第48話 フォークソング

文字数 2,419文字

『翼をください』は「赤い鳥」が、1971年2月5日シングル竹田の子守唄』のB面曲として発表した。

1976年以後、音楽教科書にもたびたび掲載されている。合唱曲として有名となり、日本国内では老若男女誰もが歌える愛唱歌である。

FIFAワールドカップフランス大会予選のUAE戦(1997年10月26日開催)からサッカー日本代表チームの応援歌として歌われるようになった。

1998年長野オリンピックでは山本潤子版が、2021年2020年東京オリンピック開会式ではスーザン・ボイルの英語詞版が流れた。

2007年には「日本の歌百選」に選出された。(Wikipediaより)

グループ名は鈴木三重吉主宰の児童雑誌『赤い鳥』からとった。各人がボーカルを担当することができ、美しいハーモニーが魅力的なグループであった。

結成当時は後藤と平山の二人が日本民謡を独自のやり方で取り上げたデュエットだった。山本と新居は、谷村新司らと結成したコーラスグループ「ヒルビリー・シンガーズ」のメンバーであったが、アマチュアコンサートで一緒になったとき後藤に音楽性を買われて赤い鳥に加入した。いったん加入した松田が脱退したのち大川が参加し、ここに五人編成の「赤い鳥」が再編された。後期にはウッドストックの影響で、ロック色の強い音作りをしたが、基本的には赤い鳥は民謡とコーラスものの両方をレパートリーにした。

1969年11月、第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに関西・四国地区代表として出場。「竹田の子守唄」と「COME AND GO WITH ME」を歌い、フォーク・ミュージック部門の第1位を獲得、他部門の優勝グループを抑えてグランプリを獲得した。このコンテストにはオフコースチューリップも出場しており、財津和夫はオフコースに、小田和正は赤い鳥にそれぞれ「負けた」と思ったという。

1971年1月から1972年6月まで、竹田一彦カルテットがバックバンドとして協力。1971年2月発売のシングル『竹田の子守唄翼をください』が発売3年で100万枚を突破するヒットになった。1972年7月、渡米しレコーディング。

音楽上の路線対立から1974年9月に解散。後藤・平山夫妻は「紙ふうせん」、山本夫妻と大川は「ハイ・ファイ・セット」を結成した。(Wikipediaより)

スーザンは2009年4月11日に放送されたイギリスの素人オーディション番組、「ブリテンズ・ゴット・タレント」第3シーズンの初回に出場した。舞台に現れた彼女の垢抜けない外見や、審査員の質問につっかえながら答える姿はいかにも素人くさく、将来の夢を聞かれて「ミュージカル女優のエレイン・ペイジのようなプロ歌手になりたい」と答えたときには、観客席から失笑もあがった。しかし、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の挿入歌「夢やぶれて(I Dreamed A Dream)」の最初のワンフレーズを歌う彼女の歌声が会場に響くと審査員は目を丸くし、観客は一瞬息を呑んでから総立ちになり、彼女に割れるような喝采を送った。会場はスタンディングオベーションとなり、審査員は3人全員が「Yes(合格)」の札を出し、最高の賛辞を贈った。

この番組の模様がYouTubeなどの動画配信サイトに転載されると、9日間で1億回を超える視聴回数を記録し全世界から注目され、さらにはNHKなど日本メディアにも報じられた。その週のうちにアメリカCNNの人気番組「ラリー・キング・ライブ」にも出演し、CDデビューの話も進められた。中年女性のシンデレラストーリーへの興奮は国境を越え、時代の社会現象のレベルに達している。(Wikipediaより)

中学の音楽の先生が森山良子が好きだった。このレコードは姉が持っていた。今検索しても歌詞以外はあまり出てこない。

2枚目のシングル曲として予定されていた「イムジン河」が発売自粛となったため、それに代わる曲として制作された。当時パシフィック音楽出版会長だった石田達郎から「イムジン河」に代わる新曲を急遽作曲するよう強要され、会長室に3時間缶詰にされたときに作ったものである。

テレビ朝日系『驚きももの木20世紀』にて「「イムジン河」のコードを反対からつなげて作った」と紹介されたが、加藤本人は否定している。これに関して、加藤は「フジパシフィックの会長室に、ギターだけ渡され、3時間で作曲を依頼され、部屋に鍵をかけられて軟禁状態だった。しょうがないから適当に遊んで、最後の2〜30分ぐらいで曲を作ってカセットに吹き込んだんですよ。」と、語っている。さらに「その出来立ての曲を持って、そのままサトウハチロー宅へタクシーで向かった。本人とは初対面だったが、とくに曲の打合せはしなかった。1週間ほどで詞が自宅へ送られてきた。歌詞を見ると『悲しくてやりきれない』…。こんな詞で、いいんだろうかと思ったが、歌ってみると、曲に語句がぴたっと合っていて驚いた」と告白している。(Wikipediaより)

「帰って来たヨッパライ」は、ザ・フォーク・クルセダーズのデビューシングルであり、同グループの代表曲である。

1967年12月25日に東芝音楽工業の洋楽レーベル・キャピトルレコードからシングル盤が発売された。

ラジオ関西で放送されると、早回しのテープと奇想天外な歌詞で反響を呼んだ。「アングラ・フォーク」のブームを生み出した曲である。オリコンチャート史上初のミリオン・シングルで、日本のコミックソングの代表的な作品。

飲酒運転で交通事故を起こして死亡した、東北弁を話す主人公が長い雲の階段を通って天国へ登るが、その天国でも酒と美女に浮かれてばかりだったため、関西弁を話す「怖い神様」からの「お仕置き」で天国を追い出されて生き返る顛末を、テープの高速回転による甲高い声と伴奏で語る歌である。

最後にお経のところで『エリーゼのために』が。
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登場人物紹介

作者

英幸《えいこう》

亜紀 英幸の義母

英輔 英幸の父

美登利

瑤子 亜紀の従妹

幸子 英幸のママ 英輔の前妻

香《こう》

三島 英輔の会社の部下

圭 英幸の友人

葉月

夏生

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