第2章 第3話

文字数 1,590文字

 では早速これを、と泉さんが木箱を開けると、古びた一枚の古文書が現れる。企画部の皆が一斉に身を乗り出して注目する。中でも企画部の若手女子社員の田所理恵が目を輝かせて眺めている。

 彼女は当社の田所常務の姪っ子なのだ。こんな小さな会社にコネ入社なので、学生時代は合コンにバイト、チャラチャラしたモラトリアムを満喫し、何のスキルも持たないまま就活に全敗し、行くところが無くやむなくこの会社に入社したのだろう、今までそんな目で彼女を見ていた。
 これまでも、言われた事はそこそここなすが、創造性や斬新なアイデアなどに乏しくまあその辺に幾らでもいるチャラいOLってイメージである。そんな彼女が誰よりも食い入るような目で古文書を眺めているので、
「田所、古文書って初めて見るのか?」

 すると彼女は満面の笑みで、
「うわ、これ元亀モノじゃん! こんな状態のいいの、出回っているんですねぇー、かんどー」
……
 げ、元気モノ? へ?
「きっと田舎の蔵にでも状態良く眠ってたんでしょぉね〜 あ、山本、加湿器どっかから持っといで、このままじゃすぐに傷んじゃう」
 へ、へい、と返事をし、山本くんが首を傾げながら階下に消えて行く……
「この筆跡、筆圧、安土桃山なんじゃね? どーれどれ」

 俺は唖然としながら、
「な、なあ田所、さっきからお前何を?」
 もはや淫雛な表情となっている田所はいひひひと笑いながら、
「私〜 大学でずっとぉ古文書の研究してたんですよぉ〜」

 な・ん・だ・と……

 部内から一斉におぉぉと声が上がる。俺も思わず声を上げてしまう。コネはコネでも有能な方のコネじゃねえかよ… こんな小さい会社に安土桃山時代の古文書を解読出来る人材がいる事実に愕然としてしまう。
「じっくり拝見させてもらっていーですか、シニア〜」
 おい… シニアって… 失礼だろう
「いやーー どうぞどうぞご覧になってくださいね、田所さん」
「あー、理恵っち、でいーですよぉ」
「いやーー、理エッチさん。いいですねえ、素敵ですねえ」
「も〜〜〜。シニアのエッチ!」

 おい… お前とあんた… 皆ドン引きして… 無いか… 皆は唖然としつつ二人の掛け合い漫才を真剣な眼差しで鑑賞しているのだった。

 古文書を受け取った瞬間。田所の目付きが一変する。その鋭い視線は俺の親友青木刑事のそれを彷彿とさせる。まず全体を眺め、一行一行丁寧に視線を這わせていく。その真剣さはこれまで俺が持っていた、フワフワタラタラな田所理恵像を完全に破壊した。

「えーとですね。これは萩原佐兵衛と言う人物に宛てられた公式な書状です。元亀二年八月二十三日って言いますと、西暦15…71年、ですかね」
 思わずゴクリと唾を飲み込んでしまう。誰だこの方は? どこかの大学の准教授か? 有名な博物館の学芸員ですか?

「す、すげえ…」
「理恵っち〜 マジか…」
 皆も相応に驚いている様子からして、誰も彼女のこの専門知識について知らなかったようだ。それにしても…… 前職の大手銀行にも優秀な奴は腐る程いたが、これ程『有能』な若手社員はいたであろうか… 未だ鳥肌が収まらない。

「…で、その公文書には何て書いてあるんだい?」
 俺をギロリとひと睨み。
「キンちゃん、焦らないでっ 今じっくりと対話しているのだから…」

 す、すんません。思わず頭を下げる。しばらく会議室は緊張感に包まれ、田所の小声だけが響いていた。やがて田所の視線はピタリと止まり、
「え… 晴信って… 泉さん、これ…」
「流石ですね理エッチさん。そうなんです、この書」

 周りは騒然とし、
「晴信〜 誰? 有名な人?」
「聞いたことあるんだけど… 誰だったかな」
「これは歴女のお出ましやね、今日花ちゃん、誰やねん、晴信って?」

 田所の先輩であり、中堅女子社員の村上今日花がメガネをクイッと上げて身を乗り出す。

「この時代の晴信といえばただ一人。武田信玄ですわっ」
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