第40話 僕らの船 3

文字数 6,354文字

 五月二十日 午前十時三十分
 類のパソコンの画面に、理央の名前が表示された。
『みどり大橋、破壊完了』
「よし!」
 一草はぐっと拳をにぎりしめた。
『私とここにいる武装班の子は引き続き、ガーデン大橋に向かう』
「頼んだ」
 類はすぐに遥馬に通信をつないだ。
「今のみどり大橋袂付近の映像は、カムフラージュできたか?」
『おそらく。でも橋が破壊された事実は伝わってると思う』
「武装斑のメンバーが造反したことがトゥエルブファクトリーズに誤魔化せればいいんだ」
『なんとかなるとは思うが……』
 遥か馬らしくない自信のなさそうな言い方だった。慎重になっているのだろう。
「信じて続けよう。僕らはもう引き返せない」
 類がノートパソコンを使って複数回線による通信を続けている間、一草はモニターを見守る真尋にそっと歩み寄った。類の資料室からダイニングに持ち込まれたモニターだ。今は、監視者のネットワークにつなげられ、海中のアンカーワイヤーが巻き上げられている様子を映し出している。机に頬杖をついてじっと見入っているショートカットの少女に一草はたずねた。
「真尋さん、昨夜の話ですが」
 通信中の類に聞こえないようひそひそとささやいた。真尋は少し視線をあげた。
「うん。……一草君の考えていることは、あり得ると思うんだけど。やっぱり心当たりはない。私にはわからない」
「そうですか」
(俺の考え過ぎならそれでいいんだ……)
 一草は昨晩の真尋との会話を思い出した。
 一草は真夜中の廊下に一人立って真尋が通りがかるのを待っていた。類が眠ったのを確認してからベッドを抜け出し、窓のない廊下の壁に寄りかかって、じっと真尋を待っていた。
 思った通り、深更になって真尋は廊下を歩いてきた。夜半になると、創のことが心配になって眠れなくなるらしい。いつも遅くなってから自室へやってくる。一草は驚かせないように、なるべく穏やかに呼びとめた。
「真尋さん、俺、ちょっと気になってることがあるんですけど。よかったらきいてもらえませんか」
「何?」
 少し身構えたようだった。
「あの、真尋さん、今まで研究棟にいたんですよね。そこで能力を軍事利用する研究に協力してたんですよね」
「まあ……私にはほかに選択肢はなかったから」
「そこに、類は呼ばれていなかったんですか?」
「え?」
「俺、考えてみたんですよ。俺たちプラチナベビーズで最強は誰かなって」
「あのね、一草君」
 あきれ顔でさえぎろうとする真尋に、一草は真顔で言い足した。
「それって、類じゃないですか」
「何? 何が言いたいの?」
「創君はたしかに脅威です。でも真尋さんの話が本当なら、自分で能力をコントロールできてないじゃないですか。で、次に脅威になるのは、過去に人を傷つけた実績を持ってる類じゃないかって」
「実績って」
 真尋はいきどおった。一草は自分の口元に人差し指をあてて見せた。類を起こすわけにはいかない。
「あくまでトゥエルブ・ファクトリーズの観点で、です。奴らは、まず自分たちでコントロールできない創君を病院に幽閉して薬づけにしておくことにした。そして、自分たちの目的を知られてしまいそうな澪の能力を、手術と補助機器を使わせることで制限させた。そして、能力に目覚めていない俺はひそかに監視。間接的に軍事利用できそうな真尋さんは拘束して実験に協力させてきた。じゃあ類は? 歩けなくさせて放置ですか? それじゃ、彼の能力がもったいなくないですか? トェルブ・ファクトリーズはなぜこれを利用しようとしないんですか。彼が霜月耕三の息子だから手が出せないんですか?」
 真尋は一草に一気にまくしたてられて、しばらく考えこんでいた。細い顎を指先でつまむ。
「私は今まで研究棟にいたけど、類が何かの研究に協力しているところは見たことがない。でも……私が知らないだけでひょっとしたら……」
 真尋はいろいろな可能性を考えているようだった。
「一草君の言うことは一理ある、と思う。類は足の手術を受けている。その時には病院に滞在したわけだし、彼らにあれこれいじられた可能性はあると思う。私……何か見落としているかもしれない。少し時間をちょうだい」
 真尋はそう言って、自室へ帰っていった。一草は余計な心配事を増やしてしまったかと、少し不安になった。それでも自分の胸に生まれた疑念を誰かに相談したくてたまらなくなっていた。
 類以外の誰かに。同じプラチナベビーズで、監視者の情報も持っていそうな真尋は最適な人物だと思ったのだ。口も堅そうだと思った。
 類の背負わされたペナルティは、本当に足の自由だけなのだろうか。なぜ、類は自ら発案した『泣いた赤鬼計画』を断念したのだろう。いくつかの疑念は靴に入った石ころのように、時折一草の心の隅を刺した。しかし全員の生存のために必死でつくしている類に、言い出せなかったのだ。
(お前も武器として利用されようとしていたんじゃないか、なんて)

 リルハは長いはしごを降りていた。自分の呼吸だけが変に大きく聞こえる。制服姿だった。類の家には着替えが用意されていたが、無難でシンプルすぎるデザインの物ばかりで気に入るものがなかった。パジャマ用のルームウェアはしかたなく着たが、服は制服を水洗いしたものをもう一度着た。汚れは綺麗には落ちきらなかった。まだ血の染みの残るセーラー服だ。でもこの場所にはこれが似合いのような気がしていた。
 リルハは自分が下りるはしごの下を、今も虹太が先導してくれるような気がしていた。一歩一歩足場を下げながら、どうでもいい話や小さなグチをぽろぽろこぼしても、彼が全部拾ってくれるような気がした。
 リルハは少し笑った。
(さびしくなんかないよ。もうすぐ会えるんだからさ)
 ほっぺたの上のほうがきゅん、と痛くなった。目の前のコンクリートの壁のざらりとした表面の模様がにじみそうになる。
(見ててよ。ちゃんと私だって、やることやれるんだからさ)
 ディーゼルエンジンのある場所へは迷わずたどりついた。記憶は鮮明に残っている。黒く太いケーブルが天井に這っているのを追っていくだけだ。
 そこは地下の神殿のように静まりかえっていた。だだっ広い空間にコンクリートの四角い柱が均等に並んで高い天井を支えている。まるで遠近法の勉強をさせられているような光景だった。かつん、と広い空間にヒールローファーの足音がひびく。二人でいる時にはしゃべってばかりいたから、こんなに足音が響くことにも気がつかなかった。
 床の上をを這わせるようにして少し視線を奥へやる。乳白色のプラスチックの破片が花びらのように落ちていた。その先に、破壊されたレドームが見えた。散らばったカーボン矢。視線をもう少しだけ先へやると、投げ出された和弓。凛々しく弓を構えていた虹太の真剣な表情がよみがえり、リルハは胸が痛くなった。
(私を逃がそうとしてくれていた)
 虹太の貸してくれた保護レンズの入った眼鏡は今もスカートのポケットに入っている。
(シバっちゃんはバカだな。いつもカッコつけちゃってさ。なんで彼女できなかったんだろうね)
 心の中で悪態をつく。もちろん返る声は無い。
(なーんにも言い返せないんだ)
 ふふふ、と笑うのと同時に涙があふれてきた。
(ああ、さびしいな)
 スカートのひだの上から眼鏡をそっとおさえて、手の甲で頬をぬぐった。こんなみっともない顔をしてる場合じゃない。
(やるよ。シバっちゃんが私を助けたことが、ちゃんと意味のあることだったって、証明してみせるよ)
 リルハは意を決して顔をあげた。二階建ての建物くらいの大きさのディーゼルエンジンを見上げる。覆っていた防弾のシャッターは自動で解除されたのか、すでに上がっていた。
 リルハはそれを横目に、突き当たりの小さくくぼんだ部屋のような部分に進んだ。
 あの時は、ケーブルがつながっていると信じていた。この先に海底トンネルがあって、脱出できると信じていた。それは――このディーゼルエンジンがあることを隠蔽するために神田造船がトェルブ・ファクトリーズについた嘘だった。二人が必死で逃げ道を求めた先は、残酷にも行き止まりだった。
 部屋が見えるところに立っただけで、つんと鼻をつく臭いがした。今まで嗅いだことのない臭いだった。血の匂いも混ざっていたけれど、それよりも古くなった鶏肉みたいな異臭が気になった。
(これが死臭なんだ)
 思い当たったとたんに走り出していた。周囲に広がった血はもう乾いて、古いペンキのようにめくれあがっているところもあった。つきあたりの壁ぞいに、いまだ横たわる彼がいた。
 思わず一度立ち止まった。赤いパーカーにチャコールグレーの制服ズボン。白くなっていた顔は皮膚の下のほうからどす黒くなっていた。おそるおそる近づいていったリルハは、落ちていた革靴につまずいた。茶色に染まった床に手をついて、そのまま四つん這いに進み、虹太をのぞきこんだ。リルハが自分の手で閉じたはずの瞼は少し開いて、目は濁っていた。米粒くらいの小さな黒い虫がパーカーの袖から何匹も出入りしている。
 こんなところにも虫がいるのだ、とリルハは一瞬考え、やがてここがゴミ処理施設のすぐ近くにあったことを思い出した。一匹が虹太の服の上に這い登り、見る間に首を上り、鼻孔に入っていった。不思議と怖くはなかった。彼の体はもう、他の命に交換されようとしていた。それが自然の摂理だと知ってはいるものの。
(シバっちゃんは気がはやいよ。きっとすぐに生まれ変わっちゃうんだ。そしたら、また会えるのかな)
リルハはぺたん、と座りこんだ。しばしメイクが崩れるのもかえりみず泣いた。あの時おろそかにした葬いの儀式を、今自分の中で行っている気がしていた。
「類、エンジンルームに到着したよ」
 リルハは自分のタブレットをトランシーバーのように口元にあてて、ややかすれた声で言った。
『リルハ……大丈夫か?』
「うん」
『ディーゼルエンジンの筐体についている保守用の階段に上ってくれ。二階部分に測定制御用コントロールパネルがあるはずだ』
「うん。ちょっと待って」
 リルハはひと呼吸入れると、あらかじめ類に送ってもらっていた画像をタブレットに表示させた。コントロールパネルの位置を確認して、エンジンの保守点検用の外付け階段を上った。
 滑り止めの網目模様のついたスチールの階段は、踏みこむたび小さくきしむ。やっと目的のパネルを発見した。すぐ下は少し広い半円形の足場になっていて、腰までの高さの鉄柵で丸くかこまれていた。
 ただの筐体の一部に見えていたパネルは、しかしリルハが手の平をかざすと、反応するように内部に白くライトが点った。金属のように見えていたが、パネルの部分だけは光を透過し人体を感知するスクリーンになっているのだ。リルハは神田奈月の指示どおりに、パネルの三カ所に指先で図形を描く。
 電子音がしてロックが解除された。灰色のスクリーンにはデジタル表示で十桁のゼロが映し出される。リルハは震える指先で、白く光るゼロの上に数字を描いていった。
(失敗したらどうなるのだろう)
 一瞬、恐れが心をかすめる。侵入者を制裁するため、また何か罠が発動するのだろうか。虹太の愛おしくも無惨な遺体が、脳裏にちかちかとフラッシュの反転のようにまたたく。
 一度、ぎゅっと拳を握った。ここで立ち止まるわけにはいかない。
『みどり大橋、破壊完了』
 ふいに、タブレットから少女の声がした。たしか類の家にいた理央という子だ。髪の長い少女の面影が脳裏にうかぶ。
 みどり大橋。あそこにも逃亡防止システムはあった。
(みんな立ち向かっている。一歩間違えたら死ぬかもしれない恐怖と、みんな戦っている。私は一人じゃない。私は私のやるべき役割を果たすんだ)
 深呼吸してパスワードの入力を続けた。リルハの描いた数字が次々デジタル文字で反映されていく。十桁全て書き入れた時、真ん中に「OK?」と書かれたボタンが表示された。ボタンに触れる。内部で大きな音がして、リルハは思わずあとずさり、柵につかまった。
 ガタ、と音がするとパネルの角が前に飛び出してきた。リルハはそこに指をかけて、冷蔵庫の扉を開けるようにおそるおそるひいた。コントロールパネルをめくった向こう側は、なんだかわからないレバーや機器類がぎっしりつまっていた。下半分は配線用端子がびっしり五十個ほど並んでいる。その一つを摘んでひっぱった。先にみなれた端子がついている。タブレットの充電機と同じだ。自分のタブレットにつないだ。
「どう? つないでみた。神田さんから通信ある?」
『了解。確認をとる』
 類の落ち着いた声が返る。
 リルハは足場にしゃがんで目を閉じた。神様に祈りたい気持ちだった。
『皆月璃瑠羽さん? 大丈夫? お疲れさまでした』
 タブレットから初めて聞く声がした。中年女性の優しい声だった。柔らかな物腰だが、ぴんと一本筋の通った芯の強さを感じさせた。
「神田さん、ですか?」
『今からあなたのタブレットを通信用にお借りして、このエンジンを制御します。発電モードから航行モードの切り替えると、そこは一度大きく揺れるので、できればそれまでに安全な場所にいてほしいんだけど、降りられるかしら?』
 リルハは息を吐いた。ふうう、と音をたてて。
「安心しました。うまくいったんですね」
『大変だったでしょう』
「今から、降ります」
 それからリルハは思い出してつけたした。
「神田さんは、シバっちゃんの小説をどうやってみつけたんですか」
 しばらく沈黙になった。その沈痛な雰囲気に、彼女はすでに虹太の死を知っているのだとリルハは察した。
『芝虹太君は……気の毒なことをしました。彼の病気が発覚し、監視者を失格になったとき、私たちは彼をプラチナベビーズ支援者サイドの諜報役になってもらいたいと思っていました』
「逆スパイってことですか?」
『そうです。トェルブ・ファクトリーズや監視者たちの動向を内部から監視する、私たちの目になってほしいと、思っていました。どうやって監視者の目をくぐって彼に交渉するかを考えている間に、彼の投稿している小説を発見しました。出資者の権限で、彼のタブレットのアクセス先を調べることができたんです。彼が、投稿サイトのマイページへ毎日アクセスしていることに気がつきました。そこで彼はすでに私たちが期待することをしてくれていました。だったら危険をおかして交渉する必要はない、と私は思ってしまったんです』
「ずっと一読者として見守ってきたんですか」
『そうです。まさか彼がここまで調べていて、ここでこんな情報の行き違いになるとは思っていませんでした。もっと早く、レビューをつけるべきでしたね』
 小さく鼻をすする音がした。
『彼に直接会ったことはないんです。でもきっと、責任感と正義感があって、文章を書いて人に伝えることに強い使命感の持っている子だったんでしょうね。リルハさん、この一件が終わったらぜひ連絡をください。もっと虹太君の話をきかせてくださいね』
「はい」
 リルハは笑顔で答えていた。
「私、今からこの足場から降ります。五分くらいで下まで行けると思うんで、あとはよろしくお願いします」
『地上へのはしご、気をつけて上ってくださいね』
「あーそっか。まだ一仕事あった。頑張ります」
 リルハは冷や汗をぬぐって言うと、神田奈月とくすくす笑い合った。
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