第34話 この人で2曲

文字数 2,820文字

中島みゆき 1952年2月23日生まれ、北海道札幌市出身のシンガー・ソングライター。75年にシングル「アザミ嬢のララバイ」でデビュー。以来「わかれうた」「悪女」「空と君のあいだに」「ファイト」「旅人のうた」「地上の星」など数多くのヒット曲を放ち、70、80、90、2000年代の4つの年代で1位を獲得した唯一の女性ソロ・アーティストに。楽曲提供では5つの年代で1位を記録し、松任谷由実とともに日本の音楽界を牽引。独創的な舞台〈夜会〉やラジオパーソナリティも好評で、台湾や香港などアジアでも高い支持を得る。2009年に紫綬褒章を受章。2020年の『CONTRALTO』までオリジナル・アルバム43枚をリリース。(m.music.jpより)

2009年の中島みゆきのシングル『愛だけを残せ』

2009年公開の犬童一心監督映画「ゼロの焦点」の主題歌として書き下ろされた。


「地上の星」と「ヘッドライト・テールライト」の2曲共に、NHK総合テレビプロジェクトX〜挑戦者たち〜』の主題歌として制作された。この2曲は元々、アルバム『短篇集』にのみ収録される予定だったが、『プロジェクトX』を見たファン等からのシングル化の要望を受け、急遽アルバムに先行する形でシングルカットが決まった経緯がある。

本曲を採用したきっかけは、『プロジェクトX』のプロデューサーだった今井彰が、企画の段階で中島みゆきにテーマ曲を依頼するつもりでいたことにある。中島の所属する事務所には取り合ってもらえなかったが、今井が中島に手紙送ったところ、中島本人が快諾し、本曲を書き上げた。2005年12月28日、中島は『プロジェクトX』の最終回に出演し、スタジオで「ヘッドライト・テールライト」を熱唱した。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/地上の星/ヘッドライト・テールライト

髙橋 真梨子は、日本の女性歌手、作詞家。本名は広瀬 まり子。旧姓は髙橋。広島県廿日市市生まれ、福岡県福岡市育ち。血液型はA型。夫はミュージシャンのヘンリー広瀬。

ペドロ&カプリシャス・二代目ボーカルでデビュー。その後、ソロ歌手に。
2018年3月7日発売。デビューから45周年になるのを記念して発売されたTHE VEST STANDARDSの中の曲。
高橋真梨子さんの歌の中で2番目に好き。

「軽はずみなひとこと」なにを言ってしまったの?

この歌を聴いて5000字以内で小説を書いてください……なんてどうですか?
高橋真梨子さんの歌の中で1番好き。

40年以上前、ラジオで作曲者濱田金吾の『裏窓』を聴いた。「この歌でふたり」とかいうコーナーで。もう1度聴きたいとずっと思っていたが、動画にはない。

和製トム・ジョーンズと言われた尾崎紀世彦。「AH!」が、素敵。トム・ジョーンズよりずいぶん速い。
ダイナミックでソウルフルな歌唱で人気を得たボーカリストで、1970年代にはセックスシンボル的な扱いを受け人気を博した。代表曲に「よくあることさ」「ラヴ・ミー・トゥナイト」「最後の恋」「思い出のグリーン・グラス」「シーズ・ア・レディー」「恋はメキ・メキ」など数多く、「よくあることさ」「恋はメキ・メキ」などは現在の日本でもCMやTV番組のBGMとして使用されている。
中学生の時に買ったLPを女友達に貸したら、この曲が1番いい、と。

代表曲は2枚目のシングル「白いサンゴ礁」。この曲は当初B面だったが、ヒットしたため後年に発売された再発盤ではAB面が逆になっている。ジャケットは見開き仕様だったためオリジナルデザインの片面がそのまま使用された。オリコン最高位18位、累計売上17.7万枚を記録した。

4枚目のシングル「ひとりの悲しみ」は、改詩改題して尾崎紀世彦が歌った「また逢う日まで」の元歌として有名。(共に阿久悠作詞、筒美京平作曲)アレンジも全く同じであるが、符割りが微妙に違う。

1971年、尾崎紀世彦さんが歌って大ヒットした『また逢う日まで』。ところが……この曲はもともと、尾崎さんのために書き下ろされた作品ではなかったのです。

当時、エアコンのCMソングを依頼された筒美さん。候補曲として何曲か書き上げたなかの1つが、後に『また逢う日まで』となる曲だったのです。イントロとサビが印象的なのは、CM用に書かれたからでした。やなせたかしさんが詞を付けて完成しましたが、スポンサーの意向が変わり、この曲はお蔵入りとなってしまいました。

しかし、いい作品には必ず“拾う神”がいます。この曲を管理していた音楽出版社・日音のプロデューサー・村上司さんでした。村上さんは筒美さんが書いたCM曲を阿久さんに渡しました。

こうしてCMソングはまったく違うポピュラーソングに再生。完成したのが1970年、ズー・ニー・ヴーというグループによってリリースされた『ひとりの悲しみ』。村上さんも阿久さんも筒美さんもヒットを期待していましたが、なぜかセールスは伸びず、またしてもこの曲は埋もれてしまったのです。

それでも「絶対にこの曲は当たるはずだ」という確信があった村上さんは、諦めませんでした。再び世に出す機会を窺っていた、ちょうどそのころ……村上さんがプロデュースを手掛けていた歌手が、尾崎紀世彦さんでした。

尾崎さんの歌唱力を高く評価していた村上さんは阿久さんへ、尾崎さん向けに詞を書き直してほしいと依頼。最初は渋った阿久さんですが、村上さんの熱意に折れ承諾してくれました。

出来上がった新しい歌詞は、別れを決意した男女が2人で表札の名前を消し、それぞれ新しい道に進むという、これまでの歌謡曲になかった価値観の詞でした。

こうして生まれた『また逢う日まで』は大ヒット。「3度目の正直」でこの曲が売れたのは、村上プロデューサーの「いい曲、いい歌手を埋もれさせてはいけない」という、熱い思いがあったのです。(ニッポン放送ニュースオンラインより)

町田 義人(まちだ よしと、1946年9月21日 - )は、日本のグループ・サウンズ出身の歌手。

高知県土佐市出身。「キャッスル&ゲイツ」を経て、成城大学在学中の1968年に「ズー・ニー・ヴー」を結成、ボーカルを務める。「ズー・ニー・ヴー」はR&B路線の強いバンドだったが、「白いサンゴ礁」のヒットで注目を集める。

1970年ズー・ニー・ヴーを脱退、ソロに転向。テレビCM曲を7〜8年間で400〜500本歌う。1978年公開の映画『キタキツネ物語』において、同作品の音楽担当だったタケカワユキヒデに指名される形で、主題歌「赤い狩人」を歌う。同年、ニット帽にサングラスというスタイルで角川映画『野性の証明』の主題歌「戦士の休息」を歌い、オリコン最高位6位、累計売上29.5万枚を記録。累計売上85万枚とする報道もある。

現在では、歌手活動を休業、メルボルンで彫刻家として活動している。(Wikipediaより)

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登場人物紹介

作者

英幸《えいこう》

亜紀 英幸の義母

英輔 英幸の父

美登利

瑤子 亜紀の従妹

幸子 英幸のママ 英輔の前妻

香《こう》

三島 英輔の会社の部下

圭 英幸の友人

葉月

夏生

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