第1章 第5話

文字数 2,167文字

「勝手に人の父を殺さないでくれますか、お父さん!」

 勝ち誇った、と言うよりは困窮の果てにようやく辿り着いた解が余りに想定外で、憮然としてしまった様子である。
「…… 申し訳ないっ ホントにスマンっ 俺、何て早とちりを…」
「葵ちゃんから聞いてなかったんですね。僕の父は今、甲府刑務所に服役中なんですよ、お父さん」

 持っていた箸を思わず落としてしまう。
「えっ… 何だって…」
 翔は葵に振り返り、
「葵ちゃん、言ってなかったの?」

 葵は俺を三日経った生ゴミを見る様な目付きで、
「だって… この人絶対『犯罪者の子供と付き合うなんて許さない』とか言いそうだし」
 翔は毅然と葵に、
「ダメだよ。ちゃんと話さないと。そういう隠し事は一番嫌いだと思うよ、ですよねお父さん?」
 もはや公然とお父さん呼ばわり… やはりこのあざとさは葵から感染したようだ… それにしても、まさか真琴さんのご主人が服役中とは…

「まあ、4月までのオレだったら… そうだったかも知れない。確かに…」
「でしょ。事情も経緯もちゃんと聞かないままに、ね」
 俺はポリポリと頭を掻きつつ、
「事情と経緯か。話してくれるか? ちゃんと知りたい」
 と光子に言うと、2本目のiQOSを咥えながら、
「いいけど。まあ、墓参りっつーからには、想像つくだろアンタ?」
「殺人… なのか?」

 今から約20年前。都立の名門校を卒業した真琴さんは東京大学文科一類に入学した。入学と同時にあるy―
「な、な、な、」
 俺は呼吸困難になる。だが気合いでそれに打ち勝ち、大声で吠えてしまう。

「東大の法学部だとぉーー?」

 唖然、呆然、茫然。

 光子の長男の龍二も大したものだったが、まさか長女が東大の法学部とは!
 翔が必死に俺の背中を摩ってくれている最中、全ての謎が解明した。この天才少年の母親は、化け物級の知性の持ち主だったのだ。東大法学部。日本の法曹界の頂点。
 その息子が天下の開聖中なのは、納得である。

 そう言うことだったのだ。この少年は母親の知性をそっくり受け継いで生まれてきたのだ。
 俺の興奮がようやく収まる頃。話は元に戻る。

 今から16年前。4年生、当時21歳だった真琴さんはある予備校でアルバイト講師として働いていた。教え方が上手く、面倒見も非常に良く生徒達からの評判も良かった。新学期から高3、すなわち受験生の授業を受け持ち、その島田真琴先生に2人の生徒が恋心を抱いた。

 一人は代議士の子息。仮にAと呼ぶ。小学校から大学までの一貫校に在籍しているも学校の成績が悪く、校内の大学進学試験突破の為に嫌々通っていた。予備校には女漁りが主目的で通っているような不真面目な生徒だったようだ。
 もう一人は公立高校生のB。現役で国公立の大学合格を目指す授業態度も熱心な優秀な生徒。授業で分からない事を聞きに行くうちに互いの境遇が似ていたこともあり、歳が4歳ほど離れていたにも関わらず意気投合していく。

 Aは真琴さんと親密になっていくBに不快感を覚えだす。執拗に真琴さんに接近し、授業後に食事に誘ったり休日に遊びに行こうと誘うも真琴さんは全く相手にしなかった。それが真琴さんへの想いに逆に火を付けたようだ。
 贅沢三昧、我儘放題で育ったAは真琴さんとの親密度を増していくBの存在が許せなくなっていき、真琴さんへの想いが募るに従いBに対して辛く当たるようになる。
 初めは仲間を集い揶揄う程度であったが段々とエスカレートしていき、筆記用具を隠す、テキストを捨てるなどの物理的被害を伴うものに発展していく。

「まー、酷えヤツだったわ、人間のカス。修のヤツ可哀想だったわ…」
「修くん、か。必死に耐えたんだろうな…」
「ああ。真琴に心配かけたくなかったんだろうな」

 真琴さんは何度もAに注意しようとしたが、その都度修くんに止められていたらしい。こんな不当な扱いにも笑顔で耐える姿。そしてこの困難の中でも失われない学問への情熱。そんな彼に真琴さんも好意を募らせていく。
 その年の12月。風邪を拗らせた修くんは予備校を休み、心配した真琴さんが家を訪ねた夜二人の想いは一つになったらしい。
 その事を知らずAはクリスマスに真琴さんを自宅に招待したいと告げる。親にも話してあると言う。自分への想いが本気であると悟った彼女は修くんとの事を打ち明け、これ以上関わらないで欲しいと訴える。

 逆上したAは、代議士の親を使い島田先生が生徒と異性関係になった事を予備校に訴える、と真琴さんを脅すも、彼女は自ら予備校を辞し、今後二度と自分達に近寄らないよう告げた。

「いや… 流石オマエの娘… 潔いというか何というか…」
「でもな、そのケッペキさ? がAをメチャ傷付けちまったんだよな…」

 プライドを激しく傷付けられたAは彼の人生で初めて上手くいかなかった、思い通りにならなかった事で心を壊していく。予備校は勿論、高校にも通わなくなり、夜も家に帰らなくなっていく。
 翌年3月。既に司法試験に合格していた真琴さんは晴れて大学を卒業する。修くんは第一希望の国立大学に合格、そして真琴さんの後輩となった。一方のAは何とか親の力で高校は卒業出来たが大学には上がれず、完全にドロップアウトしてしまう。
 
 入学式を翌週に控えた3月の末、修くんと真琴さん、そしてAが夜の繁華街で遭遇する。
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