第15話 70年代のロック

文字数 1,402文字

高校2年のことだった。夏休み明けのことだった。教室へ行く階段で、すれ違った女子が泣いていた。教室に入ると登校していた生徒数人が泣いていた。

クラスの男子が自殺した。同じ姓の男子がふたりいたので、Y君と呼ばれていた。

1年から同じクラスにいながら、話をしたことのない男子だった。髪は長く直毛ではなかった。新聞部に所属していた。話したことはほとんどない。真面目な生徒、あの学校には真面目な生徒しかいなかった。

家庭の事情、ということだった。集会では、生活指導の怖い先生が、どんなに楽しそうに見えても悩んでいる生徒がいる。家庭ではいろいろな事情があるんだ……そんな話をした。

クラスメイトは告別式に全員参加することになった。

私たち4人グループの女子のRが、その前にお線香をあげに行こう、と言い出した。リーダー的存在のしっかりした女子だった。活発で男子とも臆することなく話し、ふざけていた。亡くなったY君ともそうだったのだろう。

4人で午後、家を訪ねた。牛乳屋だった。その時応対したのは父親だけだった。父親は何も知らない私たちに話した。学校のせいだと。新聞部のY君は日教組のことを書き、先生側と何かあったらしい。

感電死? どうやって? 無知な私は聞いているばかりだった。遺書を見せてくれた。

『私が死んでも悲しまないでください。悲しみは一時的なものです』

供養だから、と言われバナナを食べた。息子の好きだったレコードをもらってくれ、と言われチェイスの『黒い炎』のLPをいただいた。


「黒い炎」は日本でもヒットし、そのサウンドは何人もの作曲家、歌手に大きな影響を与えた。「黒い炎」を和田アキ子がライブでカバーとしたほか、筒美京平作曲・編曲の欧陽菲菲「恋の追跡(ラブ・チェイス)」、馬飼野康二による和田アキ子「古い日記」、西城秀樹「情熱の嵐」など、チェイスはヒットの規模以上のインパクトを与えていた。また、1987年にはTOPSが「黒い炎」をカヴァーした。(Wikipediaより)

先日、なにげなく思い出しスコーピオンズのことを調べた。当時、渋谷陽一さんのラジオを聞いていた。その時に紹介されたのだろう。ハードなドイツのロックグループ。渋谷氏はジャケットがどうの……言っていたが、気に入りすぐに買いに行った。

まだ若かった娘が買うには恥ずかしいジャケットだった。30センチ掛ける30センチのほぼ全面の写真。今では許可されない女児のヌード……説明するのも(はばか)られる。おまけに歌は『Virgin Killer』恥ずかしかったが、欲しかったのでレジに。

このジャケットは各国で発禁になったが日本ではOKだった。日本は世界から児童ポルノ天国と呼ばれていた。

そのレコードもすでに処分して何年? その後、このレコードのジャケットは物議が(かも)されメンバーの写真に変わった。

それが、オークションで出品されている。アマゾンでは今ではアダルト扱いに。定価は1800円だったものが高いものは8000円に。知らなかった。

数あるURIAH HEEPの名曲の中でも最も愛して止まない永遠の名曲。イントロ聴いただけで条件反射的に涙腺が緩み、楽曲クライマックス部分におけるジョン・ロートンのコブシが回りまくる入魂のシャウトには、聴く度に悶絶を誘われ、毎回滂沱の如く涙を流しております。 (この曲を聴け 火薬バカ一代さんより)
何度聴いたかわかりません。
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登場人物紹介

作者

英幸《えいこう》

亜紀 英幸の義母

英輔 英幸の父

美登利

瑤子 亜紀の従妹

幸子 英幸のママ 英輔の前妻

香《こう》

三島 英輔の会社の部下

圭 英幸の友人

葉月

夏生

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