第3章 第6話

文字数 1,599文字

 どうやら平成最後の師走に入る。
 この一年は本当にあっという間だった。そして余りにも多くの出来事があった。大きく言えば二つ。一つは残りの会社員生活をこの会社に埋めようという決心がついた事。もう一つは残りの人生の伴侶と出会った事。

 この企画部的にも、ちょっと変わったことと言えば…… 今日の月曜日。どうやら庄司は俺の言いつけをしっかり守ったらしい。そして光子の言いつけもキッチリ守ったらしい。お陰で同伴出社の山本くんの幸せそうな左頬には痣一つ残っていないー

 片や真っ黒に日焼けした社長が企画部に入ってきて、週末の天気について部長と議論を始める。なんかいつもより引き締まった顔だ。目も鋭い。日本のカリスマクライマー復活であるのだろう。
 
 皆が揃ったところで、最早今週中は貸切状態の8階の貸し会議室へと向かう。もしこの企画が日の目を見て利益が上がったら、会議室のあるテナントに社を移すべきではないか、と密かに思っている。
 何しろ現状は50名からなる社員が狭苦しいワンフロアに屯している状態なのだ。どうせネット販売が主で対面販売は皆無なのだから、駅から離れたちょっと郊外に2フロアぶち抜きの、何なら自社ビルを持ってもいいのでは? 平成が終焉を迎える頃にそれとなく社長に進言しよう、そう決める。

 会議室には既に庄司がお茶菓子から大スクリーンの設置まで済ませておいてくれている。各々が席に座るや否や、会議室は議論討論の声に満たされていく。
 週末に迫った平成最後の当社の大企画、『信玄最後の隠し湯 〜 幻の景徳の湯を探せ!』の打ち合わせは最初から暑すぎる熱気を孕んで始まった。

 スクリーンに週間天気図が映し出される。皆が真剣に眺める。誰ともなく土曜は晴天、日曜は崩れそうだ、と呟く。そうなると土曜日に見つかれば日曜日にわざわざ雪山に入る危険は無くなる。
 明日の火曜日に注文していたドローンが届くとの事。その試運転および装着するビデオカメラ試し撮りの為、庄司と山本くんが水曜日に高尾山に出張する事となる。

「お任せください。完璧な試運転をこなしてみせます」
 …… だから、そんなに力まなくていいから…
 そっと山本くんの背後に座り、その耳元に
(その晩、どっかに泊まってこい。二人とも木曜は午後出勤を許可する)
 と囁くと、未だかつてない感謝と好色の混ざった視線を俺に向けたものだ。この借りはいつか倍にして返してもらおうっと。

 週末の我々支援部隊の宿泊先は『山本本館』という旅館だそうだ。本件のアドバイザー…… てか、言い出しっぺの泉さんがすかさず
「いやー、さすが皆さん。いい宿取られましたねー。あそこの露天が風情あって良いんですよ」
 村上が妖艶な微笑みと共に、
「じゃあ知ってるいずみん。この旅館、ご先祖はだーれだ?」
 泉さんはちょいと首を傾げ、
「いやーー、まさかまさかの?」
「その通りっ ピンポーン!」

 ピンポーンって… 歴女には死語という概念がないのか村上よ…
「絶対… 見せて貰うんだ… 先祖代々伝わる甲冑とか槍とか…ハアハア」

「で。我々は何すればいーんですかー」
 営業部の村松課長が白け切った表情で投げ掛ける。我が社のWeb関係を全て仕切っている男だ。高校生の頃ハッキングで検挙された過去を持つITのエキスパートだ。

「ああ、村松達には我々が撮影した画をHP用に作り直しUPして欲しい。出来るよな?」
 企画部課長の上村が熱く暑く問いかける。高校時代はラグビーをしていたという独特の体育会系の匂いのする山男だ。

「まぁいいけど。せいぜい絵になる画、撮ってきてくれよな」
 同じ営業部の中堅である大崎と若手女子の佐藤はつまらなそうに企画書を眺めている。企画部の熱気と明らかに一線引いた雰囲気を隠そうともせずに。

 会議は一瞬空気が澱む。が、すぐにまた熱く暑い空気が充満してくる。そして週末の『夢』に向けて着々と準備は進んでいく。
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