第1章 第8話

文字数 2,020文字

 しかし何故山梨なのだろう。Aの実家が山梨だからなのか?

「って… もういいだろ、『鬼沢』で。何だよAって」
 光子がクックックと笑うので、
「あ、ああ。じゃあ、その鬼沢君の実家の墓が山梨なのか?」
「まあそんなトコかな。東京に住んじゃいたけどよ、父親は山梨の選挙区の代議士だったからなー」
「そうか。今でも代議士なのか?」

 国会議員の鬼沢。ちょっと聞いた覚えがない。銀行支店長時代にはよく政治家とは絡んでいたのだが。
「いや。5年前に死んだ。同じ墓にいるわ」
「なるほど。で、何で毎年この時期に?」
「真琴がよ。この月がいーってんだよ。最初から。理由は知らね。今度自分で聞いてみな」
「わかった。それで毎年3人で…」
「そ。ま、チケーから日帰りだわ。あー、アレなら一泊すっか? あの辺で!」

 ちょっと嬉しそうに光子が言うと、
「あ、いーなー姐さん、彼氏とラヴラヴ温泉お泊まり〜」
「オメエだって来月彼とクリスマスお泊まりデートだろーが」

 改めて、白豚… もとい、忍に彼氏がいることに戦慄を覚える…
「へへ。じゃあ、お土産、いつもの甲州ワインでっ… って。姐さん! 忘年会シーズン! 掻き入れどきっ! お泊まりダメ、絶対!」
 光子は口を尖らせながら、
「えー、いーじゃん。誰かヘルプ頼めや」
「そりゃ、一声かけりゃ幾らでも集まりますけど… おい翔、いーのかよ?」
「あ、僕は日帰りで電車で帰るから」

 光子は卑猥な笑顔で孫の頭を撫でつつ、
「おっ 気が利くじゃねえかあ。流石、アタシの孫っ」
「え? 翔はお母さんのところに泊まっていかないの?」

 ちょっと困った顔で、
「うーーん… 期末試験期間じゃ無ければ、幾らでも相手するんですが…」
「相手?」
「話し出すと… 半日は離してくれないんです」
「ほう…」
 更に泣きそうな顔で、
「あ、因みに料理は一切できません」
「あらら…」
「部屋の中は荒れ放題… 掃除するのに半日、です」
「あららら…」

 最後に翔は涙を浮かべながら、
「なので、墓参りした後、母の家に行き掃除して、帰ります……」

 今夜は思いがけず、島田家の内情を知ってしまった。まさか翔が殺人犯の落とし胤とは… 確かに4月までの俺ならば全力で葵から翔を遠ざけていただろう。
 店を出るとすっかり冬の寒さに街が凍えている。吐き出す息がすっかり白くなっている。道行く人もマフラーを首に巻いていたり、手袋をしていたり。

 そんな俺と葵はよちよちと帰宅の歩を進める。
「いーなー。ウチもお墓参り、一緒に行きたかったなあ…」
 葵が心底悔しそうに呟く。
「受験が終わったら、連れて行ってやるよ」
「絶対だよっ」
「で。翔の掃除、手伝ってやれよー」
「ムーリー」

 おいおい。そこは手伝えよ。
「… でも、翔はお前に家の事全部話しているんだな…」
「そうだね。あ、ウチも家の事、色々話してるよー」
「そうか」
「えー何、ババアとは本当にその辺のこと話さないの?」
 
 ババアって… 俺はギロリと睨みつつ、
「それがさ。聞きたい気持ち半分。聞きたくない気持ち半分なのだ…」
「ナニそれ…」
「察しろよ…」
「ハアー。ホントにちっちゃい…」
「悪かったな…」

 葵は首を振りながら、
「ふふふ。でも、パパ本当にババアの事好きなんだね〜」
「うるせー」
「でもー。ウチは、翔くんの事、翔くんの家族の事とか、全部知りたい。私の知らない翔くんと出会う前のこと、全部知りたいっ」
「それな… それも、わかる」

 杖を突きながら空を見上げる。少しよろめくと葵がさっと支えてくれる。吐く息が白い。溜息も白い。光子の店から家まで半分の距離まで来た。葵も空を見上げている。横顔は里子にそっくりだ。俺はゆっくり歩き出す。

「でもな。怖いんだよ。」
「何が?」
「アイツが愛した3人の男の事…」
「何で?」

 暫しの沈黙。俺は溜め息を吐き出しながら、
「俺は、その三人と比べて、どうなのか、とかさ、」
「うん」
「もし今そのうちの一人が現れたら、俺はどうなるのか、とか…」
「うん」
「そして。光子はどんな風に彼らを愛したのか…」
「うん」

 俺は葵を覗き込みながら、
「お前、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるよっ で?」
「おお、そうか。そして、光子は…」
「ふむ」
「光子と彼らは…」
「ふむふむ」
「どんな風にセックスしたのか…」

 葵は人糞をふんづけた表情で、
「……ハアーー?」

「もう、気が狂いそうなんだよ… アイツが、他の男と…」
 おい俺。一体何の話を実の娘に…? だが、流石俺の娘、そんな俺の愚痴をサラリと躱し、

「パパ、あなた何歳?」
「51」
「それに。光子さんの事言えるの? 若い巨乳好きのお・と・う・さ・ん!」
「うぐっ」
「もーさー、そーゆー話、健太達としてくんない。信じらんない。マジきも、ウザッ」
「アイツらに話せるかよっ お前にしか話せねえよ」

 思わず本音が出てしまう。
「実の娘に… 情けない… そんなに甘えんなテメエ」

 葵は里子よりも、母に似ている。翔と葵の未来図はお袋と親父なのか、ふと考える。
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