第4章 第2話

文字数 1,327文字

 …… これでは営業部の彼等がキレても仕方あるまい。社長には自腹で弁償して貰おう。

「お疲れさん。夕飯前に温泉入ってきたらどうだい?」
 城島は苦笑いしながら、
「あーー、もう二回行ってますんで… 専務、どうぞー、めっちゃええ湯でっせ」

 おい。社長、部長ら上司が雪山で奮闘している最中、既に二回も温泉に浸かっていただと?
 これでは営業部の彼等がブチ切れてもしょうがあるまい… 後でそれとなくフォローしておかねば…

 既に日本酒の一升瓶を抱えて女子達や泉さんと飲み交わしている光子に、
「おい、俺たちも温泉行こう。中々良いらしいぜ」
「はいよっ んじゃテメーら、また後でな。それとポン酒足りねえから、買い足しとけや」

 こらっ 俺の部下をパシらせるな! 光子混同… いや、公私混同は役員としてあるまじき行為なのd―
「ガッテンでーす、姐御―」
「もうワンケース頼んでおきまぁす」
「早く戻ってきてくださいよぉー姐御」

 …… なんか俺より人気が…

 泉さんオススメの露天風呂は素直に楽しみである。先に営業部の村松課長と大崎が入っているので、どうせ嫌味の一つでも言われるだろうと覚悟して脱衣所から出る。

 既に辺りは闇に包まれており、昔ながらの行燈の柔らかい灯りが仄かに揺れている。何という風情だろう。俺は寒さに震えつつ思わず見入ってしまう。

 巨石をくり抜いて作られた岩風呂が薄闇の中で何人をも受け入れんとドッシリと待ち構えている。正に『器が大きい』とはこの事なのか。その中で営業部の村松と大崎が惚けた表情で湯に浸かっている。

「あーーー、金みちゅ専務――」

「おつかれちゃまでぇーす」

 どうした? 何が起きた?
 俺は軽く手を上げて返答し、ゆっくりと岩風呂に近づいていく。

 ハァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 極楽、とはこの場所の事なのか!

 行燈のみの間接照明なので外は殆ど見えないのだが、それがかえって落ち着いた雰囲気を醸し出している、さながら母親の胎内に包まれているかの如く。

 湯の温度も絶妙で、身体と心がじわじわと溶かされていく気分になってくる。同時に今日一日の蟠りが全て湯に溶け去っていく。いや、今日一日どころか今月、いや今年中の嫌な事が心から抜かれていく気分である。正にデトックス効果とはこの事を言うのであろうか。

 二人を見ると、やはり毒を抜かれたような惚けた顔をしてこの風呂の快楽に身を委ねている。

「専務ーー。いい湯ですねーー」

「そーーだなーー堪らないわーー」

「あーー彼奴らと角付き合うの、アホらしゅうなってきたわーー」

「ですねーー あー腹減ったーー」

「それなーー。夕飯何だろなーー」

「専務ーー、奥さん歌上手いっすねーー」

「げえーー、アイツまたーー。仕方ねえヤツだあーー、ごめんなーー」

「いーーえーー。後で紹介してくださいよーー」

「おっけーー。あ! 雪が降ってきたぞぉー」

「マジすか… うわー 何これ、超カンドーなんですけどーー」

「あーー、これで日本酒なんかあればなあーー」

「飯の後、また入りますかーー」

「いーーねーー、何度でも入りに来ようぜーー」

 城島は正しかった。これは何度でも入りたくなる湯である。後で城島も誘ってのんびりと浸かりにこよう。
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