルハが瞳を輝かせた。
「もちろんだ」
「……私はいつか、研究の続きをやりとげる」
 真尋が静かに、しかし決意をこめてつぶやく。
「遥馬の命、進学費。澄人君の国籍。全部手に入れよう。笑顔で生きられる場所を探そう」
 もうすでに泣きそうな声で理央が言う。
「私も……生き延びたらいつか誰かの役に立てるかな?」
 澪はうつむいたまま恥ずかしそうに言った。一草は拳を振りあげた。
「やってやろうぜ! プラチナベビーズの人権、そして監視者達の契約金。全部トゥエルブ・ファクトリーズからむしりとってやるからな!」
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