第33話 この曲でふたり
文字数 1,471文字
中森明菜は『スター誕生』のテレビ予選に2回出場したけど、いずれも不合格。3回目に来た時は否定的なスタッフもいましたが、過去2回よりも断然よかったからテレビ予選に通したの。そうしたら中村泰士さんが惚れ込んで満点をつけた。それがデビューに繋がったんです
(『スター誕生!』の舞台裏より 金谷勲夫)
『AL-MAUJ』は、1988年1月27日に発売された20枚目のシングル。アラビア語で「波」という意味で、寄せて返す愛であるとか波動とか様々な深い意味があるのだとか。
もともと『AL-MAUJ』は中森明菜さんのために制作された楽曲だったが、当時の明菜さんはとてもたくさんの楽曲の中からシングル候補曲を選曲していたこともあり、その時は残念ながら『AL-MAUJ』はシングルとして選ばれなかった。
そこで佐藤隆さんは、曲が使われないのだったら自分のアルバム用『水の中の太陽』に歌おうと思い、作詞の大津あきらさんに詞に書き換えてもらった。
それが『デラシネ』という曲。
しかし、次のシングルとして明菜さんが『AL-MAUJ』を発売したので、『AL-MAUJ』は『デラシネ』のカバーという誤解が広まってしまった。
そこで佐藤隆さんは、曲が使われないのだったら自分のアルバム用『水の中の太陽』に歌おうと思い、作詞の大津あきらさんに詞に書き換えてもらった。
それが『デラシネ』という曲。
しかし、次のシングルとして明菜さんが『AL-MAUJ』を発売したので、『AL-MAUJ』は『デラシネ』のカバーという誤解が広まってしまった。
デラシネ (déraciné) は、フランス語で根なし草、転じて故郷や祖国から離れたもしくは切り離された人を意味する。
「難破船」は1987年9月30日に発売された通算19枚目のシングルだった。この曲はもともと加藤のアルバム「最後のダンスパーティ」(84年)に収録されたもの。つまり明菜のシングルはカバー曲だったのだ。
「何度か仕事で一緒になったときに、あなたにピッタリの歌があるんだけど、歌ってみません?と言ってカセットを直接渡したの。そうしたら私の次のコンサートに、明菜さんからお花が届いたわけ。オフィシャルのアンサーは何もなくて、お花が届いた。答えでした」
「心もよう」は、日本のシンガーソングライターである井上陽水の楽曲。1973年9月21日に、自身の4枚目のシングルとしてポリドール・レコードからリリースされた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/心もよう
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