第33話 この曲でふたり

文字数 1,471文字

『作品の中の音楽』とはかけ離れてしまってますが……

YouTubeを観るのが楽しくなってしまいました。

佐藤 隆1951年3月11日 - )シンガーソングライター

髙橋真梨子に楽曲提供した「桃色吐息」が総売り上げ33.7万枚と大ヒットし、日本作曲大賞を受賞。

同年、自身の最大のヒットとなる『マイ・クラシック』がオリコン週間チャート24位、総売り上げ14.6万枚を記録。

自身での歌手活動の他に沢田研二堺正章ジュディ・オング谷村新司中森明菜吉川晃司桑島法子などへの楽曲提供、映画波光きらめく果て」の音楽監督などを手がけている。(Wikipediaより)

佐藤隆さんは2番目に好きな男性歌手です。1番は尾崎紀世彦さん。

中森明菜は『スター誕生』のテレビ予選に2回出場したけど、いずれも不合格。3回目に来た時は否定的なスタッフもいましたが、過去2回よりも断然よかったからテレビ予選に通したの。そうしたら中村泰士さんが惚れ込んで満点をつけた。それがデビューに繋がったんです

(『スター誕生!』の舞台裏より 金谷勲夫)

『AL-MAUJ』は、1988年1月27日に発売された20枚目のシングル。アラビア語で「波」という意味で、寄せて返す愛であるとか波動とか様々な深い意味があるのだとか。
もともと『AL-MAUJ』は中森明菜さんのために制作された楽曲だったが、当時の明菜さんはとてもたくさんの楽曲の中からシングル候補曲を選曲していたこともあり、その時は残念ながら『AL-MAUJ』はシングルとして選ばれなかった。
そこで佐藤隆さんは、曲が使われないのだったら自分のアルバム用『水の中の太陽』に歌おうと思い、作詞の大津あきらさんに詞に書き換えてもらった。
それが『デラシネ』という曲。
しかし、次のシングルとして明菜さんが『AL-MAUJ』を発売したので、『AL-MAUJ』は『デラシネ』のカバーという誤解が広まってしまった。
デラシネ (déraciné) は、フランス語で根なし草、転じて故郷や祖国から離れたもしくは切り離された人を意味する。
「難破船」は1987年9月30日に発売された通算19枚目のシングルだった。この曲はもともと加藤のアルバム「最後のダンスパーティ」(84年)に収録されたもの。つまり明菜のシングルはカバー曲だったのだ。

「何度か仕事で一緒になったときに、あなたにピッタリの歌があるんだけど、歌ってみません?と言ってカセットを直接渡したの。そうしたら私の次のコンサートに、明菜さんからお花が届いたわけ。オフィシャルのアンサーは何もなくて、お花が届いた。答えでした」

【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】より
心もよう」は、日本シンガーソングライターである井上陽水の楽曲。1973年9月21日に、自身の4枚目のシングルとしてポリドール・レコードからリリースされた。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/心もよう

尾崎 紀世彦1943年昭和18年〉1月1日 - 2012年平成24年〉5月30日)は、日本ポップス歌手神奈川県茅ヶ崎市出身。1960年ハワイアンバンド「ヒロ・ハワイアンズ」結成、1965年カントリーバンド「ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ」加入。1967年からコーラス・グループザ・ワンダース」を経て、1970年にソロ歌手としてデビュー。愛称は「キーヨ」。ダイナミックな歌唱力と、立派なもみあげや髭がトレードマーク。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/尾崎紀世彦

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登場人物紹介

作者

英幸《えいこう》

亜紀 英幸の義母

英輔 英幸の父

美登利

瑤子 亜紀の従妹

幸子 英幸のママ 英輔の前妻

香《こう》

三島 英輔の会社の部下

圭 英幸の友人

葉月

夏生

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