第2章 第4話

文字数 1,687文字

 全員が歓声に近い唸り声を上げる。俺も思わず目を見開く。しかし、田所といい村上といい、若手女子社員のこのスペックの高さは何なんだ…

「信玄は西暦ですと1573年に死亡していますので、この書はその2年前に信玄がその荻原佐兵衛と言う人物に宛てた書なのでしょう。で、理恵、何て書いてあるの?」
「ハイ、これはどうやら浴場の許可状みたいです。簡単に読み下すと、『先に申請のあった景徳山における湯治場の運営を保護する』、と」

 おおおおお。大会議室が騒然となる。俺もちょっと興奮してきた。何これ、歴史新発見なのでは? ちょっと待て、これは上手くすると相当なプロフィットが……
「成る程、数多ある『信玄の隠し湯』の一つって訳ね。だからいずみんが飛びついたのねっ」

 コラ。いずみんって誰だよ失礼だろ…
「いやーー、お嬢様方、素晴らしい! どうです、ウチの組織にいらっしゃいませんか?」
「ヤバ〜 これってヘッドマウンティングじゃん…」
「やば〜 化粧ちゃんとしてないし〜」

 おまえら、社長の前だぞ。それに、マウント取ってどうするんだ…
 それにしても、前から少しは出来る子達とは感じていたが、これ程の専門的な知識を持った有能な社員だったとは夢にも思わなかった。一体どうなっているのだこの小さな会社は?

 若い女子に囲まれデレながら泉さんが満面の笑みで、
「そうなんです。この書は武田信玄の『浴場免許状』と呼ばれるものの一枚です。信玄の隠し湯の事は皆さんの方が良くご存知かと」

 皆が頷きながらニヤリと笑っている。ちなみに俺は全く知らない。隠し湯? 何じゃそれ?
「信玄はどれ位の温泉を隠していたんですか?」

 少し興味を覚え聞いてみる。すると全員が唖然として俺を見つめる… な、何だよ。隠し湯ってからには、人目の付かない山奥深くの誰にも見つからないような秘密の湯治場、じゃねえの?

「キンちゃん〜 それは無いわ〜 専務のくせに…」
「山奥深くって、ウケる〜 さすがキン様〜 ナイスボケ キャハハ」

 一斉にゲラゲラと笑われてしまった。以前居た銀行での会社員生活において、会議で失笑された経験は一切無い。そんな初めての経験に顔が真っ赤になるのを感じ、と同時に銀行員時代には1ミリも感じなかった部下への、そして部下からの愛情を自覚する。

 俺は頭を掻きながら素直になる。
「誰か、教えてくれ、隠し湯って何なの?」
 スッと一直線に手が上がる。今年入社したばかりの新人の庄司智花だ。

「隠し湯、とは、主に安土桃山時代、戦国武将が他国の者に使わせずに独占的に利用した温泉の事です。『隠す』とは『他国』から『隠す』事だったのです」
「へーーー。知らなかった。そうなんだ…」

 さすが俺の秘蔵っ子、庄司智花。23歳。来年から俺専属の秘書にしたい。
「そして『信玄の隠し湯』はその中でも最も有名でして、その領土であった山梨県、長野県を中心に今でも数多く存在します。有名な所では、白骨温泉、川浦温泉、赤石温泉などが挙げられます」
「下部温泉は外すなよー」
「平湯もマストだろー」
「そういえば積翠寺のさあ、……」

「いやー。皆さん、素晴らしい。正に少数精鋭、ですな。この会社は」
 泉さんが目を細めながら皆を見回している。俺は頷きつつ、
「ですか? もう僕には皆が何話しているのかサッパリわかりません…」
「地理、歴史、古書解読。温泉巡りに必須の知識のエキスパートが揃っている、しかもこんなにも若くして… 金光さん、良い会社に恵まれましたね」
「ハハハ… どれも僕にはサッパリなんですけどね…」
「専務はそれで良いのです」

 社長がニッコリと笑いながら俺たちに近寄って来る。
「我々、『旅行オタク』だけでは会社は運営できません。金光さんみたいな経営のプロが僕らの尻を叩いてくれて、やっと彼らの生活を守れます。本当に感謝していますよ」
 泉さんは鳥羽の肩に手をそっと置きながら、
「いやー。若社長は良くわかってらっしゃる。こんなに伸び伸びやれる会社、そう無いでしょう?」
「はあ、まあ。そうですね、僕は恵まれています。少し休憩にしませんか?」
 俺は顔を真っ赤にしながらそう呟いた。
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