第24話 孤独な兄――文月 恵吾 3

文字数 3,639文字

「君は人質決定」
 真尋がつなぎのポケットから出した物は、黒光りする自動拳銃だった。
「武装班でもないのが、丸腰でふらふらしてるのがいけないんだよ。今は非常事態だよ」
 真尋は恵吾に近づくと、簡単なボディチェックをした。
「本当になんにも持ってないんだね」
「俺はヒューミント班なんです」
 納得したように真尋はうなずいた。
「真尋さん、み、みんながあなたを捜してますよ」
「知ってる。でも今、武装班は違うことで忙しいからね。私は休憩ってとこ」
 モップやバケツが入っているはずのカートの中には、食料や雑貨、そして恵吾が触ったこともない大型銃器が入っていた。
「創君って呼んでいいのかな。アイス落としちゃったね。代わりの買う?」
 創は蒼白な顔で首を振った。
「文香先生は……?」
 席から立ちあがり、泣きそうな顔でたずねた。恵吾は創を振り返って、安心させるように笑顔を見せた。混乱する状況をなんとか整理しようと試みる。
「黙っててごめんね。でも創君がすごく悲しむと思ったから。病院で事故があって文香先生は亡くなったんだ。でもそれは創君のせいじゃないし、俺だって、その場にいて何もできなかったんだ。不幸な事故だと思うしかない」
 はっと創が息をつめた。恵吾は急に異臭に襲われた。ゴムが焦げるような嫌な匂いが鼻孔をついて、反射的に手で鼻と口をおおった。
 ぱちっ。ぱちっ。
 爆ぜる音を立てて炎の柱になったのは、恵吾と創の横にある作り物の観葉植物だった。
「あちっ」
 葉がめらめらと薄くなって溶け落ち、火の粉があたりに散るのを見てやっと皮膚感覚がおいついてくる。
 非常ベルがなって、休憩室の天井についた三つのスプリンクラーから一斉にシャワー状の水が降ってきた。同時に金属が軋む音がして、三人のいる場所を挟むように通路に二枚の防火シャッターが降りてくるのが見えた。
「ちょっ、閉じこめられる」
 あわてて駆けだそうとする真尋の腕を、恵吾は握った。
「大丈夫、防火シャッターなら人の出入り口があるはずだから。それより――」
 激しく水の打つ休憩所のほうを見た。そこには傘を持って長靴をはいた創が立っていた。
「文香先生、死んじゃったの?」
 泣きそうな声で問いかける。
「うん。悲しいね」
「悲しい」
 自分の気持ちに名前をつけるように、創は繰り返した。
「僕、悲しい」
 眉根を寄せて、心の痛みに耐えている。震えて歪む口元に、不思議そうに自分で触れてみている。
「創君、泣いてもいいよ」
 創は何か思い出したように両手の指をそろえて目にあてた。
「えーん。えーん」
「本当の『泣く』はそうじゃないんだよ」
 恵吾は創の前にひざまずいた。創の頭を肩に押しつけるように抱きよせる。ひくっ、と一度大きくしゃくりあげて、創が泣きはじめた。
「は、う」
 同時に恵吾の脇腹に刺すような熱い痛みが走り抜けた。歯をくいしばる。
「創君、能力を、使っちゃだめだ」
 痛みをこらえてそれだけ言った。創はなにも答えられないほど、呼吸を乱してただ泣いていた。

 木目のきれいな間仕切り用のついたてに、ずっしりと水を吸った制服のブレザーをかけた。ミナトタウン二階、専門店のテナントにあるインテリアショップの店先だった。となりには制服のズボン、ワイシャツ、ネクタイ、そして、星柄のパジャマ、丈の長いパーカーと続く。
 恵吾は店内で適当にみつくろった長袖のTシャツとイージーパンツ姿だった。靴も脱いで、手近にあったガーデン用のサボサンダルを履いている。
 店の奧にある子供部屋用の二段ベッドの二階で、創はすやすや眠っていた。濡れた服を着替えさせたら、もうとろんとなった目をしきりとこすっていた。病院暮らしだから就寝時間が早いのかとも思ったが、あまりにも早すぎる。やはり起き上がって運動することにまだ体が慣れていないのだろう。その上、さっきは激しく泣きじゃくってかなり体力を消耗したはずだ。
(今日はもう無理をさせないほうがいいかもしれない)
 ちょうどベッドのディスプレイのあるこの店をみつけて創をうながすと、はしご付きの二段ベッドに登りたがった。もぞもぞと布団の間にもぐりこみ体を伸ばすと、ぱちん、とスイッチがきれたように創はすぐ眠ってしまった。恵吾は起こさないよう気をつけながら、創の濡れたままの髪にタオルを押しつけて拭けるだけ拭いてやった。
「ねえ、ほら、これ使えば?」
 顔を上げると店の入り口に、真尋がいた。新品のドライヤーと布団乾燥機を持っている。家電量販店から持ってきてくれたのだろうか。
「干したって無理よ。布団乾燥機のバルーンの上に乗せて、ぶわーっとやれば?」
「ほんと、助かるよ」
 真尋は少し笑った。その顔は世話好きな年上の女の子らしく見え、恵吾はほっとした。
「君は濡れなかった?」
「私は袖だけだったから、このままで平気」
「創君は?」
「それが、寝ちゃったんだよ」
 そう、と真尋は声をひそめて小さく答えた。恵吾の指さした高いベッドの中をのぞきこんで、かすかに笑った。
「警備室、みつかったんだ」
「まかせてよ。私はここの間取りならみんなわかってるから」
 真尋が火災警報を解除してくれたらしい。
「本当は島の警備員が駆けつけることになってるけど、来ないね。やっぱ、緊急事態でそれどころじゃなくなってるんだね」
 そして、心配そうに恵吾の腰辺りを見た。
「あと、君にこれね」
 ガーゼと包帯を差し出した。添えられたチューブ式の軟膏は火傷用の化膿止めだった。
「え?」
「警備室に救急箱あったから。ほら、はやくシャツ脱いで」
「俺は……平気ですよ」
「とぼけないでよ」
 真尋は北欧調の編カゴを押しのけて恵吾に近づいてくると、いきなり服の上から恵吾の脇腹をおさえた。
「ううっ」
 恵吾は歯を食いしばった。真尋がTシャツをめくると、下着用に着たランニングの一部が茶色く焦げて、血膿が染みていた。
「平気じゃないよ」
「こんなの軽症ですよ」
「ばい菌がつくと火傷は怖いんだよ」
 真尋は恵吾を近くのデスクチェアに座らせた。床にひざをついて傷の様子を見た。
「なんだ……。普通の女の子じゃないすか」
「何よ」
 怪訝な顔で見上げる真尋に恵吾は力を抜いて、ふーっとため息ともゆるい笑いともとれない息をもらした。
「だって……敵対してるはずですよね、俺たち。あなたも最初俺のこと『人質』とか言ってたじゃないですか」
「今は一時的に休戦中よ」
 真尋は、べろりと皮膚が剥がれてつぶれた苺のようになっている傷を見ても、眉一つ動かさなかった。傷の大きさに合わせてきぱきとガーゼを折りたたみ、軟膏を塗ってくれる。
「抑えるよ」
 恵吾は痛みをこらえた。真尋は粘着式の包帯でガーゼを固定すると、これでよし、とまくったTシャツの裾を戻してくれた。
「私ね。創君は悪者にしたくないの。それでさっき、君も同じ事考えてくれてるってわかったから。だから、今は手を結ぼう」
「創君を監視施設に届けるまで協力してくれるってことですか」
「まあ、そうなるのかな? でも、私はみつかるわけにはいかないから、本当に今だけね」
 真尋は自分の引いてきたカートに戻り、食品売り場から取ってきたらしい弁当を二つ持ってきた。
「食べよ。今日はもうここから動けないよ」
 洋風幕の内、とラベルの貼られたポリ容器を恵吾は有り難く受け取った。
「いただきまーす」
 恵吾の座った椅子の正面にあるソファにかけて、真尋が弁当のフタを開ける。揚げ物の匂いが広がった。
「あ、あの、ご飯の前に、一つだけ、いいですか」
 恵吾は急にあらたまった態度で真尋にきりだした。出会った時から彼女に訊いておかなければ、と思いつめていた質問だった。
「何?」
「あなた、弥生真尋さんなんですよね。『生体複製』の弥生さんなんですよね」
「そうだけど、何?」
 真尋は膝に弁当をのせて、わりばしを持ったまま恵吾をけげんな顔で見る。
「お、俺、あなたは学校以外ではずっと研究棟に幽閉されてるって聞いてたんです。しかも俺のほうは学校では監視者の仕事があって自由には動けないし。だから、こうして直に会えるなんて思ってもみなかったんです。でも、もし、この島であなたに会えたなら、どうしても訊いてみたいことがあったんです」
「私に?」
「あの、あなたは――」
 恵吾は顔をしかめる。さっきの火傷とは違う、腹の中にぎゅっと固まったしこりのような痛みを感じる。
「――あなたは、十二歳の子供の肺を作ることができますか?」
 真尋は恵吾の顔をじっとみた。
「十二歳?」
「片肺だけでもいいんです。どうにかなりませんか?」
 頬がひきつってうまくしゃべれなくなっていることに気がついた。頬から顎まで、水滴がつたう。涙も言葉も、同時にせきをきったように恵吾はしゃべりだした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み