第44話 僕らの船 7

文字数 3,775文字

『ガーデン大橋も破壊完了』
 パソコンのスピーカーから、理央の凛とした声が響いた。
「よかった。これで出航できます」
 一草は二つ目の橋が破壊できたことを知って胸をなで下ろした。 そして神妙な口調で続ける。
「理央さん、武装班のみんなにはもう連絡が入ってると思うんですが、そこから監視者の寮の地下演習場に避難してください」
『類がそこを離れたって……本当なのね』
「俺にもなにがなんだか。でも今はこのまま実験を続けないと監視者の遺族に契約金が支払われないって類が言うんです」
『監視者サイドのめくらましが充分じゃなかったってことね。トゥエルブ・ファクトリーズはこの島を破壊しても私たちを逃がしたくないのね』
「そこまでわかってるんですか」
『ここには能力解放した澪がいるからね』
「あ、そうか」
『とりあえず避難に向かう。船のことはお願いするね』
「了解です。俺も、なんとかなるって信じることしかできませんけど」

 類は遥馬と別れ、ツインタワーの玄関前まで来ていた。二つのビルの間で迷うことはない。足は勝手に右側の建物に吸い寄せられていくのだから。
 自動ドアが開く。この島の住人がまだ誰も足を踏み入れたことのない場所へ、類は歩を進めていった。エントランスは調度品もなく、がらんとしていた。内装は病院のように白一色だ。壁は正方形のパネルにおおわれて、照明が乱反射してまぶしい。
 正面のエレベーターがすでに開いて待っていた。その五人乗りほどの箱の中心に、大きな椅子があった。黒の合成皮革で張られた椅子の背もたれには、首と頭を乗せるヘッドレストがついていて、下部にはオットマン(足載台)までついていた。類はそこへ収まる。自動的に頭は固定され、金属特有の冷たさを持った機器が首に触れた。
 類の前でエレベーターの扉がしまる。目指すのは最上階の展望室。高速エレベーターが上昇を始め、椅子に寝そべる類の体に、内蔵が下へ引っ張られるような重力がかかった。
 類は目を閉じた。
(あとどれだけ、自分は自分でいられるだろう)
 二つ目のペナルティ。自分の後頭部に、髪の毛ほどの太さのワイヤーが渡されているのを類は知っていた。そこを何かの端子につなげば、自分はここにある兵器の奴隷になるのだろう。
 こんなことが許されるのか。最初に知らされた時は呆然とした。そして、おもいしった。
(僕はまだ人じゃない。この国では人じゃない。あとに続く弟妹にこんな思いをさせないために、僕は道を作るんだ)
 それが正しかったのか、今もわからない。ただ従うほかに方法がわからなかったのだ。自分が彼らの役に立つことを証明すれば、従順に従う姿勢を見せれば、プラチナベビーズに有利になると単純に信じたのだ。
 過去の戦争で命を投げ出した兵士たちは、あるいはこんな気持ちだったのだろうか。自分が倒れて道ができる。橋が架かる。未来につながるはずなんだと。
(いや違う。そんな単純なことじゃない。ここで行われているのは実験だ)
 類は上昇していくときの胃の不快感を紛らわすように考えた。
 芝虹太が案じていたように、ここでデータがとれれば、新しい兵器が実戦用に開発、運用される。そしてその元をとるために本当の戦争が始まる。
 本当の戦争? それは結局、新しい玩具を試すのと何が違うのだろう。古いおもちゃを使いきって、新しいものをふりまわして遊ぶ。新しい武器をダウンロードして。錬成して。未知なるミッションに挑み。敵をみつける。そうやって何かの使命づけのもとに殺生をくりかえして、姿の見えない誰かを儲けさせる。これから起こる戦争なんて、みんなそんなことなんじゃないのか。
 くだらない。くだらない。
 死なないでくれ。みんな、死なないでくれ。武器で遊ばせて稼いでいるのは、安全なところにいる誰かだ。血まみれのゲームの駒にされてたまるか。僕たちの命は課金ではあがなえない。

「遙馬は?」
 地下演習場に、理央の声が悲痛に響く。以前ガウスガンの発射実験に使われた射撃場だった。監視施設から装備品を運びこんだ班員たちが一息ついているところだった。
「遙馬はここにいないの? どこへ行ったの?」
 集まった少年少女たちはうつむいて首を振る。
「澪、知ってるの?」
 理央は自分の後ろにくっついていた澪の肩を揺さぶる。
「うん……でも、遙馬本人が知られたくなさそうだったから」
 おかっぱ頭の澪は、そっぽを向いてぼそりと答える。
「遙馬は何しにいったの?」
「遙馬君はみんなのエフェクトチップを持って、白色に変えるために行ったんだ」
「白色に変えるって、じゃあ類の家へ向かったの? プラチナベビーズの能力を安定して発揮できるのは、類と真尋さんくらいでしょ」
「それだけじゃなくて。遙馬は類の荷電子粒子砲の照準をここからずらそうとしてる。みんなの避難している場所やエンジンを直撃しないように。この船がぎりぎりまで航行できるように」
「どこへ? 照準をずらすってどうやって?」
 がくがくゆさぶる理央の腕を、澪はぎゅっとつかんだ。今度はまっすぐに理央の目をみつめる。
「理央ちゃん、落ち着いて。遙馬はほめてほしかったんだよ。理央ちゃんに認めてほしかったんだよ。自分にもちゃんと誰かを守れるって証明したかったんだよ。怒っちゃダメだよ。遙馬は変な仕事始めた理央ちゃんを許してないかもしれない。でも、同時に理央ちゃんをそこまで追いこんだ自分を許せてないんだよ。私にはわかる。だから遥馬は――」
 その時、セキュリティが解除される音が響き、地下演習場の鉄の扉が音をたてて開いた。
 二人の少年が入ってきた。一人はバイオアーマー特有の金属接続部分を持った防護服を着ていた。もう一人は小学校三、四年生位の背格好で、破れた服の上にぶかぶかのジャージを羽織っている。
「特殊武装班、睦月澄人。無事に宇都木創君を保護して戻りましたぁ」
 ひろびろとした構内に甲高い声が反響した。理央が飛び出していって澄人の手にすがった。
「澄人君、遙馬は?」
「遙馬さんは……」
 澄人はとっさに助けを求めるように澪のほうを見た。初対面のはずなのに、二人はすでに知己の仲に見えた。澪は許可を出すかのごとく小さくうなずく。
「……新兵器の照準をひきつけるために南高校に向かうそうです」
「南高校ね」
 噛みしめるようにくりかえすと、理央は駆け出していった。

 ツインタワーのてっぺんの円柱形の展望室に、ぐるりと光がともった。無数の明かりが不規則に明滅をくり返す。同時に二つのビルの窓は黒いシャッターが降りた。
 金属の研磨音のような耳障りな音が島内の空気を裂いた。円柱形の展望室はまるでケーキが切りとられたところのように、中心点からぱかりと三角の口をあけた。一人分を切り取ったような隙間から、まがまがしく黒光りする砲身が姿をあらわした。
 南高校の校庭に遙馬は立っていた。トラックの中心にただぽつんと。
 ぐるりとあたりを見まわす。朝礼台。鉄棒。幅跳び用の砂場。ホースの巻かれた水場。自分が通った学舎ではなかったが、誰もいない校庭は郷愁がただよって、やけにセンチメンタルに見えた。
 遥馬はツインタワーのほうをみつめた。展望室の窓は点滅し、周囲の空気がゆらめいて見えるほど熱を持っているのが遠くからでも見てとれた。
(怖いか、類?)
 ふとあの中に閉じこめられている平和主義者のことを考えた。自分が自分でなくなっていくのは、死ぬこととどう違うのだろう。
(俺も、怖い、な)
 身震いがした。
 展望室はゆっくりと回転していた。まるでロシアンルーレットのためにリボルバーのシリンダーを回しているような、そんな印象だった。やがて直径二メートルほどありそうな砲身がこちらを正眼にとらえた。
(ビンゴ!)
 ここを狙っているのに間違いはないようだった。連中の裏をかいてやった。おかしくてたまらないのに、足はがくがく震え、冷や汗が止まらなかった。
(やはりここを狙い撃ってくる。姉貴、進学するのはあんたのほうだ。ちゃんと幸せになれ。もう間違わないでくれ。安っぽい気晴らしなんかじゃない、ちゃんとした幸せをつかんでくれ)
 理央の長い茶色の髪が見えるような気がした。母親に似たとび色の瞳が見えるような気がした。
「遙馬!」
 幻ではない声にふりかえった。校門から駆けてくるのは、まぎれもなく本物の彼女だった。
 砲身の先が放つ閃光が視界を裂く。
「姉貴、来るな!」
「遙馬!」
 ――よくがんばったね。
 その唇がそう言っている気がした。実際には耳から頭部を圧迫される轟音に聴力を奪われていた。
 ――あんたはいっつも、恩着せがましいな。
 そう言葉にならない声で言って、遥馬はほんの少し笑えた気がした。やっと、今になって姉と笑いあえた気がした。理央の両腕が女とは思えない力で、遙馬を抱きしめた。彼女がバイオアーマーの身体を持っていたことを、遙馬は今さらながらに思いだした。二人がもつれて校庭の地面に転がった刹那。目の前が真っ白な光で包まれた。
 メガフロート全体が揺らいだ。ダイナマイトで発破をかけられたように、校舎が音を立てて崩れていくのが見えた。
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