めぐり逢う季節に 【誘起の音】

文字数 1,930文字

 砂浜に出て波打ち際を古城へ向かった。近づくにつれ孤島のような古城が威圧的な力を秘めているのに気付かされた。生身が放つ感覚と似ていたから印象に迷い戸惑った。
 城壁越しに見上げる建物群の一部が焼け落ちていた。正門に向かう坂の途中で足を止めた。話し声が聞こえる違和感に息を潜め耳をすませた。暫く待っても潮騒を弄る風の音ばかりだった。周囲の気配を探るのを止め嘆息をもらした。
 正門は固く閉ざされていた。その場で城内を想像したからだろうか。霧雨が降り続く景色の中で古城の歴史を追想し試みたのかもしれない。漆黒の暗闇に紅蓮の炎が舞う情景が脳裏をかすめた。誰もいない古城に人影の揺らめきが映った。人を呼ぶ声を遠くで感じながら何を想い呼び起こそうと願ったのだろうか。あれが歌姫ルーミナイが写真で表現しようと試みる深く哀しむ想いを秘匿した思念だったのか。写真の向こうに見え隠れする歌姫の視線が捉えるのは、許されざる日々に重なる記憶であったのか。目の見えないルーミナイが幼少期に培った感覚は、天性の才能を開花させた。それに気が付き慕う人は、歌姫の境遇に共感して受け入れるのだろう。

 川沿いのホテルに戻ると、Mから夕食の招待状が届いていた。
 約束の時間に徒歩で現れたMは、早朝の桟橋と印象が違った。漆黒の髪を赤い花飾りで纏め、褐色の肌に緑碧玉色の瞳が萌黄色のセミホーマルドレスに映える神秘的な趣きに驚かされた。ルーミナイの写真集に映りこむ海岸を散歩する姿を思い起こさせる雰囲気があった。
 港に近い繁華街までの二区間を路面電車で移動した。写真で知る店の看板を目にしてMの意図を受け入れた。舞台を構える一階席は客で埋まり活気に満ちていた。重厚な造りの店内は、前世紀の調度品で格式高く整えられ創業者の趣味の良さが伺い知れた。案内されたのが舞台を近くから観劇できる二階の個室だった。
 「正面の席が宜しかったでしょうか。」
 Mが席に着いてから尋ねた。
 「横からの表情も好いものですよ。」
 「この席に感謝します。」
 私は、写真集の一枚を思い返して気遣いに礼を述べた。
 「ルーミナイが 撮影した場所ですか。」
 「歌姫にとって、ここは特別なのです。」
 Mの言葉に深い意味が含まれているのが分かった。
 「心の底から尊敬する人が使った特別席なのですから。」
 過去を秘匿する歌姫が既に生きながら伝説化されるのを理解するる私は、乏しい知識を手繰り寄せて確かめた。
 「噂でしか知りませんが、大した人物だったのでしようね。」
 「歌姫に慕われる彼は、幸せなのです。ルーミナイこそ、彼の元を訪れた真の女神なのですから。」
 Mが軽く小首を傾げて尋ねた。
 「……笑いますか。」
 私は、秘められる真実をMから示されているのが分かり話の先を待った。
 「今でも、年に一度だけ戻ってきます。休暇を取って一晩だけ舞台を勤める。」
 Mが優しく微笑みながら続けた。
 「その日の為だけに、この海辺に住み着いてしまう人もいるのです。それはそれで罪作りな女神様だけど。本人は、けじめなのでしょうね。」
 昼間にシーラから聴かされた話が重なった。ルーミナイの原点というべき始まりの場所に立つ姿を目にできることが、待ち人にとってどれほどの価値があるか判る思いだった。その日の為に季節を巡らせ浜辺で過ごす気持ちに寄り添える気がした。
 「歌姫ルーミナイの魅力は、恩義を忘れない人に具わっている徳からくるものなのですか。」
 素直な気持ちのまま尋ねる私の倫理観に安心したのだろうか。Mの瞳が嬉しそうに煌めき語った。
 「……もう一つ忘れてはいけない理由があります。歌姫は、他の人の辛苦を受け止める感性が具わっているのです。」
 「それだけでも、十分すぎる才能ですが……。」
 私の言葉は、少しばかり躊躇ってしまった。Mが相手の語る間合いに試すかのような含みを持たせるのを見たからだろうか。静かな視線を向け待つMの姿に私は、一息ついて続けた。
 「その覚悟は、大変な思いで為されるのでしょうね。」
 「そう思いますか。」
 Mが柔らかい笑みと一緒に尋ねた。再び、私は返事に迷った。
 「……そう思いたいですが。違うのでしょうか。」
 「どうでしょう。」
 そう言ってMは、少しばかり間合いを置いて続けた。
 「人それぞれです。私が知る歌姫は、共感しながらも揺ぎ無い信念を備える賢さと強さとを持っていた。」
 そう聞かされ私は、写真の個展で覚えた感銘を改めて思い返し納得した。
 「歌姫ルーミナイは舞台でも写真でも同じメッセージを表現していると、受け取ればいいのですか。」
 「それを確かめにいらしたのでしょう。」
 「そうでした。」
 「楽しみですね。」
 Mは、笑顔で言葉を終えた。
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